雑務と本気。-3

 生徒会室の資料整頓は、和やかな雰囲気ですすむ。

 南蛇井が小学生時代のエピソードを披露したことで生徒会の柴田先輩がくつくつと笑う。どうやら、気に入ってくれたみたいだ。

「悪ぃ子供だなぁ、アンタ達」

「波久礼のエピソードもなかなかのモンっすよ」

「ん? どんな話だよ。聞かせてくれ」

「もー。南蛇井、ハードル上げるのやめて」

「いいじゃん。ヤベェ話ばっかりなんだから」

「……ってかどの話?」

 僕にはそんな面白エピソードないぞ。校長室でかくれんぼしたくらいだ。

 要らない資料を紐で括って、出入口の側に積んでいく。壁に掲示してあったゴミ収集日は書類の山に埋もれていた。今もカレンダー通りなのだとして、紙類の回収は月曜から木曜のどこかだろう。ふふ、カレンダーの六割が隠れているんだから分かるわけがないぜ。

「波久礼。アレ、もう一回聞きたいんだけど」

「何の話?」

「好きな子にカエルで悪戯した話」

「なっ、違うよ! 爬虫類好きな子に折り紙のカエルをプレゼントしたら泣かれたって話だよ。すり替えないでほしいな!」

「……何の話?」

「意味不明なエピソード出てきたじゃん」

 北村と柴田先輩が食いついてしまったので、仕方なく説明する。

 小学生の頃、クラスに爬虫類好きを公言している子がいた。トカゲとかイグアナとかが大好きだと言っていた。爬虫類へびのフィギュアを持ち込んでは先生に取り上げられているような子で、その子が誕生日を迎えるにあたって、プレゼントをあげようというのが事の発端である。

「カエル、喜ぶと思ったんだよ」

 そこで、本気を出したのがマズかった。

 徹底して作り込んだ本物そっくりの折り紙カエルは、その子の引き出しを埋めつくほどの量だった。カエルが跳び出すギミックとして、引き出しの底にバネ仕掛けの板まで仕込んだんだよ? 当時のクラスメイトは気のいい奴らばっかりで、そして、後先を考えないおバカちゃんが多かったのだ。

 誕生日当日、意気揚々と登校してきた彼女が引き出しを開けた瞬間、リアルなカエルたちが数十匹飛び出してきて――。

「悲鳴がヤバすぎて、職員室にいた先生がすっとんできた」

 実は、女の子はカエルが嫌いだったのだ。

 そもそも、カエルは両生類。爬虫類じゃないと言われて初めて気付く程度には、僕達は何も知らないアホであり、泣きじゃくる女の子から本気の説教を受けて初めてその事実を知った。

 僕達はしこたま叱られて、折り紙職人チームは猫とか犬とかのカワイイ動物を折り続けるハメになったのでした。

 話の区切りがついたところで、南蛇井がゲラゲラと笑う。

「アホすぎ~。いつ聞いても面白いわ」

「…………」

「人類の愚かさを感じて実にいい話だな」

 北村はすごく微妙な顔をしていたけれど、柴田先輩もお気に召したようだ。

 実は話には続きがあり、彼女専属折り紙職人となった僕は卒業まで花とか蝶々を折り続けることとなった。そして卒業式の日には彼女からプレゼントとして手編みのトカゲ人形をもらったりもしたのだけれど……。

