1ー2
(先輩・紗世側の視点)
入学式の日の午後、図書館の窓際。
紗世は、少しだけ疲れた心を抱えて机に座っていた。
新学期が始まるのは、彼女にとっても新しい環境の幕開けだった。三年生になり、部活動も受験も、すべてが「最後」の年に差しかかる。朝から張り詰めた空気の中で式に参加し、後輩たちを見送ったあと、ほんのひとときだけ自分の呼吸を取り戻すために、図書館へと足を運んでいた。
窓から差す光は、春のやわらかさとともに少し眩しい。ページの文字はきちんと追っているのに、思考の半分は明日の課題やこれからの予定へと滑ってゆく。鉛筆を握る指に力がこもりすぎて、紙の端が少し折れた。そのたびに深呼吸をして、肩の力を抜こうとする。
——そんなときだった。
入口の方で小さな気配を感じた。視線を上げると、一人の新入生らしい少女が、遠慮がちに図書館へ入ってくる。
その子は、制服の襟元をきちんと整えながら、目を伏せ、歩みを静かに抑えている。まるで大きな音を立てることを怖がっているみたいに。
(あの子……入学したばかりかな)
紗世はそう思い、すぐにまた目をノートに落とした。けれど気づくと、視界の端でその子の姿を追ってしまっている。窓際に座った彼女は、本を開いているが、文字を読むよりもページをめくる回数がやや多い。指先の震えや、小さなため息が、ここまで届く気がした。
——なんだか、自分の一年生の頃を見ているよう。
そう思うと、胸の奥にやわらかい波が広がる。
不安と緊張のなかで居場所を探し、でも誰にも声をかけられずに本の陰に隠れるようにしていた昔の自分。その姿と重なり、親しみのようなものがじんわりと滲み出てきた。
彼女はページをめくる仕草を、時折ちらりと見ている。そのたびに、目が合いそうになって慌てて逸らす。そういう初々しさが、かえって紗世の心をくすぐった。
「かわいい子だな」
小さく、心の中で呟く。もちろん声には出さない。
ただその存在が図書館の静けさを少しだけ違う色に変えたことを、紗世は確かに感じていた。
(また来るかな、あの子……)
そんなことを思いながら、ノートにしるしをつけ、立ち上がる。
背を向けて歩き出す瞬間、視線がまだ自分を追っているような気配が背中に残る。振り返ることはしない。ただ、心の奥に小さな余韻だけを持ち帰りながら、廊下へと歩いていった。
——それが、白石真琴との最初の「すれ違い」だった。
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