暇を持て余した冒険者たちの身の程を知るための観察日誌

メロンパン

いつもの酒場と動かない依頼掲示板

午後の日差しが、大きな窓ガラスを通り抜けて床にまだら模様を描いている。空気中を漂う細かな埃が、その光の筋の中でキラキラと、まるで意思を持っているかのように舞っていた。

ここは中堅都市アスティアの冒険者ギルドに併設された酒場、『木漏れ日の亭』。その名の通り、昼間は心地よい日差しが差し込む、開放的な造りの店だ。


もっとも、その心地よさを純粋に味わっている客がどれほどいるかは、甚だ疑問であったが。


酒と油の染みついた木のテーブル、壁際に立てかけられた剣や槍、カウンターの奥で微かな光を放つ魔法道具の数々。そして、それらを取り巻くように満ちているのは、決して芳しいとは言えない、汗と土と、それから微量の血の匂い。それらが混じり合った、冒険者特有の生活臭だった。


時刻は昼下がり。本来であれば、屈強な冒険者たちが依頼を求めて活気づく時間帯――というのは、もはや吟遊詩人が歌う物語の中だけの話だ。現実の『木漏れ日の亭』は、依頼を終えて一杯ひっかけている者、あるいは、そもそも依頼を受ける気など毛頭ない者たちによって、気だるい空気に支配されている。


そんな酒場の、一番隅。窓からの日差しも届きにくく、他の客の喧騒からも絶妙に隔離されたテーブルで、二人の男女が木製のジョッキを傾けていた。


「……で、結局ゴブリンの巣を潰したダグさんが、その手柄を横取りしようとした小役人を、酒場で一発殴って牢屋にぶち込まれた、と。この話、先週も聞いたな」


男が、ポツリと呟いた。

特徴のない茶髪に、人の良さそうな顔立ち。服装は量販品の革鎧に、擦り切れたマント。どこにでもいる、と言われればそれまでの、没個性な出で立ちの男。名をカインという。D+ランクの、しがない冒険者だ。


彼の視線の先、店の中心にある暖炉の前では、傷だらけの顔をした大男が、数人の若手を相手に、さも今朝見てきたかのように己の武勇伝を語っている。通称「ドラゴンころしのダグ」。もっとも、彼がドラゴンを斃したという確かな記録は、ギルドのどこにも残ってはいない。


「ドラゴンころし、って二つ名もどうなんスかね。この辺の生態系に、ドラゴンなんて高コストな生物、生息してないッスよ」


カインの呟きに、気だるげな声が応じた。

少しクセのある栗色の髪を無造作なポニーテールにした少女――リリアだ。少しつり上がった猫目が、眠たそうに細められている。サイズの合っていないぶかぶかのローブは、かつての師匠からのお下がりらしい。ランクはD。カインより、ほんの少しだけ下だ。


彼女はジョッキに残っていたエール――ドワーフが造ったという触れ込みの、安い割にアルコール度数だけは高い『ドワーフの溜息』――をぐいと飲み干すと、盛大にため息をついた。


「はぁ……暇ッスね」

「違いない」


二人は特にパーティーを組んでいるわけではない。

かつて所属していたパーティーがそれぞれ解散し、新しい居場所も見つけられず、かといって一人で高難易度の依頼に挑むほどの腕もなく。そうこうしているうちに、同じように『木漏れ日の亭』で昼間から時間を潰している同類として、なんとなく話すようになった。いわば、「暇」を介した緩やかな連帯。それが、今の二人の関係性だった。


「なんかこう、もっとこう、ないんスかね。一攫千金的な依頼が」

「あるわけないだろ。そんなもんがあったら、俺たちの耳に入る前に、Bランク以上の連中がかっさらっていく」

「夢がないッスねぇ」

「夢を見ていいのは、せいぜい10代までだ」


カインはそう言って、酒場の壁に設置された巨大なコルクボード――依頼掲示板に視線をやった。そこには、羊皮紙に書かれた様々な依頼が、ピンで雑に留められている。


【緊急依頼!ゴブリンの巣 討伐隊募集!】

内容:南の森に発生したゴブリンの巣の掃討。

推奨ランク:E+以上

報酬:ゴブリン一体につき銅貨5枚。リーダー格は銀貨1枚。


「ゴブリンか……。あいつら、臭いし、汚いし、地味に連携してくるから面倒なんだよな」

「わかるッス。あと、持ってる武器が大概サビサビなんで、こっちの装備までダメになるんスよね。割に合わないッス」


【薬師ギルドより。薬草『月見草』の採取】

内容:月光の下でしか咲かない月見草の採取。崖っぷちに自生していることが多い。

推奨ランク:F以上(ただし相応の登山技術を要す)