 まぁ、この話は秘密にしておこう。

「お喋りが楽しくても、仕事の手は緩めるなよ」

「分かってますよ、もう」

「くくっ。カエル人形か……」

 先輩、ウケすぎでしょ。他人のツボは分からないもんだなぁ。

 何百枚の資料を片付けただろうか。指先がやや黒ずんできた辺りで、柴田先輩に聞こうと思っていたことを思い出して「あの」と小声で切り出した。

「柴田先輩に聞きたいことがあるんですけど……」

「私の役職は副会長ね。選挙じゃなくて、あいつからの指名で選ばれたんだよ」

「読心術が使えるんですか? すごいですね」

「……いや、聞くとしたら役職かと思っただけ」

 僕が素直に驚きすぎたのか、柴田先輩はバツが悪そうに鼻をかいた。

 僕は世間話が下手だけど、東風谷先輩と仲良くしている相手には興味がある。

 ぐっと堪えて、先輩との会話を続けた。

「東風谷先輩とは一年から仲良いんですか」

「そこそこかな。というか、最初はあいつのこと嫌いだったよ」

「へぇ、それはどうして?」

「んー……。言葉では表現しにくいけど……」

 悩む素振りを見せながらも、先輩の手は止まっていない。仕事の出来る人だ。

 答えは既に持っていて、その手札を僕らに晒すかどうかで迷っているみたいだ。

 気を悪くないでほしいんだけど、と彼女は丁寧に前置きした。

「凛琳はポンコツじゃん。でも、妙なカリスマがある。羨ましいんだよね」

「東風谷先輩が?」

「あぁ。カリスマを持っているヤツはな、真面目なイイ子ちゃんじゃ乗り越えられない壁を自由に乗り越えていけるんだ。しかも、本人は真面目なイイ子ちゃんのままでな」

 鼻を鳴らした先輩は不満を滲ませながら、自嘲するように笑った。

「それを羨まない真面目くんは、この世にいないはずだぜ」

「……そうですねぇ」

 東風谷先輩の自信に満ちた立ち振る舞いは、相当数の相手から受け入れられて今日の彼女を形作っている。そこに彼女が持つ天性のカリスマが影響していないと言えば嘘になる。僕達が身近過ぎて気付かないだけで、誰より低い能力を、溢れ出すオーラだけでカバーしているようにも見えるのだろう。

 でも、それは。

「東風谷先輩も、努力しているからですよ」

「……その根拠は?」

「本当にカリスマだけで立ち振舞えるなら、生徒会長に立候補なんかしないので」

 自分の手を汚す必要もないからね。

 仲の良いお友達を増やして、自分の毎日だけを楽しくすればいい。母数を増やせば生徒会や委員会の組織に伝手も出来るだろう。わざわざ責任を負う立場になどならなくても、利益を享受する方法など無尽蔵に思いつく。僕が思いつく手抜きの青春はそんなものだ。その手法を取らないのは、東風谷先輩が抜けているせいか? 違うね。

「東風谷先輩は努力家なんです。自分だけが良ければ、なんて言いません」

 元カノの名誉を守るために、僕は言い切った。

「誰かのために、って言葉を有言実行しちゃうんですよ。あの人は」

 黙々と作業を続ける北村の手元から紙の擦れる音が聞こえる。ややサボり癖が顔をのぞかせ始めた南蛇井は大きな欠伸を漏らした。僕の言葉に俯いた柴田先輩は小さく肩を震わせ、やがて耐え切れないとばかりに笑い始めた。

「意外だ。凛琳の後輩って優秀なんだな」

「それ、どういう意味ですか」

「言葉通りだよ。キミ、波久礼って名前だったよな」

「……そうですけど?」

「凛琳が気に入っている理由も分かったよ。私もキミを好きになれそうだ」

 喉を鳴らして笑った柴田先輩が立ち上がる。

 狭い生徒会室を歩いて、僕の背後に立った。

 南蛇井と北村が固唾を飲んで見守る横で、彼女の手が僕の肩を押さえる。

「波久礼、生徒会に入れ」

「えっ……。困ります、僕は生徒指導に嫌われるタイプの悪童ですよ」

「構わん。波久礼には撒餌としての才能がある」

「マキエ? は? なんですかそれ」

 楽しそうな先輩は、それ以上の説明をしてくれない。

 よしよしと僕を撫でる手は、東風谷先輩のものよりもずっと乾いていた。

 南蛇井が柴田先輩の手を払って、急に距離を詰めてきた彼女へと威嚇を始めた。心なしか北村も表情を曇らせているようだ。うん、今でさえ四人が僕を取り合っているのに、これ以上新しい人が増えたらたまったものじゃないよね。

 などという冗談はおいといて、本当にどういうことだろう。

「どうして僕を生徒会に?」

「決まってんじゃん。真面目に仕事をする奴が欲しかっただけさ」

「それなら僕じゃなくったって……」

「波久礼、固いこと言うなって。いいだろ?」

 柴田先輩は、僕が頷くまで手を離してくれそうもない。

 誤魔化すようにぬへへと笑ってみたけれど、彼女の意志は固そうだ。

 東風谷先輩が帰ってくるまで場を持たせれば逃げられるかもと、のらりくらり先輩の勧誘をかわす。生徒会室の窓は、書類の散乱防止に数センチしか開いていない。吹き込んでくる風が僕の頬を撫でることもなくて、あぁ、今日はダメかもなぁなんて思うのだった。

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