第8話 もう一歩踏み出して

「……来てしまった」


 放課後、倫太郎は電車に乗って日本大橋に来ていた。

 いつも土日にしか来ないから平日の今日が少し新鮮だった。人通りもまばらだ。

 人が少ないがゆえに自分の背丈がより一層目立ってしまわないかと思うと倫太郎は落ち着かない。

  

 コスプレ喫茶だって本当は何回だって行きたい。

 オタクの話を好きなように話せるなんて初めてのことだったし、とても楽しかった。

 でも、人に怖がられるだろうと思って、行きたくても行けなかった。


『だから、来たくなったら来て……じゃないな。絶対に、来い!』

 

「鈴木さんが、言ってくれたから……」


 誰かが待ってくれている――それが倫太郎はとても新鮮で、そして純粋に、うれしかった。


(ドリンク無料なのは本当に申し訳ないから、フードとかたくさん頼もう。そして、来るのはこれで最後にしよう)


 そう覚悟を決めて、倫太郎は歩く。


「……着いた」


 ビルの前に立つ。最初の時はかなた――こころんが連れてきてくれた場所だ。

 

 でも今は、自分一人で入らなければならない。勇気をもっていかねば。

 

 倫太郎は意を決し、階段を上る。

 

『待ってるからな、私!』

 

 かなたの声を思い出す。勇気をもって、もう一歩踏み出して、扉を開けた。

 

「「おかえりなさいませ、冒険者様!」」

 

 店内のキャストたちが一斉に挨拶をする。

 最初に来た時はどこか気恥ずかしくてキャストのファンシーなコスプレ姿を見れなかったが、今日は少しはちゃんと見ることができた。

 女騎士のように(軽い素材なのだろうが)甲冑とブーツをまといポニーテールにまとめているキャストや、魔法使いのように短いフレアスカートとマントを着こなすキャストが、倫太郎を見てニコッと笑う。


「ふ、ふへっ……」


 きれいなコスプレの女性たちに微笑みかけられ、倫太郎は思わず頬が気持ち悪くなるくらいに緩んでしまった。

 客の数は少ないと思ったが、それなりに居た。接客するキャストも忙しそうにしている。


(鈴木さんは……)

 

 とっさにメイド服の少女――かなたの姿を探す。いない。キッチンにいるのだろうか。


「それでは勇者様、席までご案内しますね!」


 倫太郎の前に現れたキャストは、狼の耳を付け、鎖骨まで届く大きな赤い首輪と灰と黒のコントラストがきれいなワンピースを身に着けている。狼娘のコスプレだろうか。

 そしてそれ以上にインパクトがあるのが、172センチの身長と、そのむっちりとしたむねと太ももだ。

 ワンピースの少しだけ開いている胸元からでもインパクトを与える谷間が見え、巻いたコルセットが大きな胸をさらに強調している。

 ハイソックスの締め付けで膨らむ太い太腿も魅力的に映え、倫太郎はドキドキしてしまう。


「はるにゃんです、よろしくお願いします!」


 温和で安心感を与える癒しの笑顔。

 ふんわりウェーブがかかったこげ茶色の髪の先を赤く染めていて、はるにゃんの遊び心が伝わってくる。

 尻に着けた大きなしっぽと手首に巻いたファーは、撫で心地が心地よさそうにふわふわとしている。

 

「どうぞ、こちらへ!」

 

 はるにゃんに連れられ、倫太郎は席に着いた。

 

「あ、えっと、カードを」

 

 そういって倫太郎が見せようとすると、はるにゃんが微笑んだ。

 

「はぁい。リンリン様ですね」


 分かっていますよ? とはるにゃんは微笑む。


「え、あの、えっと……」


「このコスプレ喫茶を救ってくれた勇者様、ですよね?」


 倫太郎は思い出す。あの時のコスプレ喫茶で働いていたキャストの人だ、と。

 顔をすでに覚えられているのが恥ずかしくて顔が赤くなってしまう。


「そ、そんな俺はただ突っ立ってただけで」 

「本日は何をご注文されます?」


 二人の声がかぶってしまった。


「あらら、かぶっちゃいましたねっ」


 そう言ってはるにゃんは両手を口持ちに寄せて、ごめんね、と顔を傾ける。

 

「あ、は、ははっ……」

 