報酬:一束につき銀貨2枚。


「夜中の崖登りとか、自殺行為でしょ。足滑らせて死んでも、労災は下りないッスよ」

「そもそも、夜は寝たい」

「正論ッス」


【緊急!下水道に巨大ネズミ発生!】

内容:商業区画の下水道に巣食った巨大ネズミの駆除。

推奨ランク:E以上

報酬:銀貨5枚。


「却下」

「却下ッス」


二人の声が綺麗にハモった。理由は言うまでもない。臭いからだ。冒険者とて、好きで臭い場所に行きたいわけではない。


「……ろくなのがないな」

「平和ってのも、考えものッスねぇ。魔王でも復活してくれれば、世の中にもっと金が回るのに」

「そういう物騒なこと言うなよ。魔王が復活したら、真っ先に死ぬのは俺たちみたいな下っ端なんだぞ」

「あ、それもそうッスね」


リリアは納得したように頷くと、空になったジョッキを掲げて、カウンターに向かって声を張った。

「マスター! 『溜息』おかわりッス!」

「俺も頼む」


すぐに、恰幅のいいマスターが慣れた手つきでエールを注ぎ、ギルド職員の少女がテーブルまで運んでくる。ここの職員は、ギルドの受付業務と酒場のウェイトレスを兼任させられていることが多い。重労働だろうな、とカインは他人事のように思った。


「……それにしても、あの新人たち、まだいたんスね」


新しいジョッキを受け取ったリリアが、顎で入口近くのテーブルをしゃくった。

そこには、三日前にギルドに登録したばかりだという、三人組の新人パーティーが座っていた。ピカピカの鎧に身を包んだ剣士の少年、真新しい杖を抱えた魔法使いの少女、そして小柄ながらも溌溂とした様子の盗賊の少年。誰もが、希望と野心に満ちた、キラキラした目をしている。


「『俺たちは、このアスティアから伝説を始めるんだ!』って息巻いてた連中か」

「そうッス。若さって、時に凶器ッスよね。見てるこっちの目が潰れそう」

「お前だって、まだ十分若いだろ」

「心がもう古老なんスよ。故郷じゃ神童だなんだって持て囃されて、意気揚々と都に出てきたはいいものの、現実はこのザマ。酒場で昼間から管を巻く毎日……。もう、あの眩しさは身に毒ッス」


リリアは、どこか遠い目をしてエールを呷る。彼女がこの街に来て、自信満々だった鼻っ柱をへし折られて、こうして酒場で時間を潰すようになるまで、そう長い時間はかかっていない。田舎の神童は、都会ではただの人。よくある話だった。


「まあまあ。あいつらも、三日もすれば現実を知るさ。あのゴブリン退治の依頼、受けるか受けないかで賭けるか?」

「乗ったッス。私は『受けない』に銀貨一枚。あの手のタイプは、意外と初手は慎重にいくはずッス」

「じゃあ俺は『受ける』に銀貨一枚だ。若さってのは、時に慎重ささえも追い越していくもんだ」


二人がそんな下らない賭けをしていると、案の定、新人パーティーのリーダー格である剣士の少年が勢いよく立ち上がり、依頼掲示板へと向かっていった。彼の指が、まっすぐにゴブリン討伐の依頼書を指し示す。


「よし、決まりだ! 俺たちの初仕事はゴブリン退治だ!」

「おお、燃えるな!」

「腕が鳴るわ!」


少年たちの声が、酒場にやけに大きく響いた。その声に含まれた熱量に、周囲の気だるい空気が一瞬だけ揺らぐ。彼らは依頼書の前で、早速「斥候はどうする」「魔法の連携は」などと、意気揚々と作戦会議を始めてしまった。その様子は、まるで明日ピクニックにでも出かける子供のようだ。


