水葬

片霧 晴

水葬


「今日は付き合ってくれてありがとう」



 喧騒の中でも聞こえる、ハッキリとした明るい声。それでいて、どこか夏の終わりのように物寂しく聞こえる。わたしは髪を耳にかけながら「いいのよ」と呟いた。



「わたしもこの展覧会行ってみたかったから」



 この空間にいると、なんだかあの日を思い出す。七月にも関わらずだるように暑かった夏。制服姿でプールに揺蕩っていた彼女のことを。


 それはまるで、ミレイの描いた『オフィーリア』のようだった。



『何しているの?』

『べつに。浮かんでいるだけ』



 それだけ。その、たった一言だけで彼女を好きになった。ぼんやり浮かぶ姿とは裏腹に、目だけはまっすぐにわたしを見据えている。オフィーリアのようでいて、まるで似ていない。



「髪、濡れちゃったね」



 今日はそんな彼女から気になる展覧会に誘われた。水をテーマにしたデジタルアートミュージアムで、会場には広く水が張られている。


 色とりどりの青に、デジタルで作られた花。時折現れては舞う花にまじり、穏やかな光が水面に反射する。


 彼女が空中の花に触れる度、花は砕けて蝶となった。心地よい音楽に、現実が遠い。



「仕方ないよ。子どもは予想外の動きをするものだから」



 足元の蝶を見ようと前屈みになった瞬間、盛大に転んだであろう子どもの水しぶきが彼女を襲った。転んだ拍子に花は蝶へ変わり、子どもは勿論のこと、彼女の口角も少しだけ上がる。



「でもまあ、休憩したかったからちょうど良かったよ」



 今はエリア内に併設されたカフェで、注文したケーキをいただいているところだった。此処でもデジタルアートを楽しむことができ、突き抜けるような青がわたしたちを彩る。


 わたしは片肘をつきながら、カフェから見える水面へと視線を置いた。ゆらゆらと揺れる波紋がどこまでも続き、それはやがて──。



「あ、シオンが咲いてるね」

「え?」



 話しかけられた勢いで声のする方へ顔を向けると、あの日と同じでまっすぐにわたしを見据えていた。髪から滴り落ちた雫が手元の花に触れ、蝶となって舞う。


 此処はまるで水の中だ。時が止まっては花が咲き、彼女が流れていく。花は永遠に咲き続けるだろう。



「ねえ、どうかした?」

「べつに。なんでもないよ」



 水面にちらつく顔と影。その一瞬、わたしを見据えた彼女に『わたし』がだぶって見えた。


 夏の終わりのような声を背に、ゆらゆらとカゲロウがついてまわる。揺れるようにゆらゆらと。いつまでも、いつまでも続いていく。



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水葬 片霧 晴 @__hal07

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