30話 洞窟

パチパチと焚き火が燃える音だけが、洞窟の中に響いていた。

何を話そうか、頭の中でいくつもの言葉が渦巻くのに、いざ顔を上げてヴァルクを見ると、結局何も言えずにまた俯いてしまう――それを、もう何度も繰り返していた。


「……そろそろ。殿下は、何か話したいのではありませんか?」


「えっ?」


顔を上げると、ヴァルクが鋭い目でこちらを見据えていた。

焚き火の炎がその瞳に映り、まるで睨まれているような迫力に胸がどきりと跳ねる。


「えっと……皆さまがご無事で、本当に良かったです!」


「……それだけですか」


「え、あの……その、こんなことが起きたので、経路の変更を検討されますか?」


「それは今、話すことでも、あなたと相談することでもありません」


(うーん……この人、何を言わせたいのかしら……)


アメリアは眉を寄せ、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。

沈黙のあと、ヴァルクの低い声が響く。


「あなたは……私の命令を無視してここに来た。それがどれほど危険なことだったか、わかっているのですか?」


彼の丁寧な言葉遣いが、かえって怒りの熱を際立たせていた。

その静けさの奥に、燃えるような感情が見え隠れする。


(これは……かなり怒ってるわね)


「それは……謝りましたよね? 心配だったからと、申し上げたかと思います」


「ばっ……ごほん。はっきり申し上げます。あなたに、私を心配する必要はありません」


(今、絶対“馬鹿”って言おうとした!!)


「誰を心配しようが、わたくしの勝手かと思いますわ」


ヴァルクの眉がさらに深く寄る。

焚き火がはぜ、影が彼の顔を揺らした。


「私はこれまで戦場で生きてきた人間です。お城の中で守られてきたあなたとは、潜り抜けてきた場数が違う」


「だから、心配されたくないということですか?!」


「そうじゃない。――自ら危険に飛び込むなと言っているのです!!」


鋭い声が洞窟に響き、アメリアは思わず息をのんだ。

口論の応酬が、ふいに止まる。


(あ……そうか。彼……心配してたんだ)


「それは……ごめんなさい。あなたを助けなければと思って、無我夢中で……馬に乗っていたんです」


居たたまれずに顔を背けると、ヴァルクの深いため息が洞窟にこだました。

焚き火の炎が、揺らめきながら二人の影を壁に映す。


「お願いです。ノルディアに滞在されたいのであれば、私の指示には従ってください。あなたを守るために」


ぶっきらぼうな言い方なのに、不思議と胸の奥が温かくなる。

アメリアは小さく頷いた。


「……わかりました。お約束します。

でも、その代わりに私のお願いも、聞いてくださらないかしら?」


「経路のことなら」


「それはお任せします! きっと正しい選択をしてくださると信じていますから」


ヴァルクの目が、わずかに見開かれた。


「私のお願いは――呼び方を変えませんか?」


「呼び方?」


「王都で街に出かけた時のように、もっと気軽に呼び合いましょう!

私のことは“殿下”や“王女様”ではなく、アメリアと。私も、あなたを“ヴァルク”と呼ばせていただきます」


「……はあ」


「それと、私を動かしたい時や止めたい時は、命令ではなくお願いしてください。

私はあなたのよく知る通り、王女ですので……命令されると、反抗したくなってしまうのです」


焚き火の炎がぱちりと音を立て、ふたりの間に柔らかな沈黙が広がる。

呆れたように黙り込むヴァルクを見つめながら、アメリアは頬杖をついて、にこりと微笑んだ。


「では、さっそく試してみましょうか。――ヴァルク」


「……」


彼は難しい顔をして、しばらく炎を見つめていた。

やがて観念したように、低く口を開く。


「……アメリア」


「はいっ!」


ぱっと笑みを咲かせるアメリアに、ヴァルクは居心地悪そうに目を逸らした。


「……なんですか、その顔は」


「嬉しいからです! あぁ、なんだかずっと昔からそう呼ばれていたみたい」


「……気安すぎます」


「そうですか? 私はとても良いと思いますけれど」


くすくすと笑う声が、焚き火とともに洞窟に弾んだ。

ヴァルクは小さく息を吐き、肩を落として再び炎を見つめ直す。


「……ふぅ。これ以上怒るのも、馬鹿らしいな」


そう呟いた彼の横顔が、焔に照らされてほんのり赤く見えた。


(良かった……もう怒ってなさそう)


アメリアは胸をなで下ろし、外に耳を澄ます。

雨音が次第に強まり、洞窟の入口を滝のように水が流れ落ちていた。

外にはもうほとんど光がない。夜が迫っている。


「今日中に城には戻れそうにないな」


ヴァルクの声が低く響く。

閉ざされた洞窟、焚き火の温もり、そして隣にいる彼の気配。

危険な状況のはずなのに――胸の奥では、なぜか小さな期待が灯っていた。


(この人と……もっと深く、分かり合えるかもしれない)

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