CASE.01 - 3
先日初めて会った四宮椿という女は、俺の想像を超える失礼千万な奴だった。
今日が土曜日でなく月曜日であったなら、俺の肉体にはストレスがかけられまくり、絶不調に絶不調を突き抜けて虫垂炎まっしぐらである。心の底から今日が土曜である事に感謝していた。
外から聞こえるスズメの鳴き声に、気持ちが和む。ふとベランダに視線をやると、一匹まだら模様の鳩がいた。いとしま医学特区は他の場所と比べても人工森林の面積が広い。その影響なのか、鳥がやたらいるのだ。なるほど──俺はマンションのロビーに貼られた、鳩撃退法なる貼り紙を思い出した。
俺は適当に髪を縛っておく。電気ケトルに水道水を流し入れ、スイッチを押す。朝飯に何をしようかなんて考えるのも久々だったが、その安寧をぶち壊す着信音が大音量で室内に鳴り響いた。
「はいもしもし」
死にそうな声で俺はスマホに向かって呟いた。すぐに電話に出る癖がついているのは、外科医時代──当直業務の賜物である。
「私だ。四宮椿だ」
「は……? ちょ、ちょ、ちょッちょっと待て!!」
俺は思わず叫んだ。何が起きている? 何でこんなことになっとる? 訳が分からず俺はスマホを一度落としかけた。
「お前どうやって俺の番号を」
「
「答えになっとらんわボケが。俺はどうやって俺の私用の番号を知ったんかって聞いとるんちゃ」
「ふむ。気乗りしないが質問には答えよう」
四宮は不機嫌全開の声音で続けた。
「お前は東医の出身者だ。ならば東医のデータベースでお前の情報は見つけられる。予想通り第一著者の論文を見つけたよ。するとその論文を見ればお前の担当教授と指導医が誰なのか、そして専門分野が何なのかわかる。そこから東医の人事データベースへ飛んで出向履歴を探る。お前は当時の外科医長の推薦で東京の警視庁赤羽病院に出向し東医には戻っていない。つまりお前は出向後すぐに螺旋捜査官になった。まず螺旋捜査官になる以前の連絡先は今の番号とは絶対に違うと断言できる。長年使っている携帯番号のままであれば──」
「長え。簡潔に言えや」
「探知した」
俺はシンプルに四宮の行為に引いていた。
この女が監視を受けている理由は一瞬で理解できた。〈調査〉という名目で、平気で法律の線引きをひょいと超えるのだ。この女は。信じ難い倫理観の無さに俺は絶句する。
「つうか何の用事や。今日は休みのはずやろうが」
「残念ながら休暇は中止だ」
四宮は平坦な声音でそう告げた。何の権限で? 俺は混乱する頭を振って「いや」という一言をふり絞る。
「いや、待て。何の権限でそんなこと……俺はただの医系技官で……」
「確かにな。だがお前は医系技官である以前に螺旋捜査官だ。つまり私の監視をするという仕事がある」
「まさか下らん事で呼び出そうっちゅう魂胆やなかろうな……」
俺は嫌な予感に冷汗を流しながら電話越しの四宮に問いかける。
「お前が言う通り、〈下らん事〉であれば良かったのにな。残念ながら違う。殺しだ。死体が出た。検死に行くぞ」
唐突過ぎる展開に頭が一切追いついていない。とにかく送られてきた位置情報が示す場所へ向かわなければ。俺は冷蔵庫に放り込んでいた栄養ゼリーを吸い込んで、慌ててその辺に引っかけていたスーツにファブリーズをして着替える。
示されている場所は医学特区の中でも治安が悪いことで有名な場所だった。港湾部である。下の駐車場に停めてある黒い公用車に乗り込んで俺はその紅い印へと車を走らせた。
「つうかその殺しって一体何なんや。大体何でそんな情報が」
繋ぎっぱなしにしていたスマホは、車に乗り込むとすぐスピーカーに切り替わる。Bluetoothは優秀だった。
「県警に知り合いがいる。難解な事件や不可解な事件が起きた時、私の頭脳を頼りに来るんだ」
捜査情報が横流しされとる。俺は絶句した、が──四宮は全く意に介さず、どこか熱に浮かされたような口調で言った。
「流石に私の元に持ち込まれるだけあって奇妙だぞ」
「奇妙?」
俺は一度赤信号で車を停めて、電話越しに話しかける。四宮は少しの沈黙の後に口を開いた。
「遺体の内臓が全て抜かれた状態で、逆さに吊るされていたそうだ。遺体は男性のもので、警察の話によると死後三日は経過しているとの見立てだ。今は使われていないコンテナ倉庫のクレーンに吊るされていたという状況を考えると、状況そのものにも意味がある」
四宮はそう言って「実に興味深いな」とあからさまに楽しそうな口調でそう言った。
何で猟奇事件が起きて面白がってんだ。やっぱり倫理観をどこかに捨ててきたんかこいつ。そんなんだから螺旋捜査官に監視される羽目になるんやねえか。
「なあ。お前、何で監視なんか……」聞くだけ無駄な気はしたが、本人の意識は確認しておきたかった。「一体何やらかしたんや」
「聞かされているだろう」
四宮は先程の楽しそうな声音とは打って変わり、冷たい声音で言った。
「私は数十年前に死んでいたはずの命だ。そんな死に体を生かした神秘が私の身に宿っている」
「神秘、だぁ……?」
俺はニュートラルに入っていたギアをファーストに入れて、クラッチとアクセルを踏んで発進する。
「一体どんな神秘が宿っとるっつうんかちゃ」
俺は棘のある口調で四宮に問う。昨日は呆気に取られて良く見なかったが──緋色の瞳は幻想の印。
幻想や神秘を扱う陰陽庁に一応籍を置き、水天神楽の奉納なんて神事をやらされているのに、何故その可能性を検討しなかったのか。
単純に四宮椿という人間が幻想に寄っていると思いたくなかっただけだろう。
あんな全能的な推理と洞察力で俺の全てを暴き立てやがった奴に、神秘まで宿っていたらそんなもの役満どころか国士無双やねえか。俺はみじめな気持ちになりながら四宮の言葉を待った。
「
「…………あ?」
俺は耳を疑った。
「まあ眉唾だ。私も何が自分の身に宿っているかどうかは知らん。もう切るぞ。目の前だからな」
規制線の前に紅い人影があった。スマホを軽く耳から外した四宮椿が、俺のことをじっと見ている。
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