今宵、深く吐く

平椋

今宵、深く吐く

 いらっしゃませ


 入店音と共にやる気のない店員さんの声が聞こえた。それを右から左に受け流しながら、無意識に飲み物が置いてある奥の棚に足が動く。しばらくの吟味の後に緑茶を手に取り、お菓子のクッキーとポテトチップス、レジ横の焼き鳥を注文して会計を済ませた。


 ありがとうございましたー


 自動ドアの境界線を跨ぐとねったりとした空気が全体を包み込む。秋は間近だというのに未だ夏はしぶとく居座っていた。

 風が吹いた。

 それが露出する下腕を優しく冷ます。

 このまま帰るには少し物足りない感じがした。コンビニの横に移動して、歩道と段差になっているところで腰を下ろした。


 —はぁー


 深いため息だ。

 目の前は車道で車が横切る。何をするでもなく夜風に当たりながら目の前を通る車をぼーっと眺めていた。

 一台、二台、三台……

 片田舎のここらではいくら駅近くといえど、派手な看板や人通りはあまり多くはない。黒色に染まった建物を信号が赤と青で、道路を車のヘッドライトが黄色に照らしていた。

 また肺の空気を吐く。その分の空気を吸い込むと、雑味が鼻を刺し、目を細めた。


 タバコか……


 細めた目で横を見ればちょうど一人分の間隔を空けて女の人がぷはーと煙を吐いていた。

 横顔のため歳のほどはわからないが、わずかな光でもその端正な顔立ちは明らかだった。本来は肩まであるだろうと思われる髪を後ろで一本に束ねており、夜に恨みであるのか睨みつけるように目を細めもう一度白い息を吐いた。ワイシャツという格好から見るに仕事帰りだろう。

 タバコの匂いは好きではないが仕事場で陰鬱な空気を吸っている肺を何か違うもので満たしたくてその場に居座った。

 

 …………


「あの、タバコ 一本もらえませんか」


 気づけばそんなことを口にしていた。彼女は突然声をかけてきた不審な男を睨みつける。


「えっと、何か好きなもの持っててください」


 先ほど買った商品が入ったビニール袋を広げて見せる。一瞬だけ視線をそこに移したがすぐにまた僕を訝しむ目で捉えた。


「……」


「あ、いえ、あの、すみません……」


 自分の奇行に今更ながら気づいた。冷静になってバカなことをしたと猛省し、ビニール袋を引っ込めた。通報される前にその場を離れようとした時、


「その紙袋は焼き鳥?」


 夜闇に馴染むような低い声は自分に向けられていた。それに気がつき顔を上げると、彼女は無表情のままこちらを見ていた。二度は言わないと、口を閉ざし瞳だけで自分の答えを待っている。


「……は、はい」


 絞り出したその返事に彼女はタバコのペシャンコに潰れた箱を取り出した。白地に日の丸のような装飾。タバコの知識がない自分でもその銘柄はわかった。


「一本」


 すでに何本か無くなっている束から震える手で一本を抜き取る。


「頂戴します……」


 同時にライターも借りて、不慣れな手つきで先端を炙った。黒く焦げるが火はつかない。加減わからずにただ当て続け煙が見えたところでそっと離した。その瞬間にもタール、ニコチンの匂いが鼻を掠める。

