グリーン・ナイトメア
朝、目が覚めると、俺の頭の中は抹茶アイスに占領されていた。
町中のそこかしこに抹茶色の旗がハタハタとはためき、抹茶色の戦車に、歩いている兵隊はもちろんグリーンベレー。精鋭揃いだ。
そんなグリーンベレーには100人以上の飢えた子どもたちが群がり、
『ギブ・ミー・マッチャ・アイスクリーム!』と叫んでいる。
アイ・スクリームだけに。
兵隊たちはニコニコして差し出す。
……なんで持ってんだよ。
もちろん、ただのイメージだ。
俺は冷たい水で顔を洗い、髭を剃って、馬鹿馬鹿しい妄想を振り払う。
それにしても、おかしな話だ。
無性に肉や甘味が欲しくなることはあっても、ピンポイントで抹茶アイスが食べたくなったことなんてない。
……なにかの呪いだろうか。
ともあれ、そんな妙な焦がれなんて、電車に乗って会社に向かう憂鬱さの中で、自然に霧散するだろうと思っていた。
そうだ。その時の俺はまだ、その先に待ち受ける地獄を想像だにしていなかった。
いつも通り仕事をこなすも、いつまで経っても抹茶アイスのイメージは去ってくれなかった。
MATCH関数を入れようとしてMATCHAと打ち込んだり、会議中に同僚のマッチョな思想に嫌気がさして『おまえ、そういうとこ本当にマッチャだよな』と言ってしまったりして、さすがにマズイと思った。
どうかしている、と。
休憩時間になるや否や、俺はビルの二階に入っているコンビニにダッシュした。
正直、仕事の休憩時間にアイスを買いに走ったことなんてない。
休憩スペースでぺろぺろアイスを舐めるようなキャラじゃないからだ。
でも、背に腹は変えられない。
このままじゃ午後にどんな失態を犯すか知れない。
……ない。
いつも特に求めてないタイミングでばかり、謎の抹茶押しでケースの半分くらいコケ色だった冷凍ストッカーに抹茶アイスがひとつもなかった。
「……ウソ……だろ」
アイス売り場の前で絶望している三十代のオッサンがそこにはいた。――俺だ。
仕方ないから抹茶スイーツで妥協しようかと思って見てみたが、月見スイーツか芋だの栗だのばかりで、いつも我が物顔をしていた抹茶スイーツはみなどこかに去ってしまったようだった。
俺は、いつもそうだ。
失ってから気づく。アイスも例外じゃなかった。
いつでも食える、そんな風に高を括っていたあの頃の俺を、ぶん殴ってやりたい……!
絶望のあまり、俺は膝をついた。
たぶん、人生で二回目だ。
ちなみに一回目は小学生の頃、好きだった女子に「ミミズの方がマシ」と言われたときだ。
なんで小学生女子ってあんな辛辣なんだろう。
結局午後の仕事はほとんど頭に入ってこなかった。
とぼとぼと、ただ足元だけを見つめながら帰った。
(……あれ……?)
いつしか見知らぬ路地に入り込んでいたことに気づく。
(ここ……どこだ……?)
どこか懐かしい光景だった。
石畳の道の脇には、町屋が続き、駄菓子屋のようなものも見えた。
遠くで、チャルメラの音がした。
「おにぃさん」
ぼんやりと立ち尽くしていた俺の背後から、猫なで声がして、振り返る。
「そう!そこのおにぃさん!なにか迷ってますね?」
見ると、路地の奥に小さな机を広げている妖艶な女性がいた。
目玉のモチーフのネックレスを大量に首から下げ、他にも店の至る所にぶら下がっていた。
たしか、なんとかいうトルコの魔除けだったような……。
机上にはウィジャボード。
年齢はよくわからなかったが、人を惹きつける雰囲気があった。
女性は顎に手を当てて、じっと俺を見つめた。
「……食べ物の気配がする。しかも、とても執着している」
「な、なんでわかるんですか……?」
俺はつい一歩後ずさりした。ピュアなのだ。
バーナム効果なんて知らない。
「言ってごらんなさい。あなたが求める、その名を」
その視線に、気づくと俺は喉がからからになっていた。
それでも、やっとのことで声に出した。
「……抹茶アイスが……見つからないんです……」
「……え?」
「抹茶アイスです……どこ行ってもなくて……」
彼女は小さく溜め息を零すと、さっきまでとは打って変わって、冷めた視線を俺に向けた。
「はぁ……なるほど?まぁ、そのうち入荷するんじゃないですかぁ?知りませんけど」
「そう……ですよね」
そうだ、抹茶アイスひとつで絶望している俺がどうかしてるんだ。
そう思って去ろうとした俺の袖を、占い師さんが掴む。
え、いつの間に距離つめたの?
