第2話 第一皇子
神花の里と呼ばれるフィロの故郷は、南は帝国と接しており、残りの三方を険峻な山々に囲まれた隠れ里のような土地である。樹齢数千年にもなる大木「ユディの神樹」のある聖地で、神樹の慈悲を求めて各地から人が訪れた。ユディとは最初に神樹の種を蒔いた女神の名で、ミユディアという大陸の名の由来にもなっている。
里には古代の言語で書かれた石碑があり、そこにはこう彫られている。
『花枯れ落ちる時、大地に災いあり』
十五年前、母が帝国に嫁いだ日に神樹の花が落ちた。それはまるで母との別れを惜しんで神樹が流した涙のようだった。その日から十五年かけて天候は乱れていき、干ばつ、大雨、水害などが大陸中で起きるようになった。
石碑に彫られた災いとは各地で起きてい天災のことを指しているのだろうか。それともこれらは単なる前兆に過ぎなくて、この先もっと甚大な被害が出るような災害に見舞われるのだろうか。例えば、一つの国が滅んでしまうような――。
いずれにせよ、フィロにはもう成す術がない。
覡が神樹に捧げる舞には三つの種類がある。巡教先で舞うのはカリスの舞、ユディの神樹のために舞うのはノストスの舞。そして許しを乞うために舞うアナフォラの舞。順番に「恩寵」「帰郷」「請願」という意味の名が付けられている。
三年に一度半年かけて各地でカリスの舞を舞い、旅から戻るとノストスの舞を欠かさず舞ってきた。アナフォラの舞は特別な日のためのものなので普段舞うことはないが、ノストスの舞は旅に関わらず日頃から捧げており、フィロが教わってきた覡としての務めは一つも怠らずこなしてきたつもりだ。
けれども覡の力は一向に育たず、神樹は蕾さえつけなかった。それが神樹からフィロへの答えでなければ、何だと言うのだろう。
黒鉄の城に到着したフィロたちは城内の宿泊室で一泊した。翌日、定例会の時間になると案内のために兵士が遣わされた。その後ろをついていきながら、フィロはイピレティスに声を掛ける。
「イピレティス。一つ話をしてもいいかな」
はて? というように気配が半歩後ろで首を傾げた。
「こんな時にこの話をするのは卑怯かも知れない。でもこんな時でなければ私は怖気づいてしまいそうだから言ってしまうね」
階段を上がり切れば玉座の間に辿り着くところまで来てフィロは立ち止まった。先導していた兵士はそれに気付かず先に行ってしまう。
「今回で覡のお役目を降りようと思うんだ」
とうとう言ってしまった。
今回の巡教の旅を始めた頃から薄っすらと考えていたことで、旅の間に少しずつ決意が固まっていった。
結局今回の旅でもフィロの力は中途半端なままで、快晴の空を見ることも、慈雨を降らすことも出来なかった。ほんの少し雲を払うか、或いはしとしととした弱い雨を降らせるだけ。そんなものでは作物の不作に喘ぐ民の心は休まらない。
「覡としての力の成長はもうとっくに止まっている。私ではもう、神樹の花を咲かせることは出来ないだろうから」
限界を悟った時に覡を辞める。それがきっとこの世界のためになると信じるしか、フィロに出来ることはもう無かった。
「何を……」
驚き過ぎたのかイピレティスは言葉を出せずにいた。皺の刻まれた瞼の奥で目玉を震えさせている。
予想していた反応だったがそれでも胸が痛んだ。早くに両親を亡くしたフィロをここまで育ててくれたイピレティスの、立派な覡になってほしいという思いに応えられなかったことが悔しい。けれどそうした感情と共にどこか清々しくもある。もう抱えきれない重圧に悩まなくて済むのだという解放感さえあった。
「私は『欠け花』の『忌み紋』だから、もっと早くに退くべきだったんだ」
自分で言いながら胸の奥を掴まれるような苦しさに苛まれ、フィロは胸に手を当てた。
手の下には覡を継ぐ資格を持つ者の体に現れる「花の紋」と呼ばれる痣がある。フィロの真っ青な目と同じ色をしたそれは青い薔薇――この世に存在しない不吉の象徴とされる「忌み紋」で、更に右上の花弁が欠けた「欠け花」の二つの忌避すべき特徴を宿していた。
