第22話 宴

串に刺した肉や野菜を、熱せられた鉄板の上にそっと並べる。

ジュゥゥゥウウ――。

油が弾ける鋭い音とともに、香ばしい匂いが庭園いっぱいに広がった。

風に乗って漂うその香りは、空腹の者の理性を容赦なく削り取っていく。


ぐぅぅぅ……。

静かな音が、しかしこの場の全員の耳に届いた。

視線が一斉に音の主へ向く。

ヘインズ聖王が腹に手を当て、気まずそうに視線を落とした。


「ほら、自分で焼くと香りが違うでしょ。お腹すいてきたでしょ」

八重子がニヤリと笑い、わざとからかうように声をかける。

普段は質素な食事を心がけるヘインズ聖王にとって、人前で腹を鳴らすなど恥ずかしいことこの上ない。

しかも今日は、王や大臣、教会の高位聖職者まで揃っている場だ。

だが、鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てる肉の脂の香りは、そんな体面を簡単に打ち砕く。

しかも、目の前にあるのは滅多に口にできない高級食材――ヒュドラの肉。

本来ヒュドラ肉は市場にほとんど出回らず、出ても王や貴族が買い占める。

立場上、彼が口にする機会はほぼない。ましてや、こうして串焼きにして食べるなど初めてだ。


「ヘインズ……よだれ出てるよ」

八重子の指摘に、ヘインズは慌てて袖で口元をぬぐった。

――しまった。腹を鳴らしただけでなく、神聖な法衣でよだれを拭うとは…。

うつむく彼の肩を、八重子が軽く叩く。

「これがバーベキューよ。肩書きなんて忘れて、周りを見てみなさい」

促されて顔を上げると、そこには肉を凝視する王や大臣、騎士団員たちの姿。

中には、よだれが地面に落ちそうになっている者までいる。

――ああ、自分だけじゃなかったのか。

この香りと光景に抗える者など、ここにはいない。


「賢者様、いつ頃食べられますか!」

恥ずかしさは一瞬で吹き飛び、ヘインズは身を乗り出した。

味付けはシンプルだ。八重子が元の世界から持ち込んだ「アジシオコショウ」を振りかけていく。

「ふふふ、この調味料は魔法の調味料だから♪」

自慢げに言う八重子。しかし容器にはしっかりと「S&B あらびき味塩こしょう」の文字。

沙也は心の中で(スーパーで普通に売ってるやつじゃん)と突っ込む。

この世界には塩や胡椒はあっても、旨味成分を含んだ混合調味料は存在しない。

だからこそ、この調味料を振りかけて焼いた香りは、異世界人の鼻を直撃する。


「さぁ、沙也、焼けたよ」

八重子がヒュドラ肉の串を差し出す。

一口かじった瞬間、口いっぱいに広がる肉汁。

甘い脂が舌を包み、赤身はほろりとほどける。


「うまぁぁぁい!」


沙也は思わず天を仰ぎ、声を張り上げた。

「なにこれ?飛騨?松坂?いや、牛じゃないよね?豚でもないし……甘い脂ととろける赤身、それでいて歯切れがいい!これがヒュドラ?」

口元から肉汁が滴り落ちる。

「そう、これがヒュドラだよ。やっぱりみんなで食べると美味しいね」

八重子も笑顔で頷く。

「うおぉぉぉ、うまいぃぃぃ!」

騎士団員や魔法師団員、料理人たちも次々と歓声を上げる。

普段はステーキで食べるのが一般的なヒュドラ肉だが、自分で焼いて食べるスタイルは新鮮だ。

人生初のヒュドラ肉を、彼らは心ゆくまで堪能する。

「まだまだ、肉は沢山あるから死ぬほど食えよ!」

レオン(矢野)が豪快に声を上げる。


「これがバーベキューというやつですか!今まで食べたどのヒュドラよりもうまい!」

ギルシア王が感嘆の声を上げる。

ヘインズ聖王は、もはや両手に串を持ち、夢中で頬張っていた。

その姿に、周囲から笑いが起こる。王も聖王も、立場を忘れて笑い合う。

酒樽の横で、レオン(矢野)が果物を手に取り、宙へ放り投げた。

誰もが一瞬、さきほどの丸太事件を思い出す。だが今回は違った。

高速の剣さばきで果物は空中で美しくカットされ、皿の上に整然と盛り付けられていく。

何がどうなっているのか、アルバートは目を見開くが、まったく理解できない。


「さすが勇者様!」

感嘆の声が飛び交い、レオンは満足げに胸を張った。

氷で冷やされた樽の果実酒が配られる。

木製の器に注がれた冷たい酒は、喉を通るたびに体の熱を和らげる。

沙也の器にはカットフルーツが浮かび、甘い香りが漂う。

「これも美味しいね」

沙也は一気に飲み干した。

八重子はギルシア王に、亜空間収納から出した冷えたハイボール缶を手渡す。

「これは?」

「まぁ、飲んでみて」

カシュッと開け、恐る恐る口に含むギルシア。

「うおぉぉ!なんじゃこれは!シュワシュワする中に木の香りと甘み、そしてコク……うまい!」

「ギルシア、それをわしにも!」

ヘインズが手を伸ばすが、ギルシアは「ダメじゃ!」と拒む。

「なんとケチな奴め!」

二人は髭や顔を掴み合い、子どものようにじゃれ合う。

「もう、バカやってないの。ヘインズにもあげるから」

八重子が呆れながらもう一本差し出すと、ヘインズは満面の笑みで受け取った。

笑い声と香ばしい匂いが、庭園の風に溶けていく。


ギルシアはふと、このバーベキューを国の祭りにできないかと考えた。

立場を超えて笑い合える場――それは賢者様と勇者様だからこそ作れる奇跡だと、心から思った。

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