36話 夏祭りの誘い
腕まくりをした白いシャツに黒皮のベストを着た彼は近づいてくると、腕を組んで窓を覗き込んだ。
血管と筋肉の筋が浮き上がる太い腕に、思わず見惚れそうになる。
慌ててヴァルクの顔を見上げると、目の下にはわずかに疲労の影。
それでも、その瞳は凛として揺るぎない光を宿していた。
「お仕事は、ひと段落ついたのですか?」
「いや……このあとは山崩れの現場に行く予定だ。」
「えっ? なんのためにです?」
「資材の搬出が終わったから、今回の災害の復旧と今後の対策を講じる準備だ。
それが終わったら……今日はもう予定はない。」
「そうですか……あの山道を使う方もきっといますものね。
早く終えて、今日はゆっくり休んでください。」
アメリアが柔らかく微笑むと、ヴァルクはほんの一瞬だけ視線を逸らした。
その仕草に、なぜか胸がくすぐったくなる。
「……祭りには、行かないのか?」
「ええ。ここでこうやって民の様子を眺めているだけで、十分楽しめますわ。」
窓の外では、風に揺れる色布が陽を受けてきらめき、街中の音楽がひときわ賑やかに響いている。
アメリアの言葉を聞きながらも、ヴァルクの表情はどこか考え込むようだった。
「……王宮から返答が来た。」
「――!」
アメリアの胸が一気に高鳴る。
だが、ヴァルクの表情からはその答えを読み取ることができない。
「王は……なんて?」
沈黙が落ちる。
しばし、風の音だけが二人のあいだを満たした。
やがてヴァルクは、わずかに口角を上げて言った。
「……良ければ、夜に祭りに行かないか?」
「えっ――行きます!!」
あまりにも嬉しくて、思わず食い気味に返事をしてしまう。
驚いたヴァルクと目が合い、互いに一瞬言葉を失った。
その後、アメリアは頬を染め、慌てて視線を逸らす。
「い、いえ……その……はじめての祭りですから、つい……」
「……そうか。」
ヴァルクの声が、どこか照れくさそうに低く響いた。
「では、夕暮れ時に迎えに行く。準備しておいてくれ。」
「はい……お待ちしています。」
窓の外では、夏風が涼やかに吹き抜け、色布がひらひらと舞っていた。
アメリアは胸に手を当て、心の高鳴りを抑えきれずに微笑む。
――はじめての、ヴァルクからの誘い。
その小さな約束が、胸いっぱいに幸せを満たしていった。
* * *
アメリアはストーン城の侍女から町娘らしい服を借り、
髪の色が目立たぬようひとつに編み込み、藍色のバンダナでまとめた。
(ヴァルクは……やっぱり今日も全身マントで現れるのかしら)
今度こそ、せめて自分だけでも顔を出せたらと、あれこれ言い訳を考えていると、
執事のハロルドから「裏門にヴァルク様がいらっしゃっています」と伝えが入った。
いざふたりで出かけるとなると、心臓が掴まれるように苦しくなる。
門の前に立つヴァルクを見つけると、彼は先ほどと同じ出立で、
特に変装をしている様子はなかった。
(領主なのに……バレないようにしなくていいの?)
拍子抜けしていると、アメリアに気づいたヴァルクが目を細める。
「今日は完全になりきっているな。
誰もあなたがロキア王室の王女とは気づかないくらい自然だ。」
「それは……褒め言葉と受け取ってもいいのですか?」
ヴァルクはフッと笑い、アメリアの頭に優しく手を置いた。
「もちろん。宝探しの次は、“お忍びの達人”になったと噂されるはずだ。」
(え? それって、バレてるってことじゃ……)
どういう意味かと見上げて混乱していると、ヴァルクは吹き出して笑った。
「か、からかいましたね!」
「すまない。ここは私の領地で、しかも今日行くのは塀に囲まれた市街だ。
あなたには誰も手を出させない。安心してくれ。」
つまり、ここでは彼は顔を隠す必要がないということか。
「では、今回は……手を繋がないのかしら?」
少し拗ねたように言うと、ヴァルクは穏やかに笑い、アメリアの手をそっと取った。
大きな手は温かく、アメリアの心まで包み込むようだった。
その瞬間、胸の奥に灯る小さな炎が、静かに、けれど確かに燃えはじめていた。
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