それらはどちらも覡には相応しくないとされるもので、本来なら完全な花の形をしたもっと美しい花の紋を持つ者が覡に選ばれるのだが、母が去った当時フィロの他に花の紋を持つ者が居なかったため欠けた青薔薇を持つフィロが覡を務めるほか無かった。
覡を継いですぐは自分の花の紋が疎まれている理由がよく分からなかった。欠けているから何だ、青い薔薇が何だと思っていた。しかし巡教の旅を始めるようになると、母の時代を知る者たちの落ち込みぶりから自分が優れた覡ではなかったのだと嫌でも知ることになった。覡の評判ごと神樹の価値まで貶められて、花覡の一族や里人からの態度も冷たいものに変わっていった。
幸いだったのはフィロには優秀な後継覡が居ることだろう。
「エレナはもう十四歳だ。私が覡として巡教を始めたのが十歳だったことを思えばきっと大丈夫。あの子は賢いし、立派に覡をこなせるよ」
エレナの額には桃色のピオニーが咲いている。美しく豪奢で完璧な花の紋が。
「ええ、ええ。それはもうエレナ様は、覡として申し分の無い知識と舞の技術を身に付けられました。このイピレティス、エレナ様幼少のみぎりよりの涙ぐましい努力を傍で見て参りました。ですが……!」
「さぁほら、もう玉座の間に着く」
「フィロ様!」
「声が高いぞ」
「は……これは、失礼を……」
温厚なフィロが珍しく厳しい声を出すと、老爺は歯を食い縛るようにして言いたかった言葉を必死で飲み込んだ。
許せ、と胸の内で唱えた。議論を交わすことの出来ない場所で一方的に宣告することの残酷さを、フィロはよく知っている。
母はあの日、何の相談もなく帝国へと嫁いでしまった。それを知ったのは今まさにフィロが立っているこの場所、黒鉄の城の玉座の間だ。既に夫と子のある身でありながら、里には他に皇帝との婚姻に相応しい人間が居ないという理由で、母はフィロの母ではなくなった。すぐにそれが所詮表向きのものでしかないことを悟った。皇帝から母に対してしつこく手紙が送られてきていたことをフィロは覚えていた。
たった四歳の子供に何が言えただろう。けれども母の口から聞きたかった。再び会えると言ってほしかった。
神花の里の絹で織った赤い絨毯の上を進み、フィロはステンドグラスが嵌った窓を見上げる。それからずらりと並んだ真鍮製の燭台を見て、壁に掛かった皇帝と亡き皇后の似姿にいっとき目を奪われる。そして最後に黄金の玉座へ視線を向けた。
元が軍事拠点である石造りの無骨な城には不似合いな装飾ばかりだ。これらが全て高く引き上げた税によって賄われていると思うと途端に胡散臭く見えてくる。
玉座の間には既に多くの帝国貴族と属国の代表者が介していた。それぞれ隣国の有力者たちと縁を深めるのに勤しんでおり、あちらこちらから話し声が聞こえてくる。
見知った顔があればフィロも挨拶をするべきかと考えていたが、誰もフィロに関心を向ける者は居ない。ちらほら見覚えのある人物を見かけたものの会話に夢中でこちらに気付く様子もなかったので、結局誰にも声を掛けないまま末席に腰を下ろした。椅子の後ろに控えたイピレティスが鼻息を荒くしている。覡を無視するとは、と憤っているのだろう。
フィロへの無関心は、そのまま神樹への無関心を表している。十五年かけてフィロがやってきたことは、神樹の威光を削ぐことだったのだと思うと虚しくなった。
末席で小さくなっていると、奥にある扉からクリストフが入ってくるのが見えた。しかしやはりというべきかフィロには一瞥もくれなかった。嫌味を言われずに済むと思うとほっとしてしまう。会う度に態度が悪くなるのを見ていると、自分はこうも蔑まれなければならないほど愚かなのかと怖くなるのだ。
クリストフは第二皇子として悠然と進んでいき、玉座から最も近い場所に用意された席に腰を下ろした。
