第8話

盗賊討伐から数週間後。ようやく筋肉痛も抜け、兄たちから「まあまあ頑張った」とそれなりに評価され、作戦は成功したものと思っていた。世間では「七歳にして荒々しい娘」という評判が広まりつつある。これなら婚約話など吹き飛ぶだろう――そう私は胸をなで下ろしていた。


だが、その日。皇家の使者が我が家を訪れたのだ。格式ばった封蝋付きの文書を携え、恭しく差し出す。執事が厳かに開き、声を張って読み上げた瞬間、私は確信した。――よし、婚約回避成功だ。


……そう思ったのも束の間。


「両家の親睦を深めるための茶会を催すこと。加えて、その席において、シャルル・フォン・エインズワースと皇子殿下の婚約を、広く公に発表すること」


執事の声が響き渡る。私は耳を疑った。いや、疑うだけでは足りない。自分で文書を引ったくり、一字一句確認する。――だが、何度読み返しても同じだった。無駄に長く、やたらと回りくどく、法令じみた文章の海。そのどこをどう見ても、逃げ道は一切存在しない。


「……詰んだ。」


思わず心の中でそう呟いた私をよそに、父ガルドは「ガーハッハッハ!」と豪快に笑い飛ばした。皇家と縁が結ばれることが何より嬉しいらしい。英雄公爵としての誇りと、親馬鹿としての喜びがごちゃ混ぜになっている。


母エリシアはといえば、なぜかやる気に満ちた瞳で私を見つめていた。その眼差しはまるで「最高に面白いおもちゃを手に入れた」と言わんばかりで、背筋が寒くなる。……怖い。


こうして逃れようのない「皇家のお達し」が下ってから数日後。私に待っていたのは、地獄の教養訓練だった。


まずは姿勢矯正。背筋を真っ直ぐに保つ、指先を揃える、膝の角度を固定する――これはまだ楽だった。武芸に通じる部分があるからだ。だが問題はその後だ。皇家式のテーブルマナー。


これが、地獄そのものだった。


皿の扱い方、フォークとナイフの角度、口元に運ぶまでの速度、パンの割り方からスープの掬い方に至るまで、すべてが規則と化している。数にしてざっと四百は下らないだろう。私が「これはもはや戦場の軍規か?」と突っ込みたくなるほど細かい。緊張と苛立ちの中で、私は訓練用の銀のフォークを何本も、ぐにゃりと曲げてしまった。執事が顔色一つ変えずに新しいフォークを差し出してくる様子は、ある意味恐怖である。


だが苦行はまだ続く。淑女としての教養を叩き込まれた後は、今度は騎士たちとの武芸訓練。午前中は礼儀作法で手足を縛られ、午後は剣と盾で泥にまみれる。令嬢らしからぬハードワークに、私は何度も「どっちかにしてくれ!」と叫びかけた。だが叫んだところで母は「両方できてこそ、淑女なのよ」と涼しい顔で言うに決まっている。


かくして、息をつく間もない日々が三ヶ月続いた。寝ても覚めてもマナー、稽古、礼儀、剣。気がつけば、私の背筋は自然と伸び、ティーカップを持つ指先も淑やかに揃い、微笑み方さえも訓練されたものになっていた。


――七歳にして、私は「淑女」となった。


だが、内心はもちろん平凡な淑女ではない。権謀術数を胸に隠し、過労死社畜の精神を持ち、皇子との婚約を阻止するべく暗躍する転生者だ。


そして今――茶会の日がやって来た。


私は磨き抜かれたドレスに身を包み、鏡に映る自分を見つめる。誰がどう見ても完璧な令嬢。けれどその胸の奥では、呟かずにはいられなかった。


「これ、どう見ても婚約一直線じゃないか……」


そうして私は、滅びの運命へと続くレールの上に、よりにもよって自分の足で乗り込んでいったのである。


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全然知らん乙女ゲームに転生したんだが 墓場のユウレイ @u-ray_hakaba

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