ゆき山
あべせい
ゆき山
「伯父さん。こんにちは。お留守ですか。お留守でしたら、入りますよー。おられるんだったら、返事をするのはいまのうちですよォー。本当にお留守ですねー。急に出てきて、『コラッ!』なんて、おどかしっこ、なしですよォー。いいですね……」
後ろから、襟首を捕まれ、
「ヒェッ!」
「オイ、おまえというやつは、どういう料簡なんだ」
「伯父さん、ですか!? この家にはだれもいない、はずじゃないンですか」
「おまえのような心得違いがいるから、こうして時々見回りにくるンだ」
「わかりました。その腕を離してください。お願いですから。ご説明します。ぼくが、この空き家に出入りしている本当のわけを……」
「早く、言え!」
「伯父さん。このお屋敷は、盗っ人のアジトじゃないかって。そう言う者がいて、ぼくが調べにきたのです。伯父さん、もしかして、その親玉だったりして……」
「おまえ、それをどうして知っている」
「ギャッ!? 本当なんですか!」
「バカもン! 本当の盗っ人だったら、いまごろおまえの命はない。そうだろうが」
「そうでしょうね」
「わしに内緒でこの屋敷にこっそり出入りしているヤツがいるらしい」
「ぼく、以外にですか?」
「今のような昼間じゃない。夜中から明け方まで、何やら作業をして、帰っていくらしい」
「何者ですか」
「わからぬ。だから、きょうは夜通し、ここにいて、そやつの正体を突き止めてやろうと思って、やって来たのだ」
「おもしろそうですね。敷地が千坪もある、この大きな屋敷は、亡くなった大きい伯父さんの持ち物なんでしょう?」
「死んだわしの兄貴、長兄の百太郎が、わしら3兄弟の親父から相続した家だ。しかし、百太郎は結婚せず、こどもがいなかったから、去年、雪山で遭難死して以降、だれも使っていない」
「でも、長男の百太郎伯父さんが亡くなった後は、次男だったあなた、つまり柔次郎伯父さんが相続したンでしょう」
「そうだが、百太郎には莫大な借金があってな、わしの弟、つまりおまえの親父の三男市三郎は、借金を嫌って相続放棄した。で、次男のわしが相続したわけだが、この屋敷が買えるほどの借金も一緒に相続したからな。この屋敷は残らないだろう」
「どういうことですか」
「百太郎の借金は全部寄せ集めると、1億円ほどになる。わしにその金があればいいが、ない袖は振れぬ。だから、この屋敷を売り払って借金を返すことになる」
「そうだったンですか」
「いま売りに出しているが、買い手があらわれぬ」
「いくらで売りに出しているのですか」
「千坪の土地付きで1億2千万円。このあたりの田舎町では、破格の値段だが、聞き合わせすらない」
「借金の額より、2千万円多いですね」
「仲介の不動産屋の手数料や、売れるまでの屋敷の維持費を考えると、2千万でも足りないくらいだ」
「それはお気の毒です。ぼくの親父はそういう面倒を伯父さんに押し付けて、相続放棄したということですか」
「百太郎とおまえのおやじの市三郎は仲がよくなかった、というより悪かった」
「どうしてですか」
「百太郎が亡くなっているから話すが、百太郎と市三郎はひとりの女性をめぐって、恋の鞘当てを演じてな」
「恋の鞘当てって、ひとりの女性を奪い合う、ということでしょう」
「そういうことだ」
「で、どちらが勝ったのですか」
「おまえのおやじの市三郎だ。百太郎はそれがために、生涯独身のままだった」
「ということは、ひょっとして、百太郎伯父さんとぼくのおやじが取り合った女性というのは、亡くなったぼくのお袋というのじゃないでしょうね」
「よく、わかるな。その通りだ」
「ゲェ!?」
「おまえのお袋、夕紀さんが、31才の若さで亡くなったのは、百太郎の恨みのせいだとわしは思っている」
「ぼくは小学生だったから、よく覚えていないなァ。でも、百太郎伯父さんがお袋に恨みを持っていたということだったら、お袋が百太郎伯父さんを裏切ったということになりませんか?」
「それは、わしにはわからん」
「ぼくのお袋は、本当は百太郎伯父さんが好きだった?」
「さァ、それはおまえのお袋、夕紀さんに聞いてみないと、なんともいえン」
「お聞きしますが、お袋はどうしておやじと結婚したのですか。写真を見る限り、百太郎伯父さんもおやじも、男ぶりはあまり変わらない。年は4つしか違わない。2人に、違っていたのは何ですか。お金ですか、社会的地位ですか、才能ですか?」