リリアは、まるで油の浮いたスープでも見るかのような目で彼らを見つめ、やがて深々とため息をついた。


「……ちっ。私の大事な銀貨が……」

舌打ちと共に、リリアは懐から銀貨を一枚取り出し、不満げにテーブルに滑らせる。

「ほらよ、カインさん。これでまた『溜息』が一杯飲めるッスね、よかったよかった」


「ごちそうさん」

カインはニヤリと笑い、その銀貨をひょいと指で弾いて掴み取った。「受ける」という、その意思表示だけで賭けは成立だ。


「だが、あいつらもいつか学ぶだろ。冒険っていうのは、夢とか希望とかじゃなくて、いかに割に合わない仕事を避けるかっていう、消去法の連続なんだってことをな」

「ただの怠け者の言い訳を、それっぽく言うのやめてもらっていいスか」

「否定はしない」


カインは悪びれもせずに肩をすくめた。

そんな二人の視界の端で、別のテーブルがやけに盛り上がっているのが見えた。男女混合の五人組パーティーだ。装備はどれも一級品で、テーブルの上には、この酒場では滅多に見ない、ボトルで頼むタイプの高級そうなワインが置かれている。


「あれ、『銀の疾風』ッスね」

「ああ、Cランクの……。最近、羽振りがいいって噂の」


『銀の疾風』は、このアスティアではそこそこ名の知れた中堅パーティーだ。リーダーの銀髪の剣士はなかなかの腕利きで、パーティーメンバーも粒ぞろいだと聞く。それにしても、彼らの懐事情は、その実力以上に見えた。


「リーダーのレオンさん、最近、商工会長の娘さんと懇意にしてるらしいッスよ」

「ああ、なるほど。パトロンか」

「世の中、結局は金とコネなんスよ。真面目にゴブリン退治してるのが馬鹿らしくなるッス」


リリアは、まるで熟練の情報屋のように、どこからか仕入れてきたゴシップを披露する。暇を持て余した彼女は、こうして酒場の人間模様を観察し、分析するのが日課になっていた。その観察眼は、時折、妙に鋭い。


「まあ、他人は他人だ。俺たちは俺たちのできることを……」

「何もしない、と」

「……そういうことだ」


カインが頷いた、その時だった。

ギルドの入口の扉が勢いよく開き、一人の男が血相を変えて駆け込んできた。ギルド職員だ。


「大変だ! 商業区画で荷馬車が暴走! 誰か、腕に覚えのある者はいないか!」


その声に、酒場の空気が一瞬で張り詰める。

ダグが、レオンが、そして他の冒険者たちが、一斉に腰を上げた。それは、日々の退屈を吹き飛ばす、久々の「事件」の匂いだった。


「よし、行くぞ!」

「俺たちに任せろ!」


冒険者たちが、我先にと酒場を飛び出していく。さっきまで武勇伝を語っていただけの男も、恋人と談笑していた男も、その顔はすっかり「冒険者」のそれに変わっていた。


あっという間に、酒場は静寂を取り戻す。残されたのは、カウンターで呆然とするマスターと、数人の老人冒訪者、そして――隅のテーブルで、動こうとしないカインとリリアだけだった。


「……行ったッスね」

「行ったな」


カインは、窓の外で巻き起こっているであろう騒動には目もくれず、テーブルの上に残された銀貨一枚を指で弾いた。チリン、と乾いた音が響く。


「荷馬車の暴走ねぇ。下手に止めようとして蹴られたら、骨折じゃすまないぞ」

「馬もパニックになってるだろうし、荷物が散乱したら弁償問題にもなりかねないッス。リスクとリターンが見合ってない」

「それに、ああいうのは大抵、高ランクの連中がしゃしゃり出てきて、俺たちみたいな下っ端が出る幕はない」

「手柄は独り占め、面倒事は下っ端に押し付け。目に浮かぶようッス」


二人は顔を見合わせ、ふっと笑った。

彼らは知っている。英雄的な活躍の裏には、名もなき者たちの無数の打算と、現実的な計算があることを。そして自分たちが、そのどちらかと言えば、計算高く立ち回る側ですらない、ただの傍観者でしかないことも。


「ま、俺たちがしゃしゃり出なくても、誰かがなんとかするだろ」

「そうッスね。それが世界の仕組みってやつッス」


リリアはそう言うと、すっかりぬるくなったエールを、それでも美味しそうに飲み干した。

窓の外からは、遠く、人々の怒号や馬のいななきが聞こえてくる。しかし、その音も、この酒場の隅までは、どこか他人事のようにしか響かなかった。


「……マスター。悪いけど、もう一杯」


カインの声が、静かになった店内に響く。

結局、今日も、何も始まらない。

何も起きない。

けれど、それでいい。今は、まだ。


二人の冒険者と、空っぽのジョッキ。

『木漏れ日の亭』の午後は、いつも通り、緩やかに、そして確実に過ぎていくのだった。

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