一分くらいで読める短編集

曇空 鈍縒

雪と兵士

 雪が降っていた。


 俺の腹部からどくどくと溢れる赤黒い血が、白い粉雪のまぶされた大地を、ゆっくりと真紅に染めていく。


 視界が霞む。頭がガンガン痛む。至近距離で爆風を受け鼓膜をやられたのか、甲高く叫ぶような耳鳴りが外界の一切の音を遮断していた。


 周囲を見回す。一緒に行動していた小隊の仲間たちは、皆戦死したらしい。


 俺の周囲には茶色い迷彩服を着た死体が幾つも転がり、少し離れた場所では擱座した八輪の装甲兵員輸送車が三両、煙を上げている。

 俺はあれに乗ってここまで来て、ここで敵の砲撃を受けた。


 榴弾砲の加害半径は三〇〇メートル。至近弾を数発ほど受ければ、分厚い装甲で覆われた装甲兵員輸送車と言えども無事では済まない。


 一番先頭を走っていた車両は運悪く榴弾の直撃を受けて中の兵士もろとも叩き潰され、即座に散開した残りの二両も、至近弾を受けて次々と動きを止めた。車内の俺たちは慌てて車両から降り、散らばって逃げようとしたが、もう遅かった。


 生存者は、俺が確認できる範囲では一人、俺だけだ。もうすぐゼロになる。


 クソっ。


 血が止まらない。出血のせいか頭がフラフラしてきた。回らない思考回路を、頭痛と耳鳴りが塗り潰していく。


 額を切っていたのか、目に血が入ってきた。俺は腕を持ち上げて、目を拭う。指が二本ほど欠けていた。引き金はもう引けないだろう。


 これは退役だ。もう、戦わなくていい。3K臭い・汚い・危険を全て網羅した地獄のような職場戦場とはおさらばだ。軍人なんてやめて、給料が高くてクーラーの効いた部屋から出なくていい仕事をやろう。

 戦傷章を受け取れば、医療費として毎月それなりの金を受け取れるし、それに就職でも有利に働く。


 渇いた砂のような喜びが胸に溢れたが、俺の寿命が残り数分、下手をすれば数十秒ほどであるという現実が、その微かな喜びも吹き消してしまった。


 死ねば、それで終わりだ。


 喉が渇いた。冷えたコーラが飲みたい。いや、寒いからシチューの方がいいな。甘いものも食べたい。


 とにかく、家に帰りたい。


 ブーンと虫が飛ぶような音が聞こえる。


 空を見上げると、曇天を背景に一機のドローン無人航空機が飛行していた。


 敵が砲撃の戦果確認のために飛ばしたものだろう。

 偵察用でも、小型の爆弾ぐらいは腹に抱えていておかしくない。手榴弾が一つあれば、重傷を負った俺に止めを刺すのに十分だ。


 自動小銃で迎撃しようにも、肝心の銃はどこかに落としてしまった。


 仕方ない。


 俺はポケットからタバコとライターを取り出して、タバコに火を付ける。


 何かが地面に落ちる。ドローンが爆弾を投下したらしい。数秒もあれば爆発する。逃げる体力は、もう残っていない。


 俺はタバコを咥えて、紫煙を肺一杯に吸い込む。


 うまい。


 そういえば、誰かにタバコを止めるよう言われたことがある気がする。


 それが誰だったかも、いつだったのかも、もう思い出せない。


 大量出血で消えかけた視界に、温かい熱を伴った閃光が走る。


 それが、俺の見た最後の景色だった。

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