それを見届けたフィロは驚いて、思わず周囲の反応を確かめた。しかし、帝国貴族たちの誰もクリストフの行動を咎めようとしていない。属国の代表者の中には動揺を露わにしている者も居たが、属国という立場では疑問を口にするだけでも憚られるだろう。
「やはり噂は本当のようだね」
「そのようでございますな」
この場に集まった者たちは皆どこか浮ついていた。その理由には概ね察しがつく。今回の定例会で、二人の皇子のうちどちらかが立太子されるのではという噂があるのだ。立太子とはつまり皇太子になることを指し、その者は皇帝の第一継承者となるのだが、帝国のしきたりに倣うなら第一皇子こそが皇太子に相応しいはずだった。クリストフが座ったのはその第一皇子が座るはずの椅子だ。
クリストフは玉座の隣でふんぞり返っており、その表情には自信が溢れている。まるで自分こそが皇太子に相応しいと信じ切っているかのように。
一方、第一皇子は間もなく皇帝が現れようという時間になっても姿を見せないでいる。
第一皇子とは一体どんな人なのだろうと考えるフィロの目に、壁に掛かった皇后の似姿が留まった。
「皇后様は第一皇子が三つの頃、お隠れになったのだったな」
「ええ。国民からも慕われていたようで、民は皆黒衣に身を包み一年間喪に服したそうです」
長い間子に恵まれなかった皇帝のもとに生まれた念願の男児誕生の報せは、神花の里に限らず全ての国へ瞬く間に届けられた。それから帝国では三十日もの間、第一皇子の誕生を祝い尽くしたと聞く。しかし皇后は産後の肥立ちが悪く、病状の回復と悪化を繰り返して三年でこの世を去ってしまった。
黒い髪を持ち、美しく聡明な女性だったという皇后だが、どういう訳かその息子である第一皇子についての噂はほとんど出回っていない。フィロが知っているのはその名と自分と同い年だということくらいだ。
表舞台に姿を現わさない理由については様々な憶測が飛び交っている。病弱であるとか、小心で人前に出ると卒倒してしまうとか、逆に放蕩者であるとか。皇帝に冷遇されているという噂もある。
フィロとしては親しみやすい人だと嬉しい。互いに母を亡くした者同士、分かり合えることがあるような気がしている。フィロは傲岸不遜なクリストフに表舞台を取られてしまうような、気弱で儚げな皇子を勝手に想像していた。
覡を退いた後は、母と同じように帝国貴族と政略結婚をすることも仕方がないと考えているため、帝国内に気兼ねせず話が出来る相手が欲しかった。フィロが覡を辞めればイピレティスもエレナの従者を務めるため、帝国に来る時は一人きりだ。
結婚か、と心の中で独りごちる。全く現実味がない。恋愛をしている暇なんて無かったし、友人さえ居ないフィロにとって結婚は何かの都合によって決まるものという印象しかない。例えば、属国を支配するためとか。
「お集まり頂いた皆様方、陛下のおなりでございます」
すす、と影のように出てきた宰相が思いのほか通る声で呼び掛けると、そこかしこで歓談していた各国の要人たちが銘々自分に相応しい椅子に座っていく。フィロも思考を中断して姿勢を正した。
玉座に近い方に座っているのは黒鉄の帝国の有力貴族。中間付近は属国の代表者。末席は属国の中でも小さな国と暗黙のうちに決まっている。
神花の里は属国ではないが、若輩であるフィロに筋骨隆々とした武人や狐のように狡猾な目をした老獪たちを押しのけて玉座側に座るほどの厚かましさは持てそうになかった。
奥の扉を兵士が恭しく開くと、いよいよ皇帝が姿を現わす。
そわそわして落ち着きのなかった空気が音を立てて張りつめるのがフィロにも分かった。小声で続いていた会話が見事に止んで、皇帝の鳴らす鉄靴の音だけがカツン、カツン、と威圧的に響く。
気付くとフィロは皇帝を睨むようにしていた。小さく頭を振って、自分が神花の里の代表であることを思い出す。
