第12話SecretGarden

週末の午後、庭に植えられたハーブが風に揺れていた。

ミントの葉は陽を受けて透きとおり、ローズマリーの影はテラスの床に柔らかく映し出されている。

空にはまだ夏の名残があり、白い雲がゆっくりと流れていた。


桜庭はティーポットに湯を注ぎ、香り立つ蒸気を確かめながら、視線を隣家の方へと向けた。

いつもなら声をかければすぐに応じてくれる裏川だが、今日は庭先に現れる気配がなく、門をくぐって戻ってきた姿もどこか足取りが重く見えた。


「こんにちは。よかったら、ティータイムでも」

声をかけると、裏川は少しだけ笑った。

けれどその笑みには晴れやかさがなく、薄い雲に覆われたような影が差していた。


「……ありがとうございます。少しだけなら」


二人はテラスの椅子に並んで腰を下ろした。

桜庭はカップにハーブティーを注ぐ。レモンバームとタイムのブレンド。

爽やかで澄んだ香りが、午後の光に溶けていく。


裏川はカップを両手で包み、しばらくは湯気を眺めるだけだった。

その視線は近くにあるはずの庭ではなく、どこか遠い彼方へと向けられているように見えた。

桜庭は余計な言葉を挟まず、ただその沈黙を受け入れた。


ティーカップを置いた時、桜庭はさりげなく言葉を添えた。

「……よかったら、今夜はディナーもどうですか?奥様、夜勤ですよね」


驚いたように顔を上げる裏川。だが次の瞬間には、その瞳に柔らかな色が宿り、彼は小さく頷いた。

「……はい。ぜひ」


――夜。


キッチンには温かな灯りがともり、桜庭は祖母のレシピを思い出しながら料理を仕上げていた。

サーモンのカルパッチョはオリーブオイルの艶をまとい、白身魚のムニエルはハーブバターの香ばしさを湛える。

彩り豊かな野菜のラタトゥイユが加わり、静かなごちそうが並んでいった。


裏庭のウッドデッキには、小型のプロジェクターを設置した。

白布を張った簡素なスクリーンが夜風に揺れ、ブランケットが椅子に重ねられている。

庭の片隅には、昼の名残りの炭火がまだほのかに温もりを残していた。


「……すごいですね。まるでキャンプみたい」

裏川は笑みを浮かべ、グラスを手にした。

白ワインの透きとおった香りが、魚料理の香ばしさと絡み合い、夜の空気を満たす。


スクリーンに映し出されたのは、派手さのない静かな映画だった。

ふたりは多くを語らず、映像の光と、皿に残る余熱と、互いの存在だけを確かめるように時を過ごした。

バステトは裏川の足元で丸くなり、時おり耳をぴくりと動かす。焚き火の残り香に安堵したように。


裏川はときおり目を伏せ、また映画の画面へと視線を戻す。

その沈黙には重さではなく、どこか柔らかな緩みがあった。

桜庭は詮索せず、ただ同じ空気を吸うことを選んだ。


夜が深まり、映画が終わる頃。

庭を包む虫の声が、二人のあいだの静けさを埋めていた。

言葉にしなくても、確かな温度だけがそこに残っていた。

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