 とっくの昔に成人はしたはずなのにこの瞬間にやっと大人の階段を登ったようなそんなキザなことを考えてから唇にあてがった。


 すぅー、げほげほげほ


「にげぇ、苦しい」


「あんたタバコ初めてだったのか?」


 先ほど変わらぬ位置から低い声で笑う。


「はい。……なんなら苦手です」


 匂いに顔を歪ませる。肺と喉が痛い。


「それなのにどうして「くれ」なんて言ったんだ?」


「……なんで、でしょうね」


 さも当然の疑問に、自分さえ首を傾げた。正直自分でもわからなかった。夜の雰囲気に当てられて気分が高揚したのだろうか。

 彼女はふーんと興味なさげにもう一本に火をつけ気持ちがよさそうに煙を吐いた。

 それを真似て僕もタバコを咥える。今度は肺に入らずに口内で煙を転がしてから吐いた。


「ふーん」


 彼女は先ほど渡したネギマにかぶりついた。それを横目で見ながら今一度正面を横切る車を眺める。


 ——自分は何をしてるのだろうか


 そんな文言が頭に浮かぶ。その答えを探すように眼前の景色に集中しようとした時、


「あんた、なにかあったのか?」


 一人分の感覚を空けた隣からそんな疑問が投げかけられた。慌てて隣を見るが、彼女は気だるげそうな横顔で自分と同じように目の前の道路を眺めてて、中断あたりのネギをガブリと噛んだ。

 返事に戸惑っている自分に助け舟を出すように彼女は続けた。

 

「なんかあんた深刻そうだったからさ。この時間なら仕事疲れしたやつなんて普通だけどさ。慣れもしないタバコを、知らない女から貰おうだなんて肝が座ってると思ってな」


 目線はそのままで身体を反らせ足を組んだ。


「もしかして勇気出したナンパだったか?」


 最後の鶏肉を口に入れた。


「違います」


「だろうな」

 

 口の中のものを飲み込むと、わずかに口角を上げながら備え付けの灰皿に灰を落としてた。自分もそれを真似る。


「タバコの肴に何か話してくれよ」


 竹串を先程まで包んでいた紙袋に戻した。

 僕はタバコに目をやりながら彼女への返事を考えた。しかしどんなに考えても問いに答えることができない。立ち昇る細い煙をただ見ているだけだった。


「考えることはない、ただ吐けばいいさ。ちょうどあんたが今吸ってるタバコみたいにさ」


 すると彼女はお手本というように数秒タバコを加えた後に数秒かけて煙を吐いた。それはライトに照らされながら暗闇を一瞬だけ白く染めた。


「何も面白くないかもですよ」


「いいね。そんな話がちょうどいい」


 数秒おいてから僕は口を開く。煙を吐くように。

 

「……わからないんですよ」


 視線は車よりもやや下の舗装された道路を見ていた。


「……仕事が、疲れたんですかね……」


 思い当たるものを上げる、けれども納得はしなかった。一度口に出すと肺の中で育っていたものが芋蔓式に煙となって出てくる。


「でも今日特別忙しかったわけじゃないんですよ。いつもと変わらない……退屈で窮屈……今日よりも辛かった日、忙しかった日はあったんですけどね。たまたま目に入ったこのコンビニに気づいたら足が向かってて…………」


 彼女は相槌も打たず、ただ前を見てタバコを蒸す。たまに灰皿にトントンと灰を落として、また唇で挟んだ。


「別に何度も来たことあるんですよ、ただ僕は寄り道というものをあまりしたことがなくて……ほら、小学生の時によく言われるじゃないですか寄り道するなって。もう誰からも怒られることなんてないのにそんなルールがこびりついてて……駅から家までただ往復するだけだったんです。なのになぜかここにいる……」


 肺から吐き出した分を煙で循環させる。喉を焼くような苦しさは我慢した。


「ここに来る目的なんてなかったんですよ。欲しいものもなかったし、でも自由になった開放感は少しだけあって……」

 

 だから悩むふりをしてお茶を、目についたものを片っ端から買った。そしたら満たされるのかもしれないと思った。

 しかし、そんなことはなかった。

 今まで育ててしまったドス黒い何かがずっと奥のほうで渦巻いている。それが確かにあったものを片っ端から吸い取っているようで、まるで満たされない。

 前屈みになると、タバコの煙がツンと鼻を刺す。目を細めたらなぜか目頭が熱くなった。


「陰鬱になって、嫌になって……何かから逃げ出して、でもどこか遠くに逃げる勇気もなくて……誰かに見つけてもらえるように、自分の足で戻れるように、駅から近いこのコンビニにいる……んですかね?」


