39話 夏の終焉

「いったい何がどうなったのですか?!」


久しぶりに鉱山の進捗を見に行こうと馬車に乗り込んだ途端、扉が閉まるのを待ちきれず、テティが身を乗り出してきた。


「え……なにがかしら?」


戸惑って首を傾げると、テティはぷくっと頬を膨らませて言う。


「アメリア様とヴァルク様です!

明らかにおかしいですよね? ついこのあいだまでは、まるで新婚のご夫婦のように、どんなにお忙しくても一日に一度は顔を合わせておられたのに……。

今では、おふたりとも避けているように見えます!」


「そ、それはちょっと語弊があるわね……」


アメリアは言葉を選んだ。

自分は決して避けているつもりはない。

けれど、ヴァルクの方は――まるで距離を置くように、必要以上に顔を合わせないよう努めているようだった。


(……考える時間をくれているのだろう)


そう理解してはいても、胸の奥はぽっかりと空いたままだ。


「彼なりの考えがあるのよ。あっ、ねえ、それより……」

アメリアは慌てて話題を変える。

「もし私が結婚してノルディアへ行くことになったら、テティも一緒に来てくれる?」


思いがけない提案に、テティは目を見開いた。


「それは……正式にアメリア様付きの侍女に、ということでしょうか?」


「ええ。あなたとメルディ卿が真剣に交際しているなら、その方が都合がいいでしょ?」


「……」


テティは俯いたまま黙り込み、アメリアが「あ、ごめんなさい。余計なことを――」と言いかけた瞬間、彼女の頬を涙が伝った。


「ごめんなさい、アメリア様……。

私は、マリア様のおそばを離れることはできません……。

リンク様のことを素敵だと思うのも、恋をしたのも本当です。

でも……」


膝を抱え、震える声を押し殺すテティ。

アメリアは慌てて隣に移り、そっと肩に手を置いた。


「そんな、いいのよテティ。

私こそごめんなさい。

いくら素敵な方を見つけたとしても、長年仕えてきたお義姉様から離れるなんて、簡単なことじゃないわよね。

あなたがそばにいてくれたら嬉しいと思っただけで、無理にとは言ってないの。」


テティは涙を拭い、かすかに笑った――けれど、その顔は青ざめていた。


「……本当に、大丈夫?」


「はい。申し訳ありません。取り乱してしまいました。」


「私はあなたの幸せを祈っているわ。」


こくりと頷いたテティを見て、アメリアの胸に静かな感情が広がった。

(マリア様のためにここまで泣けるなんて……)

彼女の忠義が、少しだけ羨ましかった。

前世のカリナは、果たしてアメリアに――ここまで尽くせただろうか。


***


鉱山に到着すると、辺りはいつもより活気づいていた。

乾いた風に鉱石を砕く音が混じり、掛け声と笑い声が絶え間なく響いている。


馬車が止まると同時に、ひときわ大きな声が飛んできた。


「殿下!」


顔を上げると、そこにいたのはガルド・エインハルトだった。

第三部隊の隊長でもある彼が、今は採掘された鉱石を護衛する隊の指揮を任されている。


アメリアに気づくと、彼は少年のような笑みを浮かべた。


「殿下、見てください! 今朝だけでもこれだけの鉱石が出ました!」


彼の指差す先には、輝く鉱石の山が積まれていた。

光を受けて、青と銀の粒が混じり合うようにきらめいている。


「まあ……本当に、こんなに?」

アメリアは思わず息を呑んだ。


「はい! 新しく掘り進めた区画で、ようやく脈が繋がりました。

もう少し掘り進めれば、さらに純度の高い鉱脈に届くかもしれません。」


嬉しそうに語るガルドを見ながら、アメリアの胸に温かいものが広がった。


「時に殿下、もうすぐこの地を去る時が近づいておりますね。」


「ええ、そうね。帰りはエインハルト卿もご一緒出来ますか?」


「はい! と言いたいところですが、残念ながら、お帰りの時は団長と第一部隊だけになりそうです。

婚約の儀も済ませてから戻ると聞いているので、出来ればぜひ拝見したかったのですが……冬支度もあり、こちらも手が離せないので。」


「そうですか……。私が来てしまったことで皆様には面倒をかけますね。」


「何をおっしゃいますか! あなたがいなければ、山崩れで作業員は生き埋めになり、工事は頓挫していたでしょう。

こうして鉱山を掘ることができているのは、すべて殿下のおかげです。まさに救世主ですよ!」


(そこまで言われると、申し訳ない気もするけど……)


未来を知っていたからこそできたこと――そう思うと少し居心地が悪い。

それでも、誰も怪我をしなかっただけでも、ここへ来たかいがあった。

アメリアは、後ろめたさを隠すように笑みを作った。



***




そう、もうこの地を離れなければならない。

美しい新緑の夏は終わり、まもなく極寒の冬がやって来る。

息をすれば喉が凍るような、あの長い夜を思い出し、アメリアは思わず身を震わせた。


次にこの地を訪れるのは――おそらく三年後。

ヴァルクと正式に結婚した後になるだろう。


城の背にそびえ立つエルレイム山を見つめながら、アメリアは未来を想像した。


三年後、彼と共にこの地へ戻って来るのは、果たして“今の自分”なのだろうか。


その問いが胸の奥で静かに波紋を広げる。


この地で生きる未来を思い描くたびに、頭に浮かぶのは――美しい王女の姿。

不意に、ヴァルクが言った言葉が脳裏をよぎる。


『もし――あなたがこの先、他の誰かを愛し、私の元を去ると考えたら……正気でいられる自信がない。』


その言葉は嬉しさと同時に、鏡のように自分の心を映し出した。

(私も――同じなのだ。)


アメリア王女がヴァルクと生きる未来を、心のどこかで拒んでいる。

彼女がヴァルクを受け入れられないのではと考えるのは、言い訳でしかない。

誰よりも私自身が、ヴァルクが“他の誰か”と生きていくことに耐えられないのだ。


――アメリア王女と国のために与えられた人生なのに。




唇を噛みしめ、もう一度、エルレイム山を見つめた。


――これが最後になるかもしれない。



どんな答えでも、彼は受け入れてくれる。

だからこそ――逃げずに王都に戻ったら、ヴァルクに伝えよう。



この地で生きた過去も、そして今も、その山と光景と共に心に刻みつけた。





  第一章 完

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侍女が王女に転生?!英雄と結婚して破滅の国を救います! カナタカエデ @KaNaTk

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