第2話 紅蓮の焔
降り積もる、紅蓮の灰。……
さぁ、全てよ。
芽吹け。
透明な海が揺蕩っている。伽藍堂の教会を月明かりが照らしている。言葉が、意味を成さずに宙を舞う。灰を巻き上げながら、あらゆる腐敗と荒廃を呑み込むように。
どこかから慟哭が響いている。混淆された血の川が、それに脈動する。彼らは死に絶えることの希望を知っている。盲目の司祭が孤独に、祝詞にならない祝詞を唱え続けている。透明な海は緩やかに、嫋やかに、揺らいでいる。
同一化した神経、血脈、散在された脳。痙攣するように、呼吸は続いている。神経は絶えず発火する。それは個体を抜け出し、全てと接続されている。血脈は地を這い、焼け爛れながら、脈動を続けている。脳髄は形を無くし、今や世界そのものを司っている。
焼け落ちた十字架が、燃え尽きた灰によって形を取り戻す。神聖さへの冒涜、無秩序に再建される信仰。崇高さを保ったまま、形は形を成していく。
言葉だけが、意味を成さない言葉だけが、降り積もった灰と共に舞い上がる。神経の発火に燃え尽き、血脈の脈動に波打ち、言葉たちは舞い踊る。
荒廃した静寂、髄液に浸された宝玉。王冠を抱いた前頭葉。臓腑の渦に絡め取られた盲の人形。贖われた罪と原初の存在価値。不変に加担する相続人。抗うことを知らない閉塞。開け放たれた無限の回廊。永劫に続く久遠の輪廻。
世界を揺らす金色の天秤。
「振り子」
金色の天秤は揺れている。秤に灰をたんまりと載せて、ゆっくり左右に揺れている。その揺れに連動するように、盲目の司祭の祝詞は、言葉を象っていく。枯渇した生命、乾き切った土、熱を失った心臓。からりからりと、天秤は揺れる。打ち込まれた楔が、言葉に溶けて天へ昇る。どくり、と鼓動の音が響く。
叫んでいる。鼓動が叫んでいる。それは慟哭にも、歓喜にも似た、言葉を持たない叫び。神経は絶えず発火し、脈動は早鐘を打つ。盲の人形がカタカタと踊りながら、天秤のリズムを取っている。
血の川は揺らいでいる。人形の群れを象りながら、模倣するように隆起する。繋がれた血脈から血液を吸い上げ、模倣と崩壊を繰り返す。それは生命への冒涜、否、生命への讃美歌。生まれ出でることの困難を、血液たちは示し続ける。不恰好な人形の群れは、何度も象られ、溶け落ち、そして集合し、また個となる。
燃え尽きた灰たちが、言葉と共に巻き上げられる。それは円環するように、旋風となって、あらゆるものを巻き込んでいく。血の川は吸い上げられ、透明な海さえ巻き上げられる。天秤の揺れに合わせるように、ゆっくりと、ゆっくりと全ては旋風になる。
「統一」
天をつく、灰と言葉の旋風。外周に血と透明な海水を巻き上げながら、それは月に先端の伸ばしている。旋風の中核に月明かりが差し込み、煌びやかに輝く。旋風は速度を増していく。盲目の司祭の祝詞は、少しずつ言葉を成していく。散らばった神経、血脈、脳、あらゆる散在された全てが、引き剥がされるように呑まれていく。
「祝」
降り積もった灰は地上を離れ、旋風の中で月明かりに銀色の輝きを発している。響いていた慟哭が、久遠に伸び切って吸収される。色彩が混淆する。言葉の群れが極彩色に光っている。止まることを知らず、回りながら、回り続けながら。
「あらゆるものに祝祭を」
盲目の司祭の言葉が、言葉を成す。生まれた言葉たちが形を成して、旋風に呑み込まれる。今や血の川は枯れ、透明な海は乾き切った。天秤に載せられた灰も、月明かりに照らされた伽藍堂の教会も、灰で作られた十字架も。何もかもが集約される。
暴風に擦り切れたローブを揺らしながら、盲目の司祭は祝詞を唱え続けている。天秤すら、ゆっくりと形を失い、旋風に呑み込まれた。もはや形は、旋風と盲目の司祭を残して他に何もない。轟々と音を立てながら、あらゆるものが回っている。中心を照らす月明かりに色を映しながら、天に昇るように。
「眠りを起こすように、朝を」
盲目の司祭が、少しずつ旋風に歩み寄る。その足取りが一歩一歩進むたびに、その細い体が砂粒になって呑み込まれていく。旋風は揺らぎ、身を捩るように拍動を繰り返す。そこここで神経が発火している。旋風に巻き付くように張り巡らされた神経回路が、発火する。巻き上げられた血脈が、盲目の司祭を待っているかのようにだらりと垂れ下がり、そのちぎられた切り口から血液を撒き散らしている。
