第7話 【マガタマ】1 姉
オトヒコは胸元の勾玉を指先でなぞった。古くから一族に伝わる守りの石。その表面が、ふと青白く光を返す。
(……見ているな)
この国では誰もが知っている。勾玉には魂が宿り、持ち主の行いを静かに見守ると。
―ー大人たちの館。
憔悴しきったヒミコを、オトヒコは見つめていた。
(この人は……本当に愚かだ)
この国は女が国を継ぐのが習わしだ。多くのクニの未来を占い、良き未来を引き寄せる姫巫女。
その役目は、代々集落の女の中から選ばれ、継がれる役目。
姉の本当の名はヨウ。“日の光”を意味する。
かつてヤマタイノクニに女王が立つ以前は、小さな国々を男の王が治めていた。だが、どの王も領土を広げたくて戦をやめず、血と炎が絶える日はなかった。
山の民は冬の寒さと獣の襲撃に怯え、海の民は作物が育たぬため食糧を安定して得られず、穀物を育てる地の民は常に他国の襲撃におびえた。互いが互いの民を殺し、ときには食料も村も焼き尽くした。
その状況に異を唱えたのは女たちだった。
『豊かになるのは何のためか。人のためではないのか。もう戦はやめよう』
それは嘆きにも悲鳴にも似ていた。
やがて、子を多く生みながらも、すべて戦で失った一人の女が立ち上がった。齢はすでに老境、それでも意志は鋭く揺るがなかった。その女こそ初代ヒミコである。男たちはその決意を尊び、戦をやめた。
『戦を止めるために立ち上がった女を守り、その女の祈りを聴く』
それが、クニを治める指針となった。
以来、この国は「守られるべき女たち」で構成され、男たちが「戦わない」理由を持つことで存続してきた。
男が治める国々は、「ヤマタイを守る」という指針を守ることで、連帯することができた。
同じ者を守る者同士は仲間となり、さらに自然環境が厳しく、女が少ない国々への嫁の供給元としても機能した。
女王に求められるのは、愛されること、嫌われないこと。姉は生まれ持った朗らかさで、その条件を満たしてきた。
「この役目は辛いわね」
ヒミコはかすれた声でつぶやいた。
「仕方がない。絶対の王として振る舞い続けること――それがこの国を守るためだ」
「でも、私は平凡な女よ」
オトヒコはよく知っている。ヨウとオトヒコの間に血のつながりはない。
抜けたところがあるが、憎めない幼馴染、それがオトヒコにとってのヨウだった。
この女がヒミコに選ばれたとき、弟という名目でそばに残るため補佐役を買って出たのだ。
この国では結婚という仕組みが無い。女は子を残すために健康な男を選び、一時的に男の暮らすクニに行き、結ばれる。
生まれた子のうち、女は国に連れ帰り、男は多くが父の国に残される。
稀に、男児をヤマタイに連れ帰る女もいる。そのようにしてこのクニにやってきた男の子は、
十五の年までヤマタイで暮らし、この国で仕えるか、技を磨いて他国で働くかを選ぶ。
オトヒコは姉の側近として、このクニに残ること選んだ。
ヒミコは普通の女だった。少し口が回り、少し年上に可愛がられるのが上手かった――ただそれだけの理由で選ばれたにすぎない。
対外的には、「まじないのチカラが強い娘が選ばれる」ことになってはいるが……「まじないのチカラ」がヒミコの本質ではない。
――ヒミコという名は「象徴」である。
五年、長くて十年でその役目を終え、次に譲られることを、大人の男たちは皆知っていた。
「占いをしていればいいと思っていたのに……」
ヒミコが呟く。
ヒミコにだけ伝わる占いの方法。オトヒコに言わせれば、そんなものは運任せに過ぎない。
それでも象徴の存在は戦を止めさせた。
男たちが止められなかった戦を止めた、という意味では、"女の、まじないのチカラ”と言えた。
やがて人々は“まじない”に救いを求めるようになった。
平時なら姉の朗らかさが国を保つ。しかし異変の時、その資質は脆い。
(この人は異常事態を切り抜けられる器ではない……だから俺が支えるしかない)
均衡が崩れれば、この国だけでなく、子どもたちまで巻き込まれるだろう。
ここ数年、繰り返される日々の中で、多くの王たちがヒミコ――というより、その象徴を尊び、国々の均衡が保たれてきた。
しかし今、その均衡は一人の男の出現によって崩れかけている。厄介事を持ち込んだワダツミを恨みながらも、これを好機とすれば国はより強く安定したものになる――そう信じた。
なんとしても、この冬を乗り越えなければならない。
そのためには、ホウライノクニとの祭りを成功させることが絶対条件だった。
「おれが支えきってみせる。このクニを。」
ヒミコの言葉を聞きながら、オトヒコは胸元の勾玉をもう一度握り、静かに自らを奮い立たせた。
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