戦塵を前に、祈り重ねて

「随分、集まったもんだな」


 鍛治が絶え間なく鉄を打ち、男達は酒を手に語らう。広場の賑わいの裏、家々はひどく静かであった。


 その光景を前に、ゴラートは静かに呟く。


 アルブレヒトより招集が下命されてからというもの、彼は戦いの備えに奔走していた。


「周辺の村に加え、森の集落。それに、炭焼きなんかにも声をかけましたから」

 ミロシュが得意げなのも、それだけ彼が力を尽くしたという証左だった。


 なにせ、数十年来の大戦争。

 封建領主同士による、正真正銘の戦が始まるのだから。


 懸念があるとすれば、士気。


 蛮族相手の戦争であれば、農民が駆り出される事は少ない。大抵が侵略だからだ。


 そのような状況が長らく続き、熟練の兵は減っていた。隣領との小競り合いすら起きなかった、平穏な世。

 それが、民の幸福と引き換えに、貴族の頭痛の種となっている。


「——水底に沈むのが、我々の兵でない事を願う」

「当然です。民を二度も泣かせては、領主の面目も立ちませんからね」


 二度。彼らがこうして集う背後には、夫を、子を奪われ、涙する女の姿がある。

 無論、その別離が齎す悲しみを知らぬゴラートでは無かった。


 その悲しみを背後に、兵を鼓舞するのは容易では無い。故に、陶酔が必要だった。


 カデックにおける渡河の阻害が成功すれば、兵は勝利の味を覚える。

 男の単純さを思うと、争いとは、真に我々のための物であると、改めて実感する。


「支度を急がせろ」

「——仰せのままに」


 ミロシュに動員を任せたのは正解だった。若く、人徳もある。

 兵の性質からしても——老人が息を荒くしてせっつくより、柔和に、情に寄り添って導くのが良いだろう。


 ゴラートは踵を返し、屋敷に向かい、歩き出す。

 食糧は集積した。薪も揃っている。馬が足りぬのは織り込み済みだ、足が要るような戦いはしない。


 そして、村の子供も女も、シュヴァルナ近郊へ逃す算段はついていた。


 本来であれば、憂いなく戦いに臨める……その筈が、この時ばかりはそう、上手く行かなかった。


——門をくぐれば、客間の窓が目についた。


 ローニャ。その身を戦場に置く事が、お前の父の頼みなのだ。実の父が、領主たる彼が命じたのだ。どうして私に止められよう。


 お前を戦場に近付ける不条理を呪う事すら、私には許されないのだから。


 だからどうか——学べ。現実を直視しろ。目を逸らすことなく、瞑ることなく。


 そして、どうか。


 どうか、生きて帰れ。


——神よ、彼女を護りたまえ。


————


 戦争という言葉を聞き、私は筆に縋った。鎧に身を包み、馬を駆る——若かりし頃の私でさえ、難しかった事。


 それを、この老体を引き摺ってやってのけられる気など、到底しなかった。


 故に、筆が必要だった。


 冬の戦、歴史に類を見ないその無謀に向けた、綿密な計画が必要だった。

 その計画を立てる事で——剣を振るわぬ恥を、我が身を混沌より退く臆病を、塗りつぶした。


「……ヒロさん。お願いできますか」

「はい!どうぞ」

「では。飼料の消費は変わらぬものとして、馬を三十頭とした場合——」


 ヒロ君、彼に数の理の才があったとは——思いがけぬ喜びに、彼の知らぬ一面を垣間見た。

 彼の書く字の意味は分からなかったが、それが洗練された体系に立っている事は、薄らとわかる。


 彼と口頭で描く戦の見取り図が、危うい冬の戦争に、徐々に、安定を取り戻させる。

 そうして完成した計画を見て、私は心底安堵した。


 一度は手放した理屈——あの魔女が見せしめた理不尽を前にしてもなお、私は人の描く秩序を信じ、身を投じようとしていた。

 

