新人冒険者の眩しさと、どうでもいい意地

猫との死闘(という名のドタバタ劇)から数日。カインとリリアの日常は、すっかり元の気だるい軌道へと戻っていた。

ボロボロにされたリリアのローブは新調する金もなく、今は予備の、さらにサイズの合わないローブを着ているせいで、彼女の機嫌は常に低空飛行を続けている。


「そういえば、あの新人たち、どうしたんスかね」


リリアが、エールの泡を口ひげのようにつけながら、唐突に思い出したように言った。


「ああ、あのキラキラした連中か。てっきり、もうゴブリン退治に出発したもんだと思ってたが」

「ギルドの噂じゃ、まだ街にいるらしいッスよ。初仕事だからって、慎重に準備してるんだとか。図書館でゴブリンの生態を調べたり、武具屋の親父さんに効果的な戦い方を聞いて回ったりしてるって話ッス」

「へえ。見かけによらず、石橋を叩いて渡るタイプか。感心だな」

「つまらないッスね。若者なら、もっとこう、猪突猛進に砕け散るべきッス」

「お前の若者像は、どうなってんだ」


カインが呆れたようにツッコミを入れた、その時だった。

酒場の入口がカラン、と軽やかな音を立てて開いた。噂をすれば影、とはよく言ったもので、入ってきたのはまさしく、あの新人パーティーだった。


数日前と変わらず、その身にまとう装備はピカピカだ。だが、その表情は以前のような根拠のない自信だけでなく、入念な準備によって裏打ちされた、確かな決意のようなものが加わっているように見えた。


「よし、みんな! 準備は万端だ。今日こそ、俺たちの初仕事を成功させよう!」

「ええ!」

「頑張ろう!」


彼らは、まっすぐに依頼掲示板へと向かう。その様子を見て、カインとリリアは顔を見合わせた。


「なるほど。満を持して、正式に受注しに来たってわけか」

「あのゴブリン退治の依頼、まだ残ってたんスね。誰もやりたがらないのか、それとも……」


リリアの言葉通り、ゴブリン退治の依頼書は、数日前と同じ場所に貼られたままだった。どうやら、彼らが準備をしている間に、他のパーティーが受注することはなかったらしい。


「見てみて! やっぱり、これしかないよね!」


盗賊の少年が、数日前と全く同じように、ゴブリンの巣の討伐依頼を指さす。リーダーの剣士も、力強く頷いた。


「ああ。相手にとって不足はない!」


その自信に満ちたやり取りを見ていたリリアが、ふん、と鼻を鳴らした。そして、わざとらしく、しかし新人たちにはギリギリ聞こえない絶妙な声量で呟く。


「……準備に何日もかけて、やっとゴブリン退治ねぇ。どうせ返り討ちに遭って、べそかいて帰ってくるのがオチッスよ。せっかくピカピカにした装備も、泥とゲロまみれッスね」


それは、余計な一言だった。

いや、余計な一言で済めば、まだマシだった。

運悪く、新人パーティーの中で一番耳の良い盗賊の少年の耳に、その呟きははっきりと届いてしまっていたのだ。


「……なんだって?」


少年が、ゆっくりとこちらを振り返る。その顔は、怒りでほんのりと赤い。

しまった、とカインは思ったが、もう遅い。リリアは、しまったという顔すらしていない。むしろ、面白いことになってきた、とでも言いたげな、不敵な笑みを浮かべていた。


「おい、聞いただろ。あそこの人たち、僕たちのことを馬鹿にしてるみたいだ」

「なんだと?」

「本当!?」


新人パーティーの三人が、揃ってカインとリリアのテーブルへと詰め寄ってきた。その目は、先ほどまでの希望に満ちた輝きとは違う、敵意の光を宿している。


「今、俺たちのことを笑いましたね?」

リーダーの剣士が、詰問するような口調で言った。

リリアは、悪びれる様子もなく、椅子に座ったまま彼らを見上げる。


「笑ってなんかないッスよ。ただ、事実を述べたまで。ゴブリンっていうのはね、君たちみたいな新人が、おとぎ話の知識だけで挑んで勝てるほど、甘い相手じゃないんスよ」

「なっ……! やってもいないうちから、どうしてそんなことが分かるんですか!」

「分かるんスよ。君たちのその、根拠のない自信に満ちた顔を見てればね。そういうタイプが、一番最初に死ぬ」


リリアの言葉は、正論だった。そして、正論であればあるほど、人はそれに反発したくなる生き物だ。特に、若く、プライドの高い少年少女にとっては、なおさら。


「ひ、ひどい! 私たちは、真剣に冒険者として頑張ろうって思ってるのに!」

魔法使いの少女が、目に涙を浮かべて抗議する。

それを見たリリアは、さらに追い打ちをかけるように、冷たく言い放った。


「頑張るのと、無謀なのは違うッス。ゴブリンは臭いし、汚いし、思ったよりずっと強い。集団で襲ってくるし、不意打ちもしてくる。おまけに、持ってる武器は大概サビサビで、こっちの装備までダメになる。そんな割に合わない仕事に、夢とか希望とか持ち込んでどうするんスか。馬鹿みたい」