「ちょっ……カモ!……じゃない……おにぃさん待ってください!」
(いま……カモって言った……?)
「そもそもなんでそんなに、抹茶アイス食べたいんですか?ストロベリーじゃ駄目なんですか?」
確かに、と俺は思った。
抹茶アイスがないのもおかしな噺だが、それ以上に俺は朝から少し変だった。
俺はかくかくしかじかと事情を話した。
「あらら、それはおにぃさん、バクのせいですねぇ」
「……バク?バクってあの、白と黒の?」
「そう。まぁ厳密には白と黒なのはマレーバクくらいなんですけど……とにかくあのバクをですね、みんな夢の中に飼ってるんですよ。でもたまぁに
釈然としない話だったが、そんなことより俺は解決策が知りたかった。
「で?俺はどうすればいいんですか?」
「食べればいいと思いますよ。抹茶アイス」
「いやだから、それがないから困って――」
そんな俺の前に、彼女は何か長くてツンと匂いのするものを差し出した。
「……これ、なんですか?」
「え、ご存じないんですか?えっとこれ、長ネギというものでして、中国では前漢時代の『礼記』という書物に調理法が――」
「いやだからぁ、なんで長ネギを出してきたのかって訊いてるんですけど……」
幾許か憐れむような表情で懇切丁寧に解説を始めようとした彼女を制す。
すると、あらうっかり、みたいな顔で照れ笑いを浮かべていた。
……天然なのか?いや、弄ばれてる?怒るに怒れなかった。
(ていうか、どっから出してきたんだよそのネギ)
「今晩、このネギの白い部分だけ食べて、緑の部分は残してください」
「……そうすると、どうなるんですか?」
「葱神様がお怒りになって、明日一日、ありとあらゆるものが緑色になります」
結局俺はその先の話を真面目に聞く気にもなれず、適当に頷いてしぶしぶ代金を払い、とりあえずネギは頂いて帰った。
そもそもなんでそんな遠回しなソリューションなのか?遭遇確率は上がるかもしれないが、そんなリスクを犯すならもっと確実なやつはないのか?など色々言いたいことはあったが、全部呑み込んだ。
一応言われた通り、ネギの白い部分だけを食べた。
ブリの照り焼きのつけ合わせにした。
美味しかった。
次の朝、俺の抹茶アイス欲はますます荒ぶっていた。
抹茶アイスが食べた過ぎて、いつもより二時間早く目が覚めた。
正直ネギの効能なんて全く当てにしていなかったが、単純に入荷しているのではないかと期待してすぐコンビニにダッシュした。
コンビニに入って、俺は唖然とした。
まず、緑色のPOPに『エコ推進月間!』と書いてある。
弁当は「枝豆ごはん」に「青のりおにぎり」、「ほうれん草カレー」、「タイ・グリーンカレー」。
米も緑米という徹底ぶり。
おでんも「青ネギ」と「チンゲン菜」しか浮かんでない。
いやそもそも、おでんに青ネギとチンゲン菜入ってるの初めて見たよ!
せめてロールキャベツだろ!
と心の中で突っ込みを入れた。
だがそんなことはどうだっていい。
抹茶アイスだ。
落ち着け、俺は抹茶アイスが食べたいだけなんだと、どこかで聞いたような台詞を吐きながら冷凍ストッカーに身を乗り出した。
ピスタチオ……シャインマスカット……キウイ……
チョコミント……ずんだ……グリーンスムージー?
いや意味が分からん!
なんでずんだとグリーンスムージー味があって抹茶味がないんだよ?
定番中の定番だろ!
俺は錯乱寸前だった。
だがなんとか冷静になってスイーツコーナーに移動した。
応急処置的に抹茶スイーツで手を打ちたかった。
だが、あったと思ったらヨモギだった。
「ヨモギかよ!」
思わずそう叫んで、店員から白い目で見られた。
なお店員の制服も緑色で、名札には「みどり」と書いてあった。
俺はだんだんこの世に本当に抹茶というものが存在するかどうかすら怪しく思い始めた。
抹茶ってなんだ?なんなんだ?
