繰り返す道
河村 恵
深見山の怪
「集合写真をとったんだ」
そういうと、おもむろに引き出しから一枚の写真を出した。
「何枚かとったが、どれもみんな顔がぼやけてるんだよ」
みせられた写真の顔はぼやけてなどいなかった。
肩を組み、今にも笑い声が聞こえてきそうないい表情をしていた。
坊主頭に濃いめの眉、みんな同じ顔に見える。
彼が嘘をついているようには見えなかった。
この異常な事実を口にすれば、彼は自分の正気を疑うだろう。
胸の奥で何かが冷たくうずくまるのを感じながら、私は作り笑いを浮かべ、なるほどといった風に頷いて写真を彼に戻した。
「彼らは、今は…」
「1週間たつが、みんな元気だ。これはもう、合宿最終日。バスに乗り込む前で、事故もなく無事に帰ったそうだ」
電気も通ってないところに住んでいるこの男は、少し変わっていた。
初めて出会ったのは深見山を登山している時だった。
一人で道に迷っていた私は、この掘っ立て小屋にたどりついた。
外におかれた古ぼけた木製のテーブルには、私が来ることをわかっていたかのようにコーヒーが2つおかれていた。
湯気のたつコーヒーを見ていると、
「水から抽出したからうまいぞ」
と背後から私に促してきた。
彼は自分と同じ空気感を感じた。
「どこかでお会いしましたっけ」
彼は私の声が聞こえないかのようにコーヒーをすすった。
少しぬるいコーヒーを二人ですすりながら、鳥の声を聞いた。
なんということか、その日から私はここに住み着いてしまった。
彼は写真家の仕事をするときだけ下山する。
山の麓の湖畔の民宿に母校の野球チームが合宿に来ているからといって、下山した。
彼は他人の未来ばかりが見えてしまう、という。誰かと話していても、その人の3秒後の表情、5分後の行動が重なって見える。現在という瞬間がどこにも存在しなくなった。
現実感を失った彼は、まるで世界から弾き出されたように感じ、5年前から山にこもるようになった。
顔だけがぼやけて見えるとおかしなことをいう彼を見ていると、背筋にうすら寒いものが這い上がってきた。
彼の瞳の奥に潜む暗闇を見ていると、何か得体の知れない災いが、静かに足音を忍ばせてこちらに向かってくるような予感に襲われた。
彼が外に出ている間、私は彼の引き出しから写真を取り出した。
「この写真のことは誰にも言うな」と言っていた彼の表情が目に浮かんだが、構わずこの写真を携帯電話のカメラで撮り、知人に送信した。
知人は超常現象を集め、解析している女性だった。「秘密は必ず守るから」そう言う彼女の目は、どことなく彼の目に似ていた。
とにかく、それからは彼が単独行動をしないように気を付けた。
現像室、彼がそう呼んでいる部屋だけは私は入ったことがない。
その日、朝から彼は現像室にずっとこもりっきりだった。
例の集合写真のことでなにやらわかったと言って小躍りしたまま、朝食もとらずに入っていった。
目玉焼きがカサカサに乾燥したまま、テーブルの上で彼の戻るのを待っていた。
写真の解析を頼んだ彼女からの連絡もない。彼に習った通り水からコーヒーを淹れた。
ついにヒグラシが鳴き始めた。
現像室からは物音ひとつしない。
呼びかけても返事もないので、万が一のことを考えて、ドアを開けた。
建て付けの悪い黒いドアを開けると、酸っぱい匂いが鼻をついた。
暗幕があり、そっとめくると彼が四角いトレーに口をつけて喉を鳴らしながら飲み込んでいた。棚に置いてある容器のふたを外し、さらに飲み続けた。
「何やってんだ? やめろ!」
彼の手から容器を奪った。
ギャーと声をあげたかと思うと、彼は倒れた。
意識はない。私の手は震え、心臓が喉元まで飛び上がりそうになる。
暗室から引きずり出した彼の顔を見た瞬間、理性が音を立てて崩れ落ちた。
彼の顔にはできもののような腫れが生きもののようにうごめいていた。
これは悪夢だ、そう自分に言い聞かせようとしたが、鼻を突く現像液の酸っぱい匂いが、残酷なほど現実を突きつけてくる。
次第にそれは固まり、彼の顔に、小さな彼の顔が無数に張り付いていた。
無数の顔にある目玉が私の方を向き、無数の口が開いた。
「写真をみてくれ」
声の集合体がそう言った。
机の上には例の写真があった。野球部員たちは、最初、みんな彼の顔が張り付いていた。だが、今は、一人ずつ違う部員の顔が写っていた。
その中に、一人見覚えのある女性の顔があった。写真の解析を依頼した女性だった。
「最初からぼやけてなどいなかったんだろう、おまえには、わかっていたんだろう、全員、俺の顔になっていることを。本当のことを言わないのがおまえの優しさだった。俺の優しさは違う、嘘をついたおまえに罰を与えることだ。それから、あの戸の向こうに誰がいるかわかるよな?」
彼が指さしたのは暗室の隣の物置のような小さな戸だった。私は恐る恐る戸を開けた。そこには体がありえない角度に曲がった姿があった。このチェックのスカートは間違いなく、彼女だった。手元には引き延ばされたあの写真が見えた。
「お前はなにものなんだ!」
振り返ると、彼の顔中の口が融合し、頭がほとんど口になると、ぱっくりと開かれた。
ものすごい勢いで吸い込まれ、視界が真っ暗になった。
そして気がつくと、私は登山道で道に迷っていた。遠くに掘っ立て小屋が見えている。コーヒーのいい香りに引き寄せられた。テーブルの上にはマグカップが2つ置かれていた。
繰り返す道 河村 恵 @megumi-kawamura
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