盲目の司祭、彼を知る者はいない。
だが、やがて全てのものは彼を知るだろう。
「燃えよ」
盲目の司祭が、完全に消え去る。今や全ては旋風に飲まれた。旋風はどくどくと音を鳴らしながら、拍動を早める。轟々と音が加速する。速度が増していく。あたりに振りまかれる血液、明滅するように発火する神経回路。月明かりに照らされた極彩色が、瞬く間に色を変えていく。身を捩らせ、苦しむように踠きながら、旋風はその背丈を伸ばしていく。発火が加速する。ちかちかと、回転と共に高速に明滅を繰り返す。血脈はぶちぶちと千切れ、その断面を振り回している。
身を捩り、血を撒き散らし、発火を繰り返しながら、ついに月に突き刺さった旋風の頂点は、月明かりさえ呑み込んだ。
神経回路の発火が加速する。ばちばちと、それは弾けるような音を立てながら、もはや明滅は区別がつかない。頂点に登っていく、月を目指して旋風を駆け上がる神経回路と血脈が、高温に発火し、青い閃光を放つ。
ばちばち、音が臨界点を超える。天を覆い尽くす青い火花。加速は止まない。臨海を目指して、それはひたすらに発火を繰り返す、繰り返す。
神経回路と血脈、両者が月に届いた時。発火は、一斉に止んだ。完全なる無音が、世界を包み込む。轟々と音を立てていた旋風さえ、その回転を止めた。それは、刹那。観測せることのできないほどの刹那。しかしそれは、永遠に違いない。
時は動き始める。
そして、全てが燃え上がる。
今や旋風は火焔となり、あらゆる色は炎の赤に統一された。消え失せた月の代わりに、火焔が全てを照らしている。渦巻きながら、神経回路が、灰が、言葉が、血が、海が、全てが燃える。刹那の静寂さえ引き裂き、火焔は世界そのものになった。回り続け、そして天へと昇る。空を飲み込み、全てを呑み込み、火焔は渦巻く。
その爆炎の中心点に、紅い月が産まれた。火焔の中で唯一動かずに静かにそれは燃えている。火焔は、天を裂いて、身を捩りながら加速する。加速する。加速する。
あらゆるものに、何もかもを。
火焔が頂点に収縮する。轟音が鳴り響き、火焔が一つの球体を成す。それは絶えず渦巻きながら、収縮していく。凝縮され、圧縮されていく。
何もかもを包み込み、球体に圧縮する。音は既に呑まれ、光は吸収され、球体となった火焔以外には、紅い月以外何もない。
圧縮されたあらゆる生命の源が、蠢きながら球体状に回り続ける。世界そのものが一点に収縮されるように、無音が何もかもを包んで、覆い隠す。
圧倒する火焔の球体の下、血を流していた紅い月。
そして血は、言葉になる。
「再編」
その言葉は、ゆっくりと地上へと堕ちる。音もなく、全ては静止する。動くものは、血出てきた「再編」、その言葉のみ。ゆっくり、ゆっくりと。まるで降臨するかのように、それは地上へと降り立った。
瞬間、火焔は、爆散した。破裂した白光。それが一瞬にして永遠の暗闇を切り裂き、光で世界が埋め尽くされる。混淆され、圧縮された全てが、地上へ向けて降り注ぐ。血を流すように、雨を降らすように、火焔の欠片たちが降り注ぐ。欠片たちは神経を纏い、血脈を纏い、拍動しながら、発火を繰り返し、落下する。
紅い月だけが、それを照らしている。
降り注ぐ発火をやめない火焔。
紅い月明かりと滴る血。
もはやどこにも灰はない。
降り注いだ火焔の欠片たちが、あらゆる造形を成していく。再編される。あらゆるものが、再生する。神経が再び張り巡らされ、血脈は瞬く間に地を這い、拍動は全てに宿る。圧縮された生命が、全てに広がっていく。
紅い月が震える。まるで身震いするかのように、血を流し続けながら、それは震えている。新たな言葉を出産するために、痙攣する。…
そしてまた、言葉は流れ出す。
「全てに、祝祭を」
……
生命は、再び世界を支配する。
神経は発火を始め、血脈は脈動し、あらゆるものが鼓動を始める。
空には、血を流した紅い月。
紅い月だけが、残っている。
ただその血塗られた紅が、世界を照らしている。
……
紅蓮 鹽夜亮 @yuu1201
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