「待て、ちょっと落ち着け。少し、心を静めろ」
「ぼくはひょっとしたら、百太郎伯父さんのこどもとして生まれたかもしれないンですよ。この屋敷の跡取りだったかもしれない。これが昂奮せずにいられますか」
「夕紀さんのことを話してやる。おまえはおやじから、どんなことを聞いている」
「なんでも、ふた駅離れた隣町、桜木町の大きな薬種問屋のお嬢さんだった、と」
「それもひとり娘。本来なら、お婿さんを迎えて家業を継がせるのだが、家業の薬種問屋が左前で、資金繰りに困っていた。夕紀さんは大学の薬学部を出て家業を手伝っていたが、詩が好きだったらしく、趣味で詩作のグループに入って活動していた。百太郎もその詩の会の同人で、2人はそこで知り合った」
「百太郎伯父さんも詩人だったンですか。その点、ぼくのおやじはダメだなア。山っ気ばかりあって、文学をまるで理解しない」
「おまえのおやじ市三郎は、学生時代から株式相場が好きで、小遣い程度の金で株の売り買いを楽しんでいた。就職は大阪の証券会社だったが、27才のとき株よりも怖いといわれる小豆相場に手を出した。幸い、運がよく、数億という大金を手に入れた。市三郎はその頃、百太郎を通じて夕紀さんを知り、一目惚れしてしまった」
「なんだか、悪い予感がするなァ。ぼくのおやじは、敵役ですか」
「まァ、愚痴るな。市三郎は夕紀さんの家が金に困っていると知るや、1億円の金をさっと差しだし、薬種問屋の取締役に納まった」
「すると、夕紀さんの気持ちが変化した?」
「心変わりではないが、百太郎とはまだそんな深い仲ではなかったこともあり、夕紀さんは市三郎の強引な誘いを断りきれず、次第に市三郎へ心を寄せるようになった」
「まずい、まずいな、その展開。お袋は、自分の気持ちを抑え、相手次第でどうにでも動く、そんな優柔不断な女性だったンですか」
「そうとはいえン。夕紀さんは、自分を、より深く愛してくれる男性を選んだということだろう」
「そうですかね。ぼくはお袋が家業の困窮を第一に考え、自分の気持ちを犠牲にしたように思えるンですが」
「そんなことをいったら、夕紀さんは悲しむゾ。夕紀さんは市三郎を懸命に愛した。わしはそう思っている」
「お袋は事故死でしたね」
「遮断機のない線路を渡ろうとして、特急列車に轢かれた。しかし、幸いというか、顔に傷はなく、美しい死に顔だった」
「伯父さん、死んだしまったのに、幸いも、美しいもないでしょう!」
「すまん。わしもあのときは、強い衝撃を受けた。どうして、あんな踏み切りもない線路を渡ろうとしたのか。どこに行くつもりだったのか、考えた」
「柔次郎伯父さん」
「なんだ? 改まって」
「伯父さんもお袋のことが好きだった?」
「そりゃ、夕紀さんほどの器量よしだ。好きにならない男はいないだろう」
「誤魔化さないでください。伯父さんも、人妻になったお袋に言い寄ったことがあるンでしょう」
「そういう心配をしていたのか。それはない」
「誓って、ですか」
「一度……」
「一度、どうしたンですか?」
「一度、手紙を出したことがある。しかし、返事は来なかった」
「ぼくのおやじを含め伯父さんたちは男ばかりの3人兄弟。それぞれ年子だから、年齢が互いに1つか2つしか離れていない。ひとりの女性をめぐって、張り合っても不思議じゃない。それはわかります。でも、一旦嫁いだ女性に対して、未練たらしく言い寄るのは、罪じゃないですか」
「なにをいっているンだ」
「柔次郎伯父さんも、百太郎伯父さんと同じく独身でしょう。柔次郎伯父さんがこれまで独身できた理由も、百太郎伯父さんと同じなンでしょう」
「まァ、それは……」
「否定しないということはイエスなんですね。ぼくはいま、お袋、いや、3人の男から言い寄られた夕紀さんの気持ちを想像しているンです」
「何が言いたいンだ」
「お袋が亡くなったのは、結婚してわずか7年後のことです。お袋が結婚してから、百太郎伯父さんや、柔次郎伯父さんは、お袋に対して、お袋が悩んだり、困るようなことをしていませんか?」
「うムゥ」
「どうしました」
「考えているンだ」
「お袋が亡くなった頃、ぼくのおやじは、株の配当だけで暮らしがたつようになっていたから、毎日ひとりで遊びほうけていたと聞いています。だから、お袋は、寂しい思いをしていたはずです。そんなとき、義理の弟2人から、いろいろと相談を受けたら……」
