【3筆目】崩壊
生暖かい風が肌を撫でる。
異変に気づいた近くの騎士が複数名、到着する。鎧の擦れる音にようやく我に返り、俺はゆっくり立ち上がった。掠れた声で「先輩」と呟いたミカに手を差し出し、そっと引き上げる。
騎士たちは先ほど消えた男の背を見たことだろう。こちらには聞こえないくらいの小声で指示を出し合い、その中の一人が急いで図書館の方へ走っていった。
「お怪我は?」
一番近くの騎士が声をかけてくる。「大丈夫です」と答えたミカはそのまま俺の頬に視線を移すが、俺もこの切り傷以外に怪我はない。「特には」と問題ないことを彼に伝えた。こちらの無事を改めて目視で確認するように騎士は鎧の頭部をゆっくり上下に動かして、頷いた。
「あ、あの、今の…なんだったんですか」
「我々もまだわかりません。すぐに駆け付ける事が出来ず、申し訳ございませんでした。…何があったのか詳しくお聞きしても?」
ミカの質問に騎士は真面目に返した。騎士団が腐りかけているという噂を聞いたことはあったが――なんだ、こんな方もいるなら王国も安心だな。そんな少しずれた考えが出るのは、落ち着きを取り戻した証拠だろう。クリアになりつつある思考を巡らせ、答える。
「俺たちも何が何だか。突然襲われて…というかあの人消えましたよね?」
騎士はその「消えた」に否定も肯定もしなかった。不安そうなミカを横目で捉えつつ次の言葉を待ったが、返ってきたのは「ご自宅までお送りします」という求めていたものではない言葉だった。「大丈夫です」「しかし」「大丈夫ですって」「いけません」と、何度かのやりとりの末、結局俺たちは送られることになった。
◇
「記者の方でしたか」
「はい。ここまでありがとうございました」
通信社につく頃には日も落ち、通りも人が少なくなっていた。「クロニクル通信社」と文字の彫られた看板を見た騎士に二人して頭を下げる。何はともあれ、無事に社まで戻ってこれた。
扉を開け受付を通り過ぎ、中へ入る。同僚たちは昼間よりずいぶん減っていたが変わらず忙しそうに執筆作業に勤しんでいた。
「おう、帰ったか」
休む間もなく、背後から声が飛ぶ。
「はい、ただいま帰りました」
「スクープは手に入ったか?ん?」
相変わらず胸元が大きく開いた大胆な格好をしているこの女性は、足元に落ちている書類を拾い上げ机に置きなおし、そのまま年季の入ったソファへ座る。ぎぃ、と音が鳴った。長い髪の毛を手で後ろにかき分け、編集長──ブライア・カースウェルは俺たちの返事を待つ。
「まだ確証はありませんが、おそらく大スクープなり得る話を聞いてきました」
「ほう?内容は?」
「いや~、それが他言無用って言われちゃったんですよね~!」
あはは、と困ったように笑うミカに対して、わざとらしいほど深い溜息をつくブライア。彼女にどう説明しようかと悩んでいた俺が馬鹿みたいだったと、細い目でミカに訴える。
「まあいい。もちろん追うんだろう?」
「はい。俺とミカで引き続き。相手からも連絡をいただける確約をいただいたのでもう少しお待ちいただければ」
「わかったわかった。私は結果を待つことにする。無理だけはするなよ」
近くの救急箱から絆創膏を取り出したブライアは、そのまま俺の手元へそれを置いた。そういえば頬に切り傷を受けていたのだったと思い出す。彼女は背を向けたまま、手をヒラヒラと動かし「都度進捗報告はしろよ」と言い残し編集長室へと戻っていった。再び静かになったこの空間で、俺の深い溜息と、ミカのいつもの困ったような笑いだけが残った。
◇
時計の針は既に真夜中を指していた。ポケットにしまっていた眼鏡をかけ直し、今日の出来事を改めて振り返る時間を過ごしていた。ソフィアが言う魔法が事実だったとして、それは人類に多大な影響を起こすだろう。それもおそらく、悪い方向に、だ。ただの人が突然異常な力を手に入れてしまったらどうなることだろう。考え得る最悪のパターンを何通りか想像したところで、「もう食べられないよ~」と腑抜けた寝言を口にしたミカに気を取られ思わず笑いがこぼれる。…調査はソフィアの話を聞いてからが本番だ。今日はもう、俺も寝て明日に備えよう。
椅子から立ち上がり、なんとなく満天の星空を窓越しに見た。
──空の一部が妙に赤い。国立大図書館の方向だ。
「…なんだ?火事か…?」
窓を開け身を乗り出した瞬間、けたたましいサイレンの音が街中に響き渡った。
飛び起きたミカが「な、な、な、何事ですか?!」と口元の涎を拭いながらこちらに視線を送る。赤い空の近くには煙は見えない。火事だろうがなかろうが、こんなにも離れたこの場所にまでサイレンが響く事などそうそう考えられない。急いで身なりを整え、ミカへ叫んだ。
「急げミカ!図書館の方だ、行くぞ!!」
◇
図書館へ向かう道は、パニックそのものだった。異常が起きているのだろう赤い空の方向から逃げ出してきたのだろう、夜にもかかわらず住民たちが叫びながら走り抜けていく。
「どうしたんですか!」という俺やミカの問いや静止の声には誰一人答えず、この状況の異常さをさらに際立てていた。中には重傷を負った者を背負って走る者もいる。不安と緊張が溢れる中、今度こそ立ち止まらずに走り続けた。
乾いた破裂音が耳を打った。それだけじゃない、何かが燃えるような音、しかし肌が感じるのは氷のような冷たさ。
パニックの一言で表すしかない。俺たちの目の前に広がるその光景は、まさに地獄のような世界であった。「止めて!」と叫びながら目や口から炎が噴出する者。氷の中に閉じ込められた動かぬ者。植物のツルのようなものが巻き付いた家、そしてそこから出るために手を引き裂かれてでも暴れる者。…そしていたるところに転がる、人だったもの。
「…なんだ、これは。何が起きている…?!」
奥歯が震えカチカチと鳴る音が脳に響く。ぎゅ、と俺の腕を掴んだミカも同じような状況であった。近くの街灯が突然弾けて火花を散らし、それと同時に近くに伏していた女性が肩を掴んで揺さぶってくる。
「た、たす、たすけてください!」
女性の掌からは、淡い光が燻っている。一瞬、掴まれていた肩に激痛が走り思わず女性から距離を取った。それに対し女性は謝罪のような言葉を口にしながら狼狽えていたが、すぐ隣の家から噴き出した炎に悲鳴を上げ、そのまま走り去ってしまった。焦げた匂い、熱さと冷たさを繰り返す肌の違和感、泣き声が充満していく。
「……魔法だ」ミカがかすれた声で言った。「図書館……あそこから拡がって……」
ミカの人差し指が真っすぐ国立大図書館を捉える。最中、通りの奥から鎧のぶつかる音が近づいてきた。騎士団だ。彼らは住民を押しとどめながら次々と叫ぶ。
「抑えろ!生存者は病院へ運べ!"不安定"な者は私に報告を!」
「発火が止まらない!水を!」
「報告!!搬送先病院でも同現象が見られます!新たな避難先の指示を!!」
事態の収束どころか、混乱はさらに膨れ上がっていった。怒号、悲鳴、現実とは思えないような光や陣。………街そのものが、何かに侵されていく様子を見つめるほかなかった。
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