抹茶がゲシュタルト崩壊を起こしそうだった。
そんな時、今度は他の客の会話が聞こえてきた。
「いや、抹茶自体は飲めるんだけど甘い抹茶はダメなんだよねぇ。なんか混乱しちゃって」
見ると確かに、抹茶の粉が売っていた。
もはや適当にピスタチオアイスとかに抹茶の粉混ぜて食えばいいのでは?
むしろ通なのでは?
そんな気分になりかけた自分の頬を、俺は
乾いた音がコンビニの店内に響き渡った。
そんなんでいいのか?
お前の抹茶愛は、そんなレベルだったのか?違うだろ?
俺は本当の抹茶アイスが食べたいんだろ?ここまで来て妥協するのか?
嫌だ……俺は……ちゃんと抹茶アイスを食べてから死にたい……!
じゃないと、生き切ったって言えない!
気づくと頬を温かなものが伝っていた。
そんな俺の頬に、柔らかな感触。
さっき抹茶の話をしていた女性が、ハンカチで拭ってくれた。
「あの……大丈夫ですか……?」
地獄に仏とはまさにこのことだと思った。
俺は礼を告げて、大丈夫です、と答えた。
誰がどう見ても、ぜんぜん大丈夫ではなかったが。
女性は、それあげます、と言うと、連れの女性と一緒にそそくさとどこかに去ってしまった。
連れの女性の方は、ゲジゲジでも見るかのような眼で俺を見ていた。
ゲジゲジは益虫なんだ、黒くてデカいやつを捕食するんだ、と心の中で己を鼓舞した。
その後、俺は店員にも聞いてみたが、『抹茶アイスは寿命を迎えました』と意味不明なことを言われた。
消費期限ではなく?と尋ねたが、今度はこっちの頭がおかしいかのような対応をされたので、諦めた。
結局唯一それらしかった抹茶ガムを買って噛んだが、甘くなかったのでコレジャナイ感が半端じゃなかった。
無茶苦茶苦かった。抹茶だけに。
その日はその後も阿鼻叫喚だった。
信号はずっと青でクラクションが鳴り止まずムンバイみたいだったし、聴こえてくる音楽はほとんど〝ミ●ス・グリーン・アップル〟か〝初●ミク〟だった。
神というものが加減を知らないのは、古今東西変わらぬ普遍の真理らしかった。
俺はもう一度あの占い師の女性を探したが、どれだけ彷徨ってもあの路地を見つけることはできなかった。
夜、言われた通りに残りの青い部分を刻んで、うどんをネギだくにして食べた。
そうしないと一生このままだということだった。とんでもない話だ。
三日目の朝、俺はもう、一周回って抹茶アイスのことがどうでも良くなっていた。
それでもなんとなく釈然としない思いで、ふっと朝の散歩で立ち寄ったコンビニでストッカーを覗く。
……あった。
ひとつだけ。ダッツの抹茶が残っていた。
人生にはそういうところがある。
買った。
家に帰ってシャワーを浴び、髭を剃り、いざ正座で念願の抹茶アイスに相対する。
蓋を開け、シートを剥すと、濃密なグリーンのテクスチャがお目見えする。
本来ならこの時点で感動するところなのだろうが、正直もうあまり緑色のものを目にしたくなかった。
合掌してから、アイス用のアルミスプーンをぐっと差し入れる。
さすがはダッツ様。スプーンが吸い込まれていくようだ。
「いただきます」
ひとくち目をゆっくりと運ぶ。
……うん。口どけが段違いだ。
「…………あれ?」
間違いなく最高の口どけ……なんだけど――
気を取り直し、もうひとくち。
「……」
俺は思った。
なんでアイスなのに苦いんだろう、と。
おかしな話だ。
いや、この世には不思議なことなんて何もないんだった。
……ふふ。
俺はもう、抹茶アイスを卒業する時なのかもしれない。
そう思うと、なんだか妙に気が楽になって、変な笑いが漏れた。
窓の外を見ると、洗って干したハンカチが風に揺れていた。
そしてふと手を見ると、――緑色だった。
僅かに、水かきのようなものも、見えた。
なんだか無性に、喉が渇いた。
教訓① コンビニエンスストアで 恋は始まらない
教訓② 怪しい占い師には お気を付けて
※本作の占い師さんはきっと良い人です
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