第四十三話:契約
「それじゃあ田所君! 早速、ジムの契約に行こう!」
浮かれた様子の森さんが言った。
「え、今から?」
「うんうんっ。善は急げだよ!」
さあ行くぞ、と言わんばかりに、森さんは僕の右手を掴んで走り出そうとした。
「うわあっ」
情けない声をあげながら、僕は森さんに連れていかれそうになった。
……これ、本当に大丈夫なやつなんだろうか?
いくら相手が森さんだからって、こんな為されるがまま……ジムの契約じゃなかったら大変なことになりそうだ。
そんなことをぼんやりと思っている内に、僕達は彼女の契約しているジムに到着した。
「着いたね!」
「うん」
良かったな。
頭の奥底で微かに、彼女に連れられる先が悪徳業者かも、とか思っていたから……ちゃんとしたジムで安心した。
「さっ! じゃあ、契約契約!」
「……あの、森さん?」
「何?」
「その……契約に必要なものってなにもないの?」
ここまで来てなんだが、ジムへの契約に必要な書類とかはないのだろうか?
僕の鞄の中、財布一つくらいしか入ってないけど。
「ああ、それね」
「……うん」
「えっとね……。まあ、大体の人が持っているんじゃないかな?」
「本当?」
「うん。まずは、本人確認証明書」
「……本人確認証明書」
「うん。保険証とか、マイナンバーとかだね」
「あ、一応、マイナンバーはある」
「やった。じゃああと一つ」
「あと一つ……」
それは、一体?
「キャッシュカードか、クレジットカード」
「ない!」
「え……」
「ない! さすがに高校生がキャッシュカードやクレジットカードは持ち歩いてない!」
というか、クレジットカードを作った経験も、キャッシュカード用の口座を作ったこともない。
「えぇ……うそぉ……」
森さんは落胆した様子だった。
ジムの目の前、自動ドアが僕達を感知し、開いた瞬間の出来事だった。
「……逆に森さんは持ってるの?」
「まあ……」
「えぇ……すご」
「あたし、読モやってるから。お母さんに自分の口座持っておくべきだよって言われたの」
「えぇっ!? すごっ!?!??」
森さん、読者モデルやってたの!?
いやまあ、スタイルの良さや整った顔立ちを考えたら、それくらいのことはしていてもおかしくないけども。
今日まで全然知らなかった……。
いやでも、読者モデルをしていることを考慮したら、高校生の内からジム通いをしてボディメイクに勤しんでいることに頷ける。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「うん。知らなかった……」
「そっか。……雑誌に載った日には、色んな人に弄られるんだよ?」
「それ多分、弄ってるんじゃなくて褒めてるんだよ」
「へ?」
「だって森さん、可愛いし……」
「……」
森さんは顔を染めて俯いた。
「……か、カードがないんじゃ、今日の契約は難しいね」
「うん。……ちょっと親に相談してみようと思う」
「うん。……うん。それがいいよ」
準備不足も重なって、今日のジム契約の話はおじゃんとなった。
……であれば、今日はこれで解散か。
「それじゃあ田所君、ちょっと買い物に行こうよ」
「え?」
「最近、この辺に美味しそうな和菓子屋が出来たの」
……わ、和菓子?
「森さん、和菓子が好きなの?」
これまで何度か、萌実に買い食いに誘われたことはあったけど……そういう時、彼女が行きたがるお店は大体洋菓子店だった。
和菓子をチョイスするのはなんだかとても珍しい。
「え、好きだよ?」
森さんはあっけらかんと答えた。
「そうなんだ……渋いね」
「……あ、クレープとかケーキとかも当然好きだよ?」
「あ、そうなの?」
「うん。でも、洋菓子は脂質がね……」
……ああ、そういうことか。
「和菓子は脂質低めじゃん? だから、ダイエット中にどうしても甘いものを食べたくなった時には、和菓子を食べるようにしていたの」
「……さすがだね」
「何言ってるの。田所君もしてそうじゃん」
「僕の場合は、ダイエットを始めてからは甘いものはほとんど食べなくなったよ」
「あ、そういうこともあるか」
「うん」
僕は顔に陰を落として俯いた。
「どうしても食べたくなっても、成分表を見ると食欲が失せるようになった」
「……ああ、あるある」
少しだけ雰囲気が悪くなったものの、とりあえず僕達は森さんおススメの和菓子屋に向かうことになった。
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