10話 疑惑の王子

アレクサンダーを招いたのは、王宮の庭園がよく見える広い窓に覆われた応接室だった。

明るい日差しが差し込むだけでも気持ちが強く持てそうだった。


やがて重々しい扉が開き、赤いマントを翻しながら彼が姿を現した。


「ご機嫌麗しく、アメリア王女」


その微笑みは絵画の中にいるように整っていた。だが瞳だけが、笑っていない。

やはりこの男は、いまでもアメリアを狙っている。


「婚約発表ぶりですね。あのときはふたりっきりでお話しするチャンスがありませんでしたから…貴女に会えることを、どれほど望んでいたか……」


声は穏やかで、ひとつひとつの言葉が丁寧に選ばれていた。

けれど、アメリアにはわかる。

この優しさは仮面であり、その奥には狂気にも似た独占欲が潜んでいると。


アメリアはどうにか口角をあげ、微笑んで返した。


アレクサンダーは席に腰を下ろすと、しばし彼女を見つめ続けた。


「……我が国は、貴女が私を選ぶことを何の疑いもなく、心待ちにしておりました。

王も、民も。それがこんな結果になり、正直なところ、どんな顔をして国に戻ったら良いか毎日悩んでおります。」


静かに、しかし重みを帯びて告げられる言葉。

アメリアは思わず指先に力を込めた。


「けれど……」と、彼はそこで口調をやわらげ、少しだけ顔を近づける。



「私は王子である前に、ひとりの男です。

あなたのお気持ちを尊重しましょう。

たとえ――この先にどのような結末が待っていたとしても」


最後の言葉だけが、妙に甘く、そして冷たい余韻を残した。

その含みは、まるで「拒絶が悲劇を呼ぶ」と暗に告げているかのようで、アメリアの胸を締めつける。



アメリアは深く息を吸い、胸の奥で迷いを振り切った。


(恐れてはダメ。私はアメリア王女。国を守り、国民を守る、誇り高き人でいないといけない。)


「……アレクサンダー殿下。

私の夫となるのは、ヴァルク・ストーン伯爵です」


その言葉は、揺るぎない響きをもって応接間に落ちた。

一瞬、王子の瞳が細められる。だがアメリアは怯まない。


「ですが――私は同時に願っております。

ロキアとユーラシアの関係を、これまで以上に発展させたいと。

婚姻ではなく、政略でもなく。

私たちは“政治”でこそ繋がるべきではないでしょうか?」


自分でも驚くほど、声は澄んでいた。

その言葉に込めた決意は、ただの拒絶ではなく、未来を切り開く意志だった。


アレクサンダーはしばし沈黙した。

やがて、ふっと口元に笑みを浮かべる。その笑みは王子としての余裕に満ちたものに見えた。


「……なるほど。さすがはロキアの王女殿下。

お言葉のとおり、政は婚姻よりもはるかに重い。

その考えを、私は尊重しましょう」


柔らかく告げる声には、理性と威厳が漂っている。

しかし――その双眸の奥で、何かがぎらりと揺らめいた。

冷ややかな光が、抑え込まれた怒りと執念を物語る。


「だけど、忘れないでください。

私があなたを妻に望んでいたということを。

あの野蛮人を王宮に招き入れたことをきっとあなたはいつか後悔するでしょう。」


アレクサンダーはゆるやかに立ち上がると、赤いマントを整え、優雅に一礼した。

その所作はまるで舞台の一幕のように完璧で、王子としての威厳を保っている。


「本日は、実に有意義なお話を賜りました。

どうかロキアの未来が、殿下のお望みのとおりに進みますよう――祈っております。」


低く響く声には一分の乱れもない。

だが最後に視線を向けた瞬間、その眼差しにだけは隠しきれぬ熱が宿っていた。

炎のように揺らめき、氷のように冷たい執念の光。


扉が閉ざされると同時に、応接室には静寂が戻る。



(宣言はした………あの男が……ユーラシアがどう出るか………)



閉ざされた扉を見つめ、ただ祈るしかなかった。

1日でも長く平穏な日々が続くことを。

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