 人が立ち入ってはならぬ領域。その存在に、私が見るべきは……神の沈黙に、他ならない。


「——これで、計画はおおかた片付きましたね」


 一昼夜かけて練った計画。必要な物資と、それを運ぶだけの手は足りるだろう。

 なれば、残るは……


「——勝利」


 それは、私が口にしたのではなかった。口にしては、どこか不確かさが生じると思ったのだ。


「これだけの計画……きっと、勝てますよね」


 違う、そうではない。計画はあくまで下地、彼らが踏むべき土を、固めてやっているだけのこと。


「——ええ、きっと」


 ヒロ君。彼が、それも判らぬような人とは思えなかった。故に、逡巡した。


 紙面を整えるようにして、迷う心を指にうつした。生乾きの墨が付いたことに、私はどこか、安堵する。

 

——そうして、私は肯定する。それが祈りであることなど、気付かぬふりをして。


 私がその祈りを、私のものとしてしまえば、きっと。


——きっと私は、畏れてしまうのだから。


————


 浮き足立ってる、その自覚はあった。

 戦争が始まると聞いて、それが不謹慎だって事くらいはわかる。


 それでも、俺は興奮していた。この世界に来た意味を見た気がしたからだ。

 英雄的行動への憧れ——端的に言い表すなら、そうだろう。


 ローニャを助けたいと思ってたあの時だって、俺が心の底で抱えてたのは

『ああ、主人公って感じがするな』

 なんていう、浅はかな陶酔だったのかもしれない。


 そうとでも思わなければ、今の自分に説明がつかなかった。今の自分が、戦場を見たいと思っている事に。


「——俺も、連れて行って欲しいです」

 なんて事を口走ってしまったものだから、大変だった。


 勿論、ゴラートの返事はこうだ。

「お前を?笑わせるな」

 彼の顔が引き攣るのが見えた。この一大事に馬鹿げた事を言うものだから、苛立って当然だ。


「冗談だとでも?——俺は、本気です」

 そう言い返した時の俺の顔。きっと紅潮して、眉を顰めてただろう。

 そんな虚仮威しが通じる筈もないのに、俺は本気でやっていた。


「……命が、惜しくはないのか」

 半ば呆れたような彼の顔に、俺は少したじろいだ。怒鳴りつけるでもして帰されると思っていたのだ。


 それが、冷静に俺をたしなめようとしている。これは随分やり辛かった。


「惜しいですよ、そりゃあ」

 そんな、ありきたりな返事しかできない。

「——それでも、逃げて隠れてるなんてのは嫌ですよ。だって……」

 続く言葉なんて、容易に想像がつく。


「だって、皆さんは行くんですよね。戦場に——俺にだけ、何もさせずに」

「……ローニャも、行くってのに」


 ああ、言ってしまった。これでは、子供の駄々と同じだろう。

 この時でさえ、自分が非常にみっともない真似をしている事くらい、わかっていた。


 それがどれだけ情けなくても、俺は続ける他なかった。説き伏せられて「はいそうですか」と退いて仕舞えば、恥が恥のまま、終わる気がしたからだ。


「——お前の考えは分かった。一度、部屋で頭を冷やすと良い」

「でも……!」

「すぐに答えが出る話でもない。お前一人が増えれば、糧食もまた一人分増えるんだからな」


 その言葉は、今思えば救いだった。退くに退けなかった俺に、時間が必要だという言い訳を与えてくれたのだから。


 そして、一番の驚き——それは、明朝。オットーを通じて、同行の許しを得た事だった。


 剣を研いで、稽古用じゃない、本当の防具を貰った。

 それは小さな鉄の板に思えても、十分に重く、動き辛い——その不便に、どこか安心した。


 胸元から漂う革と鉄の香りが、あの時の安心感を甦らせる。

 腰で揺れる短剣が、ゴラートとの稽古を、ローニャとの手合わせを思い起こさせる。


 荷車の板が軋む音に、俺はようやく目を開く。


 とっくに森を抜け、雪原が広がっていた。遠く、木々の並びを貫く、線を見る。

 あれが、カデック川だろうか。


——眩い雪の白に、その一筋が沈んで見えた。


 

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