第15話 ”好き”は人生を変える起爆剤

「それにしても君体おっきいねー! 何センチ?」

 

 はるにゃんは倫太郎と背比べするように近づいてくる。大きな胸が自分に迫ってくるのに怯えつつ、倫太郎は答えた。

 

「あ、えっと、198、です」

 

「おっきいねー!」


 まるで下の子をほめたたえる姉のようだ。というより、本当に下の子がいるお姉ちゃんなのかもしれない。

 

「あ、ありがとうございます……」


 ありがとう、と返した自分にびっくりした。

 

(……デカい体が嫌だったのに、なんでだ……?)


「いやぁ、君のおっきな体のおかげでお掃除がすっごいはかどってるよ、ありがとうねぇ」


「あ、いや、そんなこと……」


(不思議だけど……お姉さんたちにありがとうって言われるのが……すごく、うれしい)


 それはなにも彼女らが綺麗で美しい女性だから――だけではない。


(自分の力仕事で、こんなまっすぐに褒められたことって初めて、だ……。だから、ありがとうございますって、返せたんだ……)


 オレンジジュースが入ったコップを見つめ、反射する自分の顔を見つめる。

 

 これまでは、誰も近寄ってこられず恐れられるのが当たり前だった。

 でも今は、お姉さんたちがニコニコの笑顔で「お願い!」と頼みごとをしてくる。

 それがとても新鮮で……うれしかった。


(俺の力で、喜んでくれたり助かってくれたりするのって……こんなに胸がどきどきするものなんだ)


 それでも、そのお姉さんたちの感謝の言葉を、倫太郎はしっかりと受け止められないでいた。


(こんなデカい体した人間が、恐怖の対象でしかない自分が、感謝されていいわけが、ない)


 そうずっと、産まれてきてからずっと、そう自分に言い聞かせてくるもう一人の自分がいた。

 そいつは、苦しい出来事、悲しい出来事に出会うたびに顔を出し、その存在感を大きくしていく。

 お前はそういう人間なんだ、という慰めの言葉で心を守る代わりに、対価として自尊心を失う。

 そうやって自分を保護してきた。

 

「……私さ、体おっきいじゃない」


 ぽつりと、はるにゃんが言った。ペットボトルを両手に持ちながら、目線をおろしている。


「……えっと」


「あ、ご、ごめんね。ちょっと答えずらいよね、あはは……」


 確かにはるにゃんの言う通り、女性としては身長が高く、胸以外にもいろいろとふくよかである。

 倫太郎の個人の感想から言わせてみれば『痩せすぎる女性の人を見ると不安になる』ので、はるにゃんくらいの体格を見ると安心するくらいだ。


「昔はさ、こんな体なんて……って思ってたけど、今こうして可愛いコスプレをして働ける今が、すっごい楽しくて、そして有難いんだ」


「……」


 こんな体、というはるにゃんの言葉が倫太郎の胸に突き刺さる。

 これまで抱えてきた痛みと、同じだと思った。

 

「……私ね、体のことについて、昔からよく言われてきたんだよね。体大きいと、いろんなこと言われるよね。デカい、とか……デカブツ、とか」

 

 倫太郎も、他人から不躾に言われることがあった。

 バカにするような目で、蔑むような声で。

 他人からの無遠慮の言葉は、心をたやすくずたずたにする。だから倫太郎は、もう一人の自分を作って守った。

 ――お前はそういう人間だ。感謝されるようなたいした人間なんかじゃあない。

 ――一生そうやって孤独に生きていくのが当たり前の人間なんだ。

 ――努々、勘違いなんてするんじゃない。

 ――お前はデカくて怖がられるのが常の、どうしようもない奴なんだ。

 そう思ってしまえば、悪口を言われても、陰口を言われても、傷つかずに済んだ。

 悪口を言われるような、終わってる人間なのだから――と。


「私、コスプレっていうのに、すっごい憧れがあったの。可愛い衣装を着て接客するのって、とっても楽しいんだろうなって」

 

 昔を思い出す様に、しみじみと、かみしめる様に、はるにゃんは言う。


「……これまでいろんなこと言われてきちゃったから、それを思い出して、足踏みしちゃって。せっかく面接まで来たのに、断っちゃおうかなって……思ったんだ」


 倫太郎は、はるにゃんの言葉に自分を重ねた。

 コスプレ喫茶に行こうとして、でも、行けなかった自分。

 誘われても、すぐに行きます、と言えなかった自分。

 

