もう一つの真実
夢遊病――「睡眠時遊行症」とは、睡眠障害の一つで、睡眠中に動き回ってしまう病気だ。
多くの場合幼少期に発症し、成長するにつれて症状が落ち着いてくる人がほとんどだ。
玲奈はここに引っ越した後に発症したのだろう。
症状の一つに台所や冷蔵庫にあるのものを食べてしまうというものがある。きっと無意識に食べ続けてしまっていたに違いない。
「……発症してしばらくは、私も妻もどうしていいか分からなくてね、なんとか玲奈の行動を止めようと必死だった。しかし余計に悪化してしまって……。それで医者に診てもらうことにしたんだ」
症状が起きている際に無理に止めようとすると、振り払ったり、暴れてしまうこともあるらしい。
「睡眠障害という診断がついて、治療薬を飲むことで次第に落ち着いていったんだ。小学校の後半にはそんな様子は見られなくなって、僕も妻も安心したんだよ」
父親は遠い昔のようにぽつりぽつりと話す。
「大学生になって、流石にもう何も起こらないと思っていた。……だから一人暮らしも許したんだ」
新聞記事の女性は成人してから症状が初めて発症したらしい。
医者を訪ねてようやっと自分の身に起こっていることが分かったその人は、治療薬を飲んで今は落ち着いた日々を送っている。
「……玲奈さんはきっとどこかで自分の異変に気づいていたんだと思います」
複数回の痣は夜に自宅で歩き回ったときに出来たものかもしれない。
遅刻は十分な睡眠がとれていなかったことが原因だったのだろう。
あの日、寝相が悪いからと笑いながら言っていた彼女。
自分の他に二人も同じ部屋にいる。
何があっても大丈夫。
そうして安心して眠りについた。
そしてそのまま――。
症状は人それぞれだ。
調べてみると、中には家の中を歩き回るだけでなく、家の外に出ようとしたり、車の運転をしたり、性行動をしてしまうこともあるらしい。
この病気のやっかいなところは、症状が出たときに、いくら他人が声をかけても反応したり、目覚めさせることが難しいことだ。
玲奈のことを見かけた住民が、すれ違ったときにガン無視されたと証言していたのも、おそらくそのせいだろう。
「玲奈さんは亡くなる前も次の日のことを気にしてたんです……」
『あ、あと明日、あたしのことちゃんと起こしてね?』
寝る直前のあの言葉。きっと死ぬつもりなんてなかったはずだ。
「だから、自殺なんかじゃなくて……、きっと本人も気づかない中で眠りながら亡くなったのかもしれないと、私はそう思っています」
「苦しまずに……?」
母親は恐る恐る聞いた。
「症状が出ているときは、痛みをあまり感じない状態にあるんだそうです」
今田がそう伝えると、母親はワっと泣き出した。傍にいた父親が彼女の肩を優しく抱き寄せた。
自分の愛する我が子が、何が原因で死を望み、そしてこの世から消えたのか。
どうして死ななければならなかったのか。
彼女の家族はずっとそれを気にしていたはずだ。
本当のところは分からない。
自殺という証拠もなければ、100%事故だとも言い切れない。
本当は死を望んだのかもしれない。
けれど、もしもそれが違うのなら、きっと違うほうがいい。
たとえ、未来がなくなっても苦しまずに逝けたのなら。
夏美はスマホの着信画面の「会話終了」ボタンをそっと押した。
優は今日来られなかった。
行ったら行ったで、取り乱してしまうかもしれないと言っていた。
だから代わりに明香が傍についている状態で、夏美たちの「仮説」を聞いてもらうことにした。
電話の向こう側で、優は今、どんな気持ちなんだろう。
夏美と今田は彼女の家族が泣いているのをただただ見つめていた。
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