 結局、全てをごちゃごちゃに散らかしてみても見つけることはできなかったから自分自身を無理やりあるべきところに片付けた。

 彼女は濃い煙を吐く。その匂いにはもう慣れた。

 僕も不浄なものを吐いた分思いっきりそれを吸引した。

 煙を見て実感できる。僕はちゃんと吐けているのだと。

 しばらくの沈黙。車の走行音だけが聞こえた。滲む視界を腕で拭うと体が軽くなったような気がした。


「すこし、楽になったような気がします」


 こんなことを吐露したのは初めてだった。だから心が浮つく。きっと明日には無くなってしまうが今だけはこのままがいい。


「不思議だよな」


 彼女が再び煙を吹く。


「ただ吐くだけであんなに重かった心の重荷が空気と混ざり合って濁りなく霧散していく」


 横切る車を見ながら、


「だから私はコレをやるのかもしれないな。この煙と一緒にいらないものまで吐いてしまいたい。言わばこれは心の掃除だな」


 ただ彼女の横顔だけが見えていた。表情は変えずにタバコを咥えては離すを繰り繰り返す。

 いつしか僕のタバコはすっかり灰だけになっていた。備え付けの灰皿にタバコごと捨てると、口内に残る苦味に表情を歪ませる。さっき買ったお茶をガブガブ飲んで喉の違和感と共に胃へ入れれば、少しだけ満たされた。

 息を整えた後に、彼女の横顔に尋ねた。


「お姉さんも悩みがあるんですか?」


 タバコを吸うことが悩みを吐き出すためならば彼女だって苦悩しているはずだ。そう思って尋ねたが、


「悩み?ないね」

 

 即答すると彼女はタバコを灰皿に擦り、三本目のタバコを咥えた。


「え、でもタバコを吸うのは吐き出したいからって……」


 呆気に取られながら先ほどの言葉を反芻すると、彼女はライターで火をつけた。再び夜を一瞬だけ白くした。


「ただの理由づけだ。シールみたいにただ物事に洒落っ気つけてるだけだ。私はただ単にやめられねぇから吸ってんだよ、アホか」


 すると当てつけのように濃い煙を吐いた。今日一番の濃度だ。

 僕はそんな彼女に呆気に取られながらも口角を上げる。


「ありがとうございます」


「あ?」


 彼女は灰をトントンと落としながら横目でこちらを見た。


「話聞いてもらって」


「暇つぶしだよ」


 僕は胸の辺りに視線を落とした。

 根本的な解決はしてないし、未だスッキリとはなれない複雑な気分だ。明日になればまた訳のわからない恐怖と不安で逃げたくなるのかもしれない。

 けれども、今だけは——


「ちゃんとタバコは吸えたと思います」


「そうか」


 確かに不純なものを入れた。けれども僕にとっては純粋なものに感じて、不浄なものは全て煙となって吐き出した。

 彼女は再び視線を道路に戻して煙を入れる。僕もただ横切る車の数を数え始めた。会話はなくなり、夜の静寂さは増して煙が一層白くなったように感じた。

 しばらくして彼女が短くなったタバコを灰皿に押し付けて捨てると、数分越しに立ち上がる。僕もそれを見計らって腰をあげた。


「あんたはタバコはやめたほうがいい」


 おもむろにそんなことを言われた。僕は逡巡した後に微笑んだ。


「そうですね」


 一本吸った後、僕はもうタバコは吸わないだろうと思っていた。僕の心の奥底に充満していた何かを吐き出させてくれたことには感謝だが、やはりタバコは好きになれない。

 未だに残る指先の強烈な匂いには顔は歪むし、喉の痛みにも不快感を覚える。

 僕が吸ったタバコは今日の一本だけで、今後増えることはないだろう。


「それじゃ、達者でな」


「またどこかで」


「いや、もうあんたとあたしが会うことはないだろう。一期一会ってやつだよ」


 それだけ言うと彼女は背を向けてちょうど青になった横断歩道を渡って行った。

 僕は伸びをして深呼吸をした。思いっきり吸って、思いっきり吐く。より綺麗な空気が肺の中に充満し燻され温かくなっものを冷やした。それだけで心は軽くなった気がした。

 やはりタバコは好きになれない。

 口内に残ったタバコの名残に顔を顰めた。

 


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今宵、深く吐く 平椋 @kangaeruhito

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