「それでも、これまでずっとずっと、やりたかったことだから、勇気を出して……面接から逃げなかった。自分がこのコスプレ喫茶で表現したい可愛いものを、真剣に、目をそらさずに、言い切ったの」


 すごい。

 倫太郎は、真剣に、そう思った。

 

 この人は……逃げなかったんだ。

 これまでいろんな人たちから言われてきた言葉を、振り払ったんだ。

 

 自分にはない、勇気を、この人は持っているんだ。


「そしてね、店長さんも『君のような、可愛くて優しさにあふれる子を、欲しがっていたところなんだ』って言ってくれて……! あの時の店長さんの言葉、うれしかったなぁ……」


 今でもその嬉しさを新鮮に思い出せるのか、はるにゃんの瞳は幸福に満ち輝いていた。

 

「実際に働いていて、いろんな人たちから可愛い、可愛い、って言ってくれたんだ。ああ、間違ってなんてなかったんだって。あの時、勇気を出して逃げなくて、よかった……って。それに、この体のおかげで力仕事とか手伝えるから、それで頼りにされるのもすごいうれしいんだよね」

 

 倫太郎は、はるにゃんが遠く遠く、感じていた。

 それと同時に、はるにゃんのような人になりたいと、思った。

 

 自分を肯定できるような、自分に。

 

「ある女の子がね、私のことを好きって言ってくれたんだ。推します! って言ってくれて、来店するときはいっつも私を呼んでくれる。そう言ってくれた時に、私は初めて、自分の体が……自分のことが、好きになれた。私が好きだと思う、可愛くて最高だと思えるコスプレで、ふるまいで、みんなが楽しんでくる。それはとっても凄いことだって、私は思うの」

 

 だから。

 

「この場所を守ってくれて、本当に……ありがとうね、釘矢君」


 これまでの人生を思い返す様に深い、深い感情を込めた感謝の感情が、はるにゃんの頬を紅く染め上げていた。


 そのはるにゃんの言葉で、倫太郎は思い至った。


『ありがとう!』

『ありがとうございますっ!』

『ありがとうございます……!』

『ありがとー!!』

『ありがとうっ……ほんっとうに、ありがとう!』

 

 これまでのお姉さんたちの感謝の言葉には、ただ掃除を手伝った感謝だけじゃない。

 あの酔っ払い男を追いやったことへの感謝の思いが、込められていたのだと。

 みんなが大好きなこのお店を守ってくれたことへの、感謝。

 

 確かにお店は助かったのかもしれない。でも、自分はただ突っ立ってただけで、ほとんど何もしていない。俺なんて何もしてない。


 そう、自分に思い込ませてきた。自分が褒められるような立場であるわけがないと、言い聞かせてきたから。

  

 だから、お店を守ってくれてありがとう――という言葉が、抱えきれないほどに重く感じる。

 

「……」


 これまでは、その感謝の思いから逃げて逃げて、そのまま忘れてくれればそれでよかった。

 

 でも今、倫太郎は、はるにゃんの深く重い気持ちを、受け止めようとしていた。

 

 ――何を殊勝なことを考えているんだ、ただの体がデカいだけの人間が。怖がられるのが取り柄の人間が。

 ――やめろ。

 ――お前なんか、誰にも感謝されない。

 ――されるにふさわしいにんげんじゃあないだろ。

 ――なあ。

 ――なあ!!!

  

 もう1人の自分が吐く呪詛を倫太郎は、生まれて初めて、


 ――うるさい。


 言い返した。

 

「……お、俺の体が役に立てたのなら……なによりです!」


 言った手前、倫太郎は急に恥ずかしくなった。

 胸がカーっと熱くなって、引きちぎれそうになる。

 崖の上に立っているかのようは心細さと、頼りなさを覚える自分が情けなくて仕方がない。

 変なことを言ってしまっていないか。ふざけたことを言ってしまっていないか。

 感謝の言葉を真摯に返そうとすると、ここまで不安になってしまう。

 

 ……でも。


「っ……うん!」


 想いが倫太郎に伝わってその嬉しさで満面の笑みを浮かべる朗らかなはるにゃんの表情を見て、倫太郎は、心から安堵した。


 もう一人の自分が、恨めしそうにじっと睨み続けていた。

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