「専属モデル」


それから数日、アトリエはいつも通りの忙しない日々に包まれていた。

机の上には布の山、スケッチブック、サンプル生地が散らばり、義隆はひたすらペンを走らせる。林も隣で次々と資料を整理し、秋コレに向けての準備に余念がなかった。


「西野、このライン、もうちょっと肩幅狭くした方がいいんじゃない?」

林の言葉に義隆はうなずき、指で布を撫でながら微調整する。

「了解、調整してみる。」


美葉さんはいつも通り、低い声で指示を出す。

「袖のカットはそのままで、ラペルの角度だけ変えなさい。目立たせたい部分は、光を反射する糸を使って。」

義隆は言われた通り、布と糸を前にして丁寧に作業を進める。


「あ、そうだわ西野、ちょっと話があるわ。」

美葉さんが低い声で声をかける。疲れを感じさせない鋭い視線が、義隆をまっすぐ見つめていた。


「来年度のコレクションの専属モデル候補、何人か上がってるの。俳優の佐久間祐也君、アイドルの藤原ライト君、それから……モデルの瀬名隼人君。」


義隆は手を止め、視線をスケッチからそらす。胸の奥でざわつくものを押さえながら、慎重に声を出す。

「……ふむ、なるほど。」


林が資料を指差しながら声を弾ませる。

「お、佐久間君も演技派で人気ありますし、雑誌映えもする。でも、藤原君は若手アイドルで注目度抜群っすよね。ファン層も広い。」


美葉さんは腕を組み、資料をながめながらうなずく。

「佐久間君は俳優としての存在感があるけど、雑誌向きの雰囲気は少し硬いかしら。藤原君は華やかだけど、表現力がまだ弱い印象ね。」


林がにやりと笑う。

「ならやっぱり、瀬名隼人っすよね。モデルとしての完成度が高くて、服を着せたときの映え方が段違いです。」


美葉さんも迷わずうなずく。

「私もこの中なら瀬名隼人ね。顔もいいし、雑誌向きだわ。某ブランドのランウェイでも彼を見たけど、歩き方も完璧だった。」


義隆は視線を手元に戻すが、少し居心地の悪さを感じながら、手を動かす。

「……そうですね、確かに魅力的です。」


「決定したらまた知らせるから。」

美葉さんはそう言って自分の机に戻って作業を始めた。


林は義隆の横顔をチラリと見た。


「西野……なんか、さっきから妙に空気変じゃない?」

林がちらりと義隆を見ながら言った。


義隆は慌てて頭を振る。

「いや、別に……何でもない。」


林は腕を組み、にやりと笑う。

「ほんとに?なんか居心地悪そうに見えるけど。」


美葉さんも低い声で、義隆の肩越しに言う。

「西野、口ではごまかせても、手は正直ね。」


義隆は思わずスケッチブックに目を落とした。

そこには、普段なら絶対に描かないような奇抜なデザインが描かれていた。ラインはいつもより大胆で、形もどこか現実離れしている。思わず息が止まる。


「……くそ……」

心の中で小さく呟く。動揺を押さえ込もうとしても、ペンを握る手がわずかに震える。


林が軽く肩を叩く。

「おい、そんな顔してどうした?変なデザイン描いちゃったのか?」


義隆は苦笑いを返し、目をスケッチからそらす。

「いや、ちょっと……考え事を。」


美葉さんは腕を組んだまま、鋭く義隆を見つめる。

「西野、現実逃避はできないわよ。」


義隆は深呼吸を一つして、心の中で自分に言い聞かせる。

「切り替えろ……仕事に集中しろ……」


手元のスケッチブックに視線を戻し、再び布と糸に向き合う。


"瀬名隼人"その名前がどうしても頭から離れない。



それからもいつも通りの忙しない日々が続いた