ベルベットのマントを靡かせ玉座に進んでいく皇帝を、複雑な思いで見ていたフィロだったが、不意に動悸がして胸を手で押さえた。
「フィロ様?」
心配するイピレティスの声がして問題ないと首を振る仕草で伝えたが、習慣にしている「あること」を今朝は忘れてしまっていたことに気付く。その反応を見てイピレティスがすぐに状況を察した。
「もしや、
「うん……でも大丈夫。心配いらない」
フィロにとって因縁のある土地に訪れたことやクリストフとの再会に、自分で思うよりも平静を失っていたらしい。命を繋ぐために必要な習慣を忘れてしまうなんて。
意識したからなのか途端に息が苦しいような気がしてくる。しかし定例会はこれからだ。椅子を立ったりして不用意に目立つようなことは避けたい。自分の体を騙すつもりで背筋を伸ばし、玉座の方に僅かに体の向きを変えた。
「おお、そなたはフィロ殿ではないか」
視線を上げたフィロの目に茶髪と白髪が混じった何色とも表現し難い短髪が映り込む。その頭に王冠を戴く初老の男こそ、皇帝ヴァルター・フォン・シュヴァルツェスだ。鷹のように鋭く濃い茶色の目に捉えられて勝手に身が竦む。
「何故神花の花覡がかような末席に座っておるのだ。さぁこちらへ」
手招かれるままについ席を立ってしまってすぐに後悔した。玉座の近くで空いている椅子と言えば一つしかない。
「そこへ座りなさい、フィロ殿」
そこ、と言うヴァルターの視線の先にはクリストフが座るはずの第二皇子のための椅子がある。他より僅かに華美な細工が施された椅子。もし第一皇子が現れたらきっと彼が座るはずの椅子だ。ここにきて初めて諸侯の刺すような視線がフィロに集中する。
拒絶の意図を込めてヴァルターの目を見たが、相手は無言でフィロを見下ろしている。無表情に近いその顔からは何の感情も読み取れない。
どうしてこんな仕打ちをするのだろう。そこに座ってしまえばフィロまでもが第一皇子を侮辱しているように見えてしまうというのに。クリストフとの関係が上手くいかない分、せめて第一皇子と親しくしたいというフィロの希望が打ち砕かれていく。
しかしフィロに拒否する権利は無いようなものだ。それにこれ以上周囲の注目を集めたくなかった。
「失礼、します」
胸の前で手を合わせて深く礼をして、皇子のために用意された椅子に腰を下ろす。綿を詰めた柔らかい座面の感触に分不相応なことをしていると咎められているようで、ただでさえ速くなっていた心拍が嫌な音を刻み始める。
そっと影のようについてきたイピレティスからも動揺が伝わってくる。従者の同席を許されたことだけが救いだ。
「では、始めよう。――宰相」
短く返事をした宰相の手には皇帝の勅令が記された令状があった。脇から静かに進み出てきた宰相は令状を顔の高さまで持ち上げて内容を読み上げていく。
「ヴァルター・フォン・シュヴァルツェス皇帝陛下は百日後に退位なさるご意向を示されました。つきましては第二皇子のクリストフ・フォン・シュヴァルツェス殿下を皇太子とお認めになられます」
毒蛇の潜んだ森のような静けさを保っていた玉座の間が一瞬でどよめいた。まるで蛇の天敵でも現れたかのようだ。可哀想にと第一皇子を憐れむ声も聞こえてくる。
様々な思惑を孕んだざわめきを断つべく敢えて大きな所作でクリストフが立ち上がった。優雅な微笑みを湛えて諸侯の視線を一身に浴びながら玉座の前までやってくると、皇帝に一礼してから諸侯へと向き直る。
その一連の流れがフィロには夢でも見ているかのように茫洋として見えていた。焦点を合わせられなくなり、視界が滲んでいく。神水を飲み忘れた影響がどんどん強くなっていた。
ここで倒れる訳にはいかないと膝の上で拳を握って懸命に体を伸ばすと、冷たい汗が背筋を伝い降りていった。
「私、クリストフ・フォン・シュヴァルツェスは父王の志を継ぎ、黒鉄の帝国の皇帝となった暁には皆々様に栄華の時代をお約束いたします」
