たまたま一般人の通りすがりです。たまたま通りすがり一般人だろ!?

タノマヤ

プロローグ


『あなたに金言……いいえ、筋言を授けましょう』


 少年たちが球を蹴りまわし、網で作られた檻の看守を命じられた少年は暇そうにしているような、昼下がりの公園にて。


 俺の美しい筋肉がそっとささやいた。


『勇気がなければ踏み出せず、筋肉がなければ進み出せない』


「ねぇママーあの人ひとりでおしゃべりしてるよー?」


「しー、人を指差しちゃダメからね。あっち行こうね」


 視界の端に、まるで変質者を見て逃げ出すような勢いで子どもの手を引く女性が映るが、いまはそんなことを気にしている場合ではない。


「どういうことだ? 俺に勇気が、ましてや筋肉がないとでも言うつもりなのか」


『……』


 それからいくら問いかけても、役目は果たした。なんて雰囲気を漂わせている筋肉が返事をすることはなかった。


 だがしかし、心の内……いや、心の筋ではわかっているのだ。


「お兄さん、ちょっといいかな?」

 

「俺には、幼いころからの漠然とした夢があった。――強くなりたい」


「そっかそっか、詳しく聞きたいから署まで来てくれる?」

 

「なにか自分の弱さに打ちのめされるようなことがあったのではなく、なにか強くなりたいと願うきっかけがあったのでもない」


「そっかー、お兄さん。もしかしてお酒飲んでる?」


「これはきっと本能なのだ。動物としての――生存本能」


「本能に従うまえに本官に従ってほしいんだけどね」


「つまりは筋トレである。筋肉はすべてを解決する」 


「お兄さん、ちょっと場所変えようか」


「そうして俺は、たとえ成人男性に手を引かれようとも動じないほどの肉体を手に入れた」


「あのね、いま筋トレの成果出されても困るのよ」


「だが足りない。人には勝てても、獣には勝てない」


「法にも勝てないんじゃないかな」


「獣との体格差による筋肉積載量の格差。それを覆すべく俺は考えて、考え抜いて――脳筋を目指すことにした」


「聞いてる? 好きなもの目指したらいいけど、まずは会話の成立を目指そうよ」

 

「かの有名な……? なんとかという偉人も言っている。『脳筋とは、一パーセントの筋肉と九十九パーセントの努力である』」


「それ天才とはってやつじゃ」


「そんなどこかで聞いた言葉を胸に、俺は脳筋へと至る一歩を踏み出したのだった……」


 それなのに、脳筋ってどうすればなれるんだ? などと悩み、近くのディスカウントストアでプロテインココア味を買い込んで、近くの公園でプロテインバーチョコ味を頬張っている不始末。


 筋肉の言葉が、まな板を出すのを横着して持ったまま切ったら手までスパッといったような、不意に、的確に、胸……いや、胸筋に刺さる。


「なんと不甲斐ないことか」


「え!? 泣いてる……お兄さん、クスリとかやってないよね?」


 筋肉とは、肉体を先導する存在である。

 

 脳があれこれ言おうが、筋肉が動かなければ肉体が動くことはなく、脳を介さない筋肉の躍動、それを――反射という。

 

 脳筋とは、能動を体現する存在である。


 うだうだと悩んでいようが、生きている限り筋肉が止まることはなく、反射的に行動できる者、それを――脳筋という。


 難しく考える必要はなかった、難しく考えるようでは脳筋には至れなかったのだ。

 

 解決策なんて、悩む必要もないほどに簡単なことだったのである。


 つまり、人の範疇に基づいたトレーニングでは筋肉のない脳に筋肉をつけることができないのならば、人の範疇を逸脱したトレーニングによって筋肉のない脳に筋肉をつければいい。


 かの偉人はこうも言った、『一パーセントの筋肉がなければ九十九パーセントの努力は無駄になる』と。


 否定はしない……が、それは昔の話。


 現代には、不可能を可能にするような、そんな理不尽がまかりとおる場所がある。


「生物学に中指立てた珍獣の楽園、その名は――ダンジョン」 


「お兄さん、ダンジョン行きたいの? だけどその前に署まで……あっ待ちなさい!」


 脳筋という不合理も、不合理のありふれたダンジョンならば叶うはずだ。

 

 棒を構える少年と球を構えた少年は真剣な顔つきで、白い座布団の監視を命じられた少年たちは暇そうにしているような、昼過ぎの公園から駆け出すと。


 俺の愛らしい筋肉が得意げにつぶやいた。


『やっとカタボリックから抜け出せたようね』


「パパーあの人ひとりでおしゃべりしてるー!」


「こら、人を指差したらダメだよ。あっち行ってなさい」


 視界の端に、まるで逃げ出した不審者を追いかけるような勢いで走ってくる青い服の男性が映るが、いまはそんなことを気にしている場合ではない。


「お前の筋言がなければ、いまだカタボっていただろう」


『お礼はプロテインでいいわよ』

 

 そう言って背後から俺の首へと腕を回し、背中に胸を押しつけるように寄り添う彼女と目が合った。


 赤を基色に白のメッシュが目立つ遅筋と速筋のようなミディアムヘアが頬をかすめる。俺を映す空色の瞳は液化した酸素の色だ。


「……お前が俺の筋肉でよかった」


『もっと頼りなさい、私はあなたの筋肉なんだから』


 【I am 筋肉】と書かれたオーバーサイズのTシャツをミニワンピース風に着こなしている彼女は朗らかに笑う。


「ああ、頼りにしているとも」


 幻覚が見えているんじゃないか。などという風評被害に悩まされていたときも、支えてくれたのは筋肉お前だった。


 筋肉積載量の格差に嘆いていたときも、内側へ目を向けるよう筋言をくれたのは筋肉お前だった。

 

「思い返せば、頼ってばかりだ」


「それが筋肉の役目だからね」


 筋肉は透き通るような瞳を片方まばたきして、首への抱擁をより一層強くする。


 俺は有酸素運動ランニングをしているせいで鯉のぼりのごとき体勢になっている筋肉へ問いかけた。


「筋肉よ、俺は勇気の一歩を踏み出せたか?」


『もちろん、だから私は進み出すことができるの」


 その言葉を最後に、風で飛ばされた彼女を目で追えば空は濁りのない青に染まっていた。ふと振り返ってみれば青い顔をした青い服が目に入り、正面に向きなおして見据えるは天高くそびえ立つダンジョン。


 まさに脳筋日和。

 

「さあ――バルクを上げていこう」


 俺の脳筋への道は祝福負荷に満ちている。

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たまたま一般人の通りすがりです。たまたま通りすがり一般人だろ!? タノマヤ @tanomaya

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