それは、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。

かつて、自分も彼らのように輝いていた。夢と希望を胸に、どんな困難にも立ち向かえると思っていた。だが、現実は違った。そのギャップを知っているからこそ、彼女の言葉には、奇妙な説得力と、そしてどうしようもない棘があった。


「……っ!」


新人たちは、言葉に詰まった。

正論で殴られ、返す言葉もない。だが、このまま引き下がるのは、彼らのプライドが許さなかった。

リーダーの剣士は、悔しさに顔を歪めながら、カインとリリアの姿を、そのテーブルの上にある空のジョッキを、侮蔑するように見下ろした。


「……あんたたちみたいに、なりたくないね」


ぽつり、と。

絞り出すような声が、酒場に響いた。


「昼間から酒場でくだを巻いて、他の冒険者の悪口を言って、何もしない。そんな、腐った冒険者にだけは、俺たちは絶対になりたくない!」


その言葉は、刃となって二人の胸に突き刺さった。

いや、カインはまだマシだった。「まあ、事実だしな」と、どこか客観的に受け止めている部分があったからだ。

だが、リリアは違った。

彼女の顔から、すっと表情が消えた。いつも浮かべている気だるげな笑みも、人を小馬鹿にしたような態度も、全てが消え失せ、能面のような無表情になった。

そして、ゆっくりと立ち上がった。


「……カインさん」

「……ああ」


カインには、彼女が何をしようとしているのか、手に取るように分かった。そして、それを止める気にもなれなかった。

なぜなら、カイン自身も、心の奥底で、ちりりと燃え上がる、どうでもいい意地のようなものを感じていたからだ。


腐った冒険者。

その言葉は、的確に、彼らの核心を突いていた。

自分たちでも、そう思っている。だが、それを、昨日今日ギルドに登録したばかりの、世間知らずの若造に言われるのは、我慢ならなかった。

それは、ひどく、どうでもいい意地だった。


リリアは、新人たちの横をすり抜け、まっすぐに依頼掲示板へと向かった。

そして、彼らが受けようとしていた、ゴブ-リーダー討伐の依頼書を、ためらいなくひっぺがした。


「え……?」


新人たちが、呆然とした声を上げる。

リリアは、その依頼書を手に、受付カウンターへと向かう。


「受付さん。この依頼、私たちが受注するッス」

「え、あ、はい。承りました」


受付の少女が、戸惑いながらもスタンプを押す。

リリアは、受注証明の印が押された依頼書をひらひらとさせながら、新人たちの前に戻ってきた。そして、にこり、と。実に、実に綺麗な笑みを浮かべてみせた。


「悪いけど、この依頼、先に受けさせてもらったッス。あんたたちみたいなひよっこには、まだ早すぎるからね」

「な……! なんてことを!」

「汚いぞ!」


新人たちの抗議の声を背中に受けながら、リリアはカインの元へと戻ってきた。その顔には、すっかりいつもの不敵な笑みが戻っている。


「さ、行くッスよ、カインさん。ゴブリン退治」

「……お前なあ」


カインは、頭を抱えたい気分だった。

勢いで、一番面倒くさい依頼を引き受けてしまった。あの新人たちへの、全くもって生産性のない意地のためだけに。

だが、同時に、心のどこかで、ほんの少しだけ、わくわくしている自分もいた。

退屈な日常に、無理やり石を投げ込んだような、そんな感覚。


「見てなさいッス、あの新人ども。腐った冒険者の、腐ったなりの戦い方ってやつを、見せてやるッスよ」

「それ、全然かっこよく聞こえないんだが」


軽口を叩きながら、カインも席を立つ。

こうして、二人のしがない冒険者は、全くもって不純な動機で、数年ぶりとなるゴブリン退治の依頼へと赴くことになった。

その先で、自分たちの想像を少しだけ超える面倒くさい事態が待っていることなど、この時の彼らは、まだ知る由もなかった。

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