31話 夜のひととき
「それで結局、なにも見つからず帰ることになったんです。」
「ふっ……ははっ。リンクも、とんだ役目を負わされたな!」
退屈凌ぎに宝探しの顛末を語って聞かせると、ヴァルクは堪えきれぬように笑い出した。
少しは自分の苦労もわかってもらえるかと思ったのに、彼が気にしたのは見習い騎士の青年のことだけだった。
「言っておきますけど、今はまだ断壁の表面から探してるから進んでいないだけですからね。
もう少し断層の奥まで掘れれば、きっといい反応が出たはずです!」
悔し紛れにそう言い返すと、ヴァルクは唇の端を吊り上げてニヤリと笑った。
「そうか。……よし、なら雨季が明けたら、まずはあの鉱山に採掘用の足場を作ってみよう。」
「えっ!? 本当ですか? では経路を変更してくださるんですの?」
アメリアが思わず身を乗り出すと、ヴァルクは穏やかに微笑んだ。
「悪いが、それは約束できない。
だが、資材の被害も受けてしまったし、復旧には時間がかかるだろう。
別の鉱山にいる熟練の採掘師を何人か、あなたの“宝探し”の助手として向かわせるから、もしその間に成果が上がれば――西の鉱山から新しい街道を伸ばす、十分な理由になる。」
―なるほど。
街道の建設には国からの援助も入っているはず。
つまり、もし金脈を見つけられれば、最短経路よりも優先される可能性があるということ。
「……わかりました! 必ず見つけてみせます!」
アメリアが気合を込めて答えると、ヴァルクは目を細め、わずかに口元を緩めた。
焚き火の赤い光に照らされたその横顔は、いつもの冷徹な指揮官ではなく、どこか柔らかな温もりを帯びて見えた。
少しずつ――ほんの少しずつ、彼との間にあった見えない壁が崩れていくようだった。
と、その瞬間――
「……っ、くしゅん!」
思わず小さなくしゃみがこぼれた。
焚き火の火はあるものの、洞窟の奥はまだひんやりとしている。
ヴァルクが眉を寄せてこちらを見る。
「寒いのか?」
「そ、そんなことありません。ただ……ヴァルクがいつまでもそんな格好だから、見ているこっちまで寒く感じただけです!」
慌てて言い返すと、ヴァルクは一瞬きょとんとした後、苦笑を漏らした。
そして焚き火のそばに掛けて乾かしていた上着を手に取り、ゆっくりと袖を通す。
乾いた布が擦れる音が静かに響いた。
「これでいいか?」
そう言いながら、もう一枚――厚手の外套を手に取り、火にかざして湿り気を確かめると、肩に羽織った。
そのまま、ちらりとアメリアに視線を向ける。
「……こっちへ。」
ヴァルクが片腕をわずかに広げる。
意味が分からず、アメリアは首を傾げたまま近づいた。
「? どうかされ――きゃっ!」
次の瞬間、腰を軽く引き寄せられ、気づけばヴァルクの膝の上に座らされていた。
外套がふわりとかけられ、二人をすっぽりと包み込む。
「夜は長い。少しでも眠れそうなら眠ってくれ。
寒くないようにしておく。」
「い、いやっ……重いですっ!」
慌てて立ち上がろうとしたが、腰に回された右腕の力はびくともしなかった。
「陽が登ればすぐにここを発つ。体力は温存しておいたほうがいい」
低く穏やかな声。
命令のようでいて、どこか優しさが滲むその響きに、アメリアは抵抗の気力を失った。
ヴァルクの腕の中で、彼の体温がじんわりと伝わってくる。
その温もりが、焚き火よりもずっと近くにあった。
アメリアはそっと彼の横顔を見上げた。
険しいはずの表情が、今は静かに安らいでいる。
その頬を見た瞬間――ふと、胸の奥がざらついた。
(……そういえば、あのとき。)
思い出したのは、城に到着した時。
シンシアが彼の頬に口づけをした光景。
ヴァルクはそれを避けようともしなかった。
あの人がそういう挨拶をするのを知っていたのに、受け入れたのだ。
――なのに、わたしには。
どんなに助けられても、抱きしめられても。
彼の方から触れてくることはない。
手の甲にも、頬にも、唇にも。
(……いっそのこと、自分からしてみようか。)
胸が苦しいほどに跳ねる。
ヴァルクの腕の中で、焚き火の音だけが静かに弾けた。
自分でも信じられないほど鼓動が速い。
唇が震える。
それでも、そっと彼の頬に顔を近づけ――
触れるか触れないか、ほんの一瞬の距離。
その瞬間、ヴァルクの身体がピクリと動き、反射的にアメリアの肩から離れた。
火の粉がわずかに散る。
「なっ……なにを――」
低く、驚いた声。
アメリアは一瞬で顔が熱くなる。
(これじゃ……まるで、わたしが襲ったみたいじゃない……!)
「だっ、だって……ヴァルクはシンシアと――!」
恥ずかしさと惨めさがいっぺんに込み上げ、声が震える。
八十年も生きてきたのに、恋をしたことも、誰かに想いを伝えようとしたこともなかった。
だから、どうすればよかったのかなんてわからない。
「はあ?!あなたとシンシアは違う!」
反射的に声が荒くなる。
涙がにじみ、喉の奥が焼けるように痛かった。
「私に……頬にキスされるのは、そんなに嫌なんですか!?」
ああ、もうだめだ――。
思わず叫んだ声が洞窟に反響する。
自分でも情けなくて、どうしてこんなことを言ってしまったのかと後悔しかけたとき、ヴァルクは息を吐き、わずかに眉を寄せた。
「……あなたが、そんなことをする必要はない。」
静かな声だった。
責めるでも、怒るでもなく、ただ痛みを含んだような響き。
“必要はない”――
その言葉がグラグラと視界を歪める。
ヴァルクは、俯いたまま肩を震わせるアメリアを黙って見つめていた。
焚き火の明かりが、涙に濡れた頰を淡く照らす。
そっと彼が手を伸ばす。
指先が、アメリアの頰に触れた。
熱い。――涙のせいか、それとも彼の掌の温もりのせいか。
「……泣くな。」
低く、掠れた声でそう言いながら、ヴァルクは左手でそっと涙が伝う頰に触れた。
アメリアの顎へと手をうつすとゆっくりと持ち上げた。
視線がぶつかる。
アメリアは反射的に目を逸らしたが、ヴァルクは逃がさない。
近づく気配に、息を呑む。
「あ……」
声にならない声を漏らしたその瞬間、
彼の唇が、そっと触れた。
ほんのわずか、羽のように軽い口づけ。
それは拒絶でも衝動でもなく、たった一つの答えのようだった。
ゆっくりと唇が離れ、とても近い距離で目が合う。
「……すまない。まだ婚約の儀も終わってないのに、王に顔向けできないな」
真っ赤になったアメリアを見て、ヴァルクはふっと微笑んだ。
そして、涙でぐしゃぐしゃになったアメリアの顔を、自分の胸にそっと押し付ける。
「………もう寝ろ」
アメリアは彼の胸の中で小さく頷き、目を閉じた。
胸の鼓動が静かに響き、夜の静寂に溶けていった。
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