高らかに宣言したクリストフが皇太子というよりは舞台役者のような華やかな仕草で一礼してみせると、一斉に拍手が起こった。誰も彼も第一皇子の存在を忘れてしまっているかのようだ。
フィロにとっても誰が皇帝になろうとさほど関係無い。覡は里の政に関わることは出来ないので、一刻も早く定例会が終わってくれと祈るような思いで拍手をする。
手を鳴らすたびにぐわんぐわんと視界が揺れた。神水を飲み忘れたのなんていつぶりだろうか。一日飲み忘れた程度で死にはしないだろうが、こんなにも体が辛くなるものだとは思わなかった。この苦しみは体が着実に大人に近付いている証だ。
頭の芯を揺さぶるような拍手を聞きながら、意識が遠くなり始めた時だった。末席の方から拍手が止み始め、嵐のようだった喝采が静まり返っていく。思わずといった風に誰かの呟く声が聞こえた。「アインズハート殿下」と。
「兄様……!」
クリストフの呟きには驚愕と憎悪が入り交じっていた。ヴァルターは泰然としたまま玉座から自分の息子を見下ろしている。
フィロはその凛とした立ち姿に目を奪われた。想像の中の第一皇子はフィロよりひ弱で儚げな姿だったが、実際の彼は全く異なっていた。
背は高く、肩幅があり、彼が纏う覇気は馬上で剣を掲げて兵士を率いる勇敢さを想起させる。先王の時代に戦を経験しており豪勇で知られた現皇帝に見劣りせぬ風格が備わってた。
式典用の瀟洒な服に身を包み、短く真っすぐな黒髪を後ろに撫でつけた姿で現れた彼こそ、この国の第一皇子アインズハート・フォン・シュヴァルツェスだ。赤い眸が印象的で、生母である皇后の似姿にそっくりな美しく凛々しい青年だった。
「遅参の段をお詫びいたします、陛下」
困惑と好奇の視線に晒されながらも威風堂々とした立ち振る舞いで皇帝の前までやってきた。アインズハートは格式ばった所作で一礼し、弟には目もくれず、今度はフィロの方に向かって歩いてくる。何故自分の方へと思ったが、すぐにここが彼の座る椅子であることを思い出し、反射的に立ち上がった。
「っ……」
案の定急に動いたせいで強い眩暈がフィロを襲う。倒れる、と身構えたが、アインズハートが腕を掴んで支えてくれたおかげで何とか踏みとどまった。
「ご、ごめんさい。ありがとうござ――」
「どうやらお疲れの様子。お部屋に戻られた方がよろしい」
お礼を言おうとして遮られ、面食らう。にべもない様子で冷たく言い放ち、アインズハートは素早くフィロから離れていく。数歩の距離を開けて留まったアインズハートは、早く退けと言わんばかりに血のようにも見えるどこか恐ろしげな眸でフィロを見下ろした。その視線のおかげで気遣われた訳ではないのだと瞬時に理解した。
皇帝の視線、クリストフの視線、諸侯の視線に加えてアインズハートの冷血な視線に晒されてフィロは頭が真っ白になった。何かを言わなくてはいけない気がしたが何も出てこない。この場を去るため、頭を下げることしか出来なかった。
「御前を失礼する許しを頂けますでしょうか、陛下」
「許そう」
皇帝の声が遠い。このまま気でも失えれば良かったがそうもいかず、ふらりと体を起こして椅子から離れる。
「兄弟揃って……!」
恨み言を噛み殺してイピレティスが体を支えてくれる。アインズハートの言ったことは間違いではない。神水を飲み忘れたことによる体調不良は確かに限界に来ていた。
だからと言って、あんなに冷たくしなくてもいいのに。
裏切られたような気分だった。
その理由が一方的に期待していたからだと気付くと、今度は一気に惨めになる。
母を亡くし、弟に玉座を奪われた彼にどこか自分を重ねて同情していた。自分の意見も言えないような弱々しい皇子を想像してみて自分を慰めていた。そしてそんな彼となら分かり合えるのではないかなんて勝手な希望を抱いていた。
だがどうだろう、堂々たる振る舞いで現れたあの
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