かなちゃん、死んで。

@azi_0308

第1話 かなちゃんが死んだ

 夏、かなちゃんが自殺した。それを知ったのは9月3日。大学の長い夏期休暇が終盤を迎え、私は自室のベットに転がり、スマホを指でなぞりながら生真面目に後期の履修登録を計画立てていた。そんな時、ふと通知が降ってきた。私が所属する映像研究部からの連絡だった。『@All 重大なご報告…』と。私は何も考えず画面をタップした。


『@All 重大なご報告

どうも、部長の加藤です。新聞やニュースで既にご存知の方もおられましょうが、先月、我々映像研究部の一部員であった上石伽奈さんが亡くなられました。この件の詳細については我々学生どもが関与できるものではないと判断しました。部長として、他部員の精神的・身体的健康を優先するため、9月の活動は全て中止させていただきます。ご承知ください。』


「亡くなられました」。ドクン、と心臓が大きく脈打ち、私の身体はそこを中心にじわりじわりと冷たくなって、ついに指先が真っ白になった。震える指でYouTubeを開き、ライブニュースを探ると、見覚えのあるキャンパスが映っていた。その下に、


『光月大学寮内 女学生死亡 自殺か』


と、大きな文字が連なっていた。自殺。ジサツ。…ああ、自殺。だからかなちゃん、夏合宿に来なかったんだ。張り詰めた糸が緩んだのか切れたのか知らないが、私は妙に腑に落ちて、天井を仰いだ。かなちゃんは中学の頃から鬱病を患っていたことを、私は知っている。

 というのも2年前、新入生歓迎会の飲み会で、本人がケロッと明かしたのだった。たしか当時の先輩に「上石ちゃんは高校どうだった?」という何気ない質問に対し、彼女はこう言った。


「ええと、高校の頃は虐められて不登校になって、うつ病を患ってからろくに歩けないせいで車椅子生活を送っていて、そんな自分が惨めに思えて高架橋を飛び降りようとしたら、桜並木が綺麗だったから、写真が撮りたいなと思って、カメラが好きになって、それでこのサークルに入りたいと思いました!」


…。静寂。居酒屋にそぐわない冷気が漂う。

先輩を含む周囲は「あー…」と目を泳がせて、その場にいたほとんどが腰を丸めてそろそろと別の卓に移動した。その『ほとんど』に含まれなかった唯一が私_宮本色葉だった。私は運悪く彼女の相席に座っていて、その場を逃げたい気持ちでいっぱいだったが、できるはずもなかった。しかしなんとかしなければと変な焦燥に駆られて、「他に何食べる?」だの「これ美味しいよ」だのテキトー言って、とにかく彼女が場を乱すことのないよう自然と背筋が前のめりになる。対して彼女は、「どうしようかなあ」「そうだねえ」と、まるで母親が子供をあやすような返事ばかり。


「やっこ玉はどう?」

「なあに、それ」

「冷奴に卵が乗ってるやつだと思う」

「へええ、どうしようかなあ」


当たり障りない話題を振りながら、私は前歯の裏に挟まった馬刺しの肉を舌で探る。彼女が卓上に目を伏せた瞬間、下顎をみょんと伸ばしてみたり、舌を咥内でぐるぐる回してみる。ふと、彼女と目が合った。「ぶはっ!」と彼女が吹き出した。最悪だ。まるで私が突然変顔を披露したようじゃないか。周囲も彼女の笑い声に驚いて、視線が1つの座卓に集まる。私はたまらず顔がみるみる赤く染まって、「ちょっと、人の顔で笑わないでよ!」と、気づいたら大きな声で怒っていた。私はただ、晴れて受かった大学のサークルで友達を作りたいだけだったのに。どうして初対面の空気が読めない女の世話を焼いているのだろうか。だんだん自分が惨めに思えて、悔しさは馬刺しの味がするんだ、と思った。


「ふっ…、ごめんなさい。あなたの顔がおかしいわけじゃなくて。ただ、緊張がほぐれて。さっきの、またやっちゃったなあと思って、少し泣きそうだったから。」


前のめりになって、ハッと気づいた。たしかにその瞳が潤んでいたことに。

それにこの人、可愛い。容姿端麗なわけではない。少しふくよかで、肩までの焦茶髪が緩く巻かれている。目尻はとろんとしているけれど、黒目が小さいからか時折目つきが鋭く見えるような、不思議な魅力を孕んでいた。また、生まれつきのおちょぼ口がお酒を飲むたび艶っぽく潤んで、ふう、とため息を吐いた声ひとつで肩の力が抜けるような、そんな魔性さがあった。


「…ねえ、やっこ玉食べたら2人で抜け出さない?部長の加藤さんはいい人っぽいし。」

「どこか行くの?」

「違くて、家に帰るの。私たち未成年だし。上石さんは家どこ?」

「えっと、大学の寮だよ」

「じゃあここから近いじゃん。私は実家だから。またね。」

「うん、バイバイ。宮本さん。」


その後、私たちはお互いを「かなちゃん」「いろはちゃん」と呼ぶようになる。

学部も違ったので、特別親しくもなければ不仲でもない、ただのサークル仲間として関わった。大学祭に向けての映画制作が忙しくって、友達になる時間がなかった。自殺するまで追い込まれているなんて、気づく余裕もなかった。時間と余裕さえあれば彼女は死ななかったのだろうか。

 あの空気を読まない発言が、彼女の最初で最後のSOSだったのだろうか。他にも、彼女が笑うその前に泣きそうな時があったんだろうか。友達でもない、半年そこらの関係なのに、ベットの上で涙が止まらないのはなぜだろうか。


あるとき、「『佳奈』じゃなくて『伽奈』だよ」と言われた。

ごめん、と言って書き直すだけで、私は特に覚えようともしなかった。


「作りたい映画がね、あるの。」


あるとき、彼女がつぶやいた。その後、彼女は何を言ったろう。何も思い出せない。だって覚えようとしなかった。


嗚咽が止まらない。スマホから流れるニュースはすでに他の報道をしていて、野球選手か誰かが多くの賞賛を浴びていた。

かなちゃんは死んだ。寮の中で自殺した。

馬刺しの味がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かなちゃん、死んで。 @azi_0308

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る