「おまえ、何か聞いているのか」
「いま思い出したンです。お袋が亡くなる数日前、『柔さんと市さんがケンカをしている。原因は私のようなので、どうしたらいいのか』というようなことを言っていました」
「それは、わしがあの時、百太郎に意見したのだ。夕紀さんを詩の会に誘うのはやめろ、と。夕紀さんは結婚してからは、詩の会とはぷっつり縁を断っていた。それなのに百太郎は性懲りもなく毎月同人誌を送りつけ、会に出ればもっと楽しい時間がもてると夕紀さんをしつこく誘った」
「お袋は、どうしました?」
「夕紀さんは実際困っていた。詩作には興味があって、ノートに日々の心境を詩にして書いていると言っていたが、同人と交わることには心が動かなかった」
「伯父さんが、お袋から、相談を受けていたということですか」
「仕方ないだろう。わしは当時、おまえの親父、市三郎の家に居候していたから……」
「エッ!? そんな話は初耳です。ぼくの記憶にはないですよ」
「当たり前だ。夕紀さんが亡くなる前の1ヵ月ほどの間だけだったからな。わしはその頃、夕紀さんの実家の世話で、置き薬の行商をしていて、夕紀さんのご両親からも、夕紀さんの様子を尋ねられることが多かった。居候したのは、柔三郎が、夕紀さんが精神的にまいっているようすなので、しばらく家にきて、相談にのってやって欲しいと言ったからだ」
「そうだったンですか。しかし、その結果は最悪だった」
「夕紀さんが亡くなった日の朝、わしは次の行商に必要な薬を仕入れるため、夕紀さんの実家に出かける仕度をしていた。そこへ、夕紀さんが現れ、『ご一緒したい』と言った。わしは仕事で使っているライトバンの助手席に彼女を乗せ、車を走らせた。すると夕紀さんはこんなことを言った。『私の結婚は間違っていました。愛してくれるひとより、愛することが出来るひとを選ぶべきでした』と」
「ウソだ! 伯父さん、お袋が、そんなバカなことを言うわけがない!」
「おまえはまだ小学校の1年生だった。夕紀さんはやり直そうとしたンだ。百太郎の家に行きたいというから、わしは兄貴の屋敷の前で、彼女をおろした」
「伯父さんは、お袋に注意しなかったのですか。百太郎伯父さんと一緒になっても、うまくいくはずがない、って。百太郎伯父さんは、経済力がないンですよ。どうして暮らしがたつンです。お袋は、その頃、いまでいう鬱だったンですよ。鬱が、お袋を誤った考えに走らせた。百太郎伯父さんだって、困るでしょう。柔次郎伯父さんはバカだ。大バカだ!」
「すまん。考えが足りなかったかもしれン。わしはそのまま夕紀さんの実家に行ったのだが、後で百太郎から、夕紀さんは来なかったと聞かされた」
「お袋は、あと一歩のところで踏みとどまった。お袋が亡くなった鉄道の線路は、百太郎伯父さんの屋敷に行く途中に、国道を横切る形でありますね」
「夕紀さんは、徒歩で柔三郎の家に帰ろうとした。車が走る国道を使えばよかったが、昔から歩きなれている、車の走らない裏道を歩いた。そして、事故に……」
「伯父さん、お袋の死は、本当に事故なんでしょうか」
「どういう意味だ。踏み切りのない、細い裏道だ。悩み事に心を奪われて、走って来る列車に気がつかなかった。そういうことだ」
「本当にそうでしょうか」
「市太、ようやく日が暮れたようだな。そろそろ、無断宿泊者が現れる頃だ」
「忘れていました。この屋敷にくる不法侵入者を突き止めるンでしたね」
「シッ! いま物音がした」
「ここは母屋でしょう。音は隣の納屋のほうからです」
「納屋には、百太郎が乗っていた車やバイクがある。それに夕紀さんが大切にしていた、自費出版した百太郎の詩集がたくさんあるはずだ」
「詩集がどうして、納屋なんかに? 書斎に置くのがふつうでしょうに」
「百太郎は夕紀さんが亡くなると、詩作を一切やめ、山登りを始めた。それまでに自費出版した詩集は3点、手元にそれぞれ十数冊づつ残っていたのを、捨てるために納屋に運んだ。しかし、結局捨てきれず、段ボール箱に詰めたままになっている」
「伯父さん、急ぎましょう。侵入者に逃げられてしまう」
「外はもう暗い。ここに懐中電灯があるから、1つ持て」
「ありがとうございます」
2人は、母屋を出て、納屋に走ります。
納屋の表はシャッターが閉じられており、中の様子は窺い知ることはできませんが、脇にあるくぐり戸の隙間からは明かりが洩れています。
