第3話 黒い影

――黒い影が、木々の間を疾風のように駆け抜けた。

刃の煌めきが陽路の頬をかすめる。即座に対応し、火花を散らしながら受け止める。


「くっ……! まさか、こんな場所で仕掛けてくるとは!」

陽路は歯を食いしばりながら、敵の連撃を受け流す。

その背後では、遥花が必死に息を呑んで立ち尽くしていた。


敵は二人。気配を消すように間合いを詰めてくる。

一撃一撃が重く、明らかにただの野盗ではない。


「遥花様!」


陽路の声と同時に、風を切る音――。もう一人の敵が、迂回して遥花へ刃を向けていた。

振り返った瞬間、白刃が迫る。


避けるには遅い――!


だが、その時。

敵の動きが不自然に止まった。背筋を走る寒気のような気配。

やがて二人は互いに視線を交わし、迷うことなく霧のように姿を掻き消した。


残されたのは、張り詰めた空気と、土に散らばった数枚の落葉だけ。


「……逃げた?」

遥花が震える声で問いかける。


陽路は剣を握ったまま、しばらく敵が消えた方角を睨みつけた。

「いや、違う……これは撤退の合図だ。」

剣先を下げ、陽路がつぶやく。

安堵と同時に、守り切れなかったかもしれないという恐怖が胸を締め付けた。


同じ頃、森の奥。

霧の帳の中に戻った部下たちが、膝をつき主に問いかけた。

「影風様、なぜ撤退を?」


影風は背を向けたまま、遠くを見ていた。

その横顔に浮かぶのは、冷徹とも、懐かしさともつかぬ微笑。

「……十分だ。俺の目的は果たされた。」


部下が息を呑む。

「目的、とは……。」

答えは返ってこない。ただ、彼の視線だけが静かに森の奥を貫いていた。


「遥花様――。」

その名を胸の奥で呟き、意味深な笑みを浮かべた。


荒い息を整えながら、陽路は慎重に周囲を見渡した。敵の気配は、もう感じられない。

土に散った枯葉が、風に揺れただけだった。

「……行きましょう。ここに留まっていては危険です。」

声には安堵と同時に、張り詰めた緊張が残っていた。遥花は黙ってうなずき、陽路の背に寄り添うように歩き出す。


木立を抜けると、やがて遠くに高い城壁が見えてきた。城壁の内側から、鐘の音が微かに響いてくる。

そこが――久遠の中心、天響の里だった。


遥花は立ち止まり、じっと城壁を見上げる。懐かしいのか、初めて見るのか、自分でもわからない不思議な感覚が胸を占める。


「ここが……。」

「はい。この国の中心ともいえる場所です。」

陽路は短く答えながらも、心中では別の思いに揺れていた。

先ほど、敵の刃が遥花に届きかけた。あと一歩遅れていたら――。

その不安が、胸の奥に影のように沈み続けている。


「……本当に、私がここにいていいの?」

遥花の小さな声。


陽路ははっとして振り返る。

「……無論です。貴女は綴る者として、この国に必要な方。そのお戻りを、ずっと皆が待ち望んでいたのです。」


「……私には、よくわからない。記憶もないし……。」


「……思い出せなくても構いません。今の貴女の隣に、私がいますから。」

陽路は深く頭を垂れた。声は硬く、それでいて震えていた。


――守りきれなかったかもしれない。

その恐怖が、言葉を強くしていた。

遥花はただ、俯いて拳を握りしめるしかなかった。

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