 お茶目に微笑むはるにゃんの笑顔に、倫太郎は思わず引き寄せられてしまった。

 女性経験などまるでなかった倫太郎にとって、大人の魅力あふれるコスプレした女性に親し気に接せられるのは、あまりに大きな刺激だった。

 

「じゃあ、えっと、アイスコーヒーで……!」


 目のやり場に困ってしまい、倫太郎は慌てて注文をする。

 

「了解ですっ。ボイスプランはどうする? 色々あるよ? なんでもいいよ?」


 まるで近所のお姉さんのように、倫太郎を甘やかすように蕩けた声で囁く。

 

「あ、いや、その……だ、大丈夫です!」

 

「承知しました! それでは、ご注文の品、私にお給仕させていただいてもよろしいでしょうか?」


「え、あ、は……はい!」


「かしこまりました! それでは少々お待ちください!」

 

 と軽い足取りで去って行った。


 倫太郎は、


(き、給仕ってことは、はるにゃんさんが、持ってきてくれるんだ……楽しみだなぁ……ど、どんな会話しようかな……)

 

 さっきまで店に行こうか行かまいか迷っていたことを忘れてしまうくらい、すっかり楽しんでいた。

 

 


 はるにゃんがキッチンに帰ってくる。


「ドリンク持っていきまーす、リンリン様にでーすっ!」


 その声にキッチンに居たキャストたちはやおら声を上げた。


「えー、いいないいなー! 私もリンリン様とお話したい!」「だってあの迷惑客を追い返したこのお店の救世主なんでしょ!? いいな、いいなーはるにゃん!」


「えっへへー、いいでしょー」


 はるにゃんはウキウキでコップに氷を慣れた手つきで入れて、冷蔵庫からアイスコーヒーのパックを取り出す。

  

「ほーん、彼、はるにゃんを選びなさったんだ。ふーーーーーーーーーーーーーーん」

 

 ちょうどホールでパフェの盛り付けをしていたところのかなた――こころんは、長袖のメイド服を雑に捲りあげ、盛り付けで余ったチョコのお菓子を不満げに口にくわえていた。

 もぐもぐ、と不貞腐れてハムスターみたいに頬を膨らませているこころんに、

 

「ごめんね、私がリンリン様取っちゃって」

 

 せっかく今日来てくれるようにお願いしてくれたのに、とはるにゃんは謝る。

 

「べっつにー? 取られてもなんもおもわないですけどー?」


「もー、照れちゃって」


「照れてないですってば」


 かなたの子どもっぽい不満顔にふふっと笑いながら、はるにゃんは並々とコーヒーを注いでいく。

 

「あの時のリンリン様、本当にかっこよかったなぁ……」


「あーはいはい、そうですかー」

 

「なんだこころん、嫉妬してんのか?」


 キッチンの奥で力仕事の料理をしている店長が、手際よくスパゲティを作って皿に盛りつけながらこころんにちょっかいを入れてきた。


「は? してないですけど? なんすか?」


「分かったからそのパフェ早く持っていきなー」


「わかってますよって」


 こころんはパフェをもってキッチンから出て行く。


(なんなんだよ、来るっつって来たのに私のことはスルーかよ、なんかそれはそれで腹立つな……)


 一方の倫太郎はと言うと、周りを見渡しながらこころんの姿を探していた。


(……鈴木さんとも、機会があったらガチャの話したいな……行きの電車の中で回したけど、当てちゃったんだよな、10連で)


 そんな倫太郎の目の前を、小さな人影が通り過ぎていく。

 

「あ、こっ……こころんさん!」

 

 倫太郎はパフェを持つこころんを見て思わず声をかけた。


「……」


 外面の良い笑顔を倫太郎に浮かべ、そのまま素通りしていった。


「あっ……」

 

 こころんは女性の一人客の方へ向かってパフェを提供する。


「お待ちどうさまです、お嬢様」


「きゃー! こころんちゃんの盛り付けだぁ! かわいい〜♡」

 

 女性客、おそらく大学生だろうか。こころんが盛りつけたパフェをスマホで何度も撮っては大盛り上がりしていた。


「ねえねえ、ここの盛り付け見てよ。ハコネ様の推しカプのカラーリングにしてるの」


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 女子大生のシャッター音が加速していく。


「イチロー君の好物のコーラ味のグミと、アオヒ様は、好物は肉だけどパフェにはちょっと難しくて……だから、コラボカフェの時のメニュー、前話してくれた時でアオヒ様のがチョコケーキだったって言ってたのでそれにしてみました!」