「このくぐり戸のカギは壊れている。市太、飛び込むゾ!」
「ぼくも後に続きます」
2人はくぐり戸を蹴破るようにして中へ。
「アッ、おまえは……」
「お父さん、どうして、こんなところに」
「市三郎、どういうつもりだ。おまえだったのか、夜中に百太郎の屋敷を荒らしていたのは」
「お父さんがここ1週間ほど、毎晩いなくなるのは、このためだったンですか」
「待て待て。柔次郎、おれは夕紀の手紙を探しているのだ」
「手紙!? お父さん、お母さんの手紙ってどういうことですか。家にあるでしょう」
「ちょうど1週間前の土曜の夜、おれの夢に夕紀が現れた。もう何年も夕紀の夢を見ていなかったから、おれは震えるほど、うれしかった。そのとき夕紀がおれに言った。百太郎に宛てた手紙を処分して欲しい、と」
「どういうことですか。お父さん」
「百太郎は、夕紀に対して、詩の会への出席を勧める傍ら、恋心を訴えるような手紙を何通も寄越している。夕紀は、義理の兄の手紙を無視するわけにもいかず、3通に1通は返事を出していた。それを取り戻して、焼いて欲しいというのだ」
「よほど、それが心にひっかかっていたのでしょうね」
「それでおれは、この1週間、この家に入り、夕紀が百太郎に出した手紙を探している」
「それで見つかったのですか」
「最初は百太郎の書斎から始めた。百太郎は手紙類を保管する性格ではなかったようで、亡くなる数日前の日付の封書やハガキが数点あっただけ、夕紀のものはなかった。書斎、居間、寝室だけでなく、家具、調度類の引き出しや棚、天井裏まで隈なく調べたが、見つからなかった」
「ということは、百太郎伯父さんが処分したンでしょう」
「そうだろうか」
「柔三郎、おまえは、そうは思っていないのだろう」
「そうです。百太郎が、夕紀からきた手紙を捨てたり、焼いたりしますか? 夕紀は、本当は百太郎のことが好きだったンですよ」
「エッ! お父さん、そんな重いことを、そんなに軽々しく言わないでください」
「市三郎、それが本当なら、夕紀さんが夢に現れて、百太郎に宛てた手紙を処分して欲しいなんて、頼まないだろうが」
「柔兄さん、それは違う。夕紀は百太郎に宛てた手紙をぼくに読ませたいンですよ。そこには、夕紀の本心が書かれている。夕紀はぼくと結婚したことを後悔していたから、そのことをぼくにわからせたいンです」
「2人ともどうかしていますよ。夢の話じゃないですか。お袋が、本当にそんな手紙を出したかどうかもはっきりしないのに。ばかばかしい」
「待て、市太。ここに何かある。これは百太郎の詩集を詰めた段ボール箱だが……詩集は計3巻を自費出版してと聞いている。第1集が、この『はる山』と題された詩集、第2集が、この『なつ山』、そしてこれが最後の詩集『ふゆ山』だが、ページの間に何かが挟まれている……ハガキ、アッ、夕紀の字だ、しかし、差出人は『ふゆ』としか、書いてない」
「柔三郎、『ふゆ』は夕紀さんのペンネームだ」
「お父さん、早くハガキの文面を読んで!」
「いま読むから、待て……詩集『ふゆ山』の出版、おめでとうございます。タイトルに、私の名前を使ってくださったとお聞きして、とても華やいだ気持ちになっております。久しくお会いしておりませんが、いまこちらで柔次郎さんがお過ごしです。一度、お遊びに来られませんか。ご兄弟がお顔をあわせるよい機会ではないでしょうか。その際、私の拙い詩作を見ていただければ幸いです……」
「市三郎、ごくふつうの文面だな」
「お父さん、ハガキの消印は?」
「夕紀が亡くなる3日前だ。百太郎は、その頃、一度もうちには来なかった」
「市三郎、百太郎は夕紀さんがなくなった日の前後10日ほどは、信州の上高地にいて、穂高に登っている。そのハガキは夕紀さんの死後、受け取ったに違いない」
「お父さん、何も心配することはありません。お母さんは貞淑なひとだったンです」
「そういうことだな。家捜しは徒労だった」
「すべては百太郎の片想い、思い込みからだ。詩集のタイトルに夕紀さんの名前を使い、去年の暮れに、雪深い冬山に登り、夕紀さんとの思い出にふけったのだろうが、不注意から雪道に足をとられ、崖から転落した」
「柔次郎伯父さん、百太郎伯父さんは、ゆきのせいで、人生を誤った……」
(了)
ゆき山 あべせい @abesei
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