「最高最高最高最高だよこころんちゃん! 私の推しの概念パフェ作ってくれるなんて……! 私の推し覚えててくれたんだね!」


「あれだけ楽しそうな顔で語ってくれてたもん、もちろん覚えてますよ!」


「大好き……こころんちゃん……」


「照れるぜ」


 こころんは満更でもなさそうに鼻を指で擦っている。


 その様子を、倫太郎は遠くの席から眺めていた。

 

(あれ? なんだ、この感覚……)


 モヤモヤとした感覚が倫太郎の胸に宿る。

 

(いやまあ、固定のファンもいるだろうなっていうのは分かってるんだけど、なんか、こう……)

 

「ふふふ、どうしたんですかぁ?」

 

「わっ」

 

 はるにゃんがニコニコした顔でアイスコーヒーを持ちにやってきた。

 

「そんなに気になります? こころんちゃんのこと」

 

「あ、その、いや……」

 

「ふふ、からかってごめんね。お待たせしました、アイスコーヒーです」

 

 はるにゃんが差し出す。そのふくよかな胸、そして大きな体。

 

「せっかくだからぁ、萌え萌えの魔法をおかけしたいんです。+のご料金ですが、いかがでしょう?」

 

 倫太郎はただでドリンクが飲めるという申し訳なさを覚えていたので、それに乗っかった。

 

「あ、その、あの……お、お願いします」

 

「やったぁ! それじゃあ、ご一緒に! 行きますよ、せーのっ」

 

「あなたの疲れを癒しちゃう魔法の呪文♡ シュガー&ラブラブ♡」

「萌え萌え~ギュルルン!」

 

「も、もえ、もえ……ぎ、ぎゅるん」

 

 倫太郎は恥ずかしながらも詠唱した。

 

「わぁっ! これでもーっとアイスコーヒーおいしくなりましたよ!」

 

「わ、わぁい……」


 恥ずかしい。

 でも、それがどこか心地いい。

 倫太郎は、得も知れぬ高揚感に包まれていた。


「リンリン様は、テンセグが好きなんですか? こころんちゃんから聞きました」


「え? あ、は、はい! す、好きです!」


「そうなんだぁ、どんなところが好きなの?」


「えっと、あの、テンセグって……世界に取り残されてしまった絶望を”学園都市”という仮想的な空間を創り上げてそこで共同生活を送っているっていうのが軸のストーリーになるんですけど、その健気さと言うか……世界にはもう大人は居ないっていう心もとなさを必死で隠すために学園都市を作ったっていう話がそれだけでもう心を打つんですよ……」


「女の子たちが健気に生きていく、っていうのが好きなんだね?」ね」


「はいっ! 特に由良ゆうらっていう淡い赤髪のポニーテールをした見た目が儚くていつもにっこりと微笑んでいるみんなの先生役のキャラがいるんですけど、このゆうらの個別ストーリーの話がめちゃくちゃ出来がよくてっ……!」

 

 と、倫太郎が好きなオタク話を語っている正にその時、こころんがはるにゃんの背後を通り過ぎようとしていた。


(あっ……)

 

 倫太郎は目を合わせようとしたが、こころんがものすごい顔でにらんでいた。


(おーおーおー、はるにゃんとよお楽しんでお話してますなぁ……だーれが来いって言ったんだろうなぁ、おい)


 かなたは不満たらたらに思いながらはるにゃんと鼻の下を伸ばして楽しんでいる倫太郎を一瞥して、さっと別のお客様の元へと戻って行った。

 

(お、怒ってる……?)

 

 そんなこころんの態度に、はるにゃんは苦笑いした。

 

「お客様、実は次のドリンクを注文は、他のキャストの方に頼むことができますよ?」

 

「あ、そ、そうなん、ですか……」

 

 ちょっと考えますね、と倫太郎は言う。

 

「あ、ごめんなさい、次のお客様のご注文が入ったから……またあとでね!」


 そう言ってはるにゃんは「楽しかったよっ!」と倫太郎に囁いて、次のお客様のもとへと向かっていった。


 一人残された倫太郎は、悶々と考えこんでしまっていた。

 

(お、怒ってたよな、鈴木さん……どうしよう)


 次にこころんを呼ぶとして……と倫太郎はメニューのとある項目を見つけた。


(……これが1番、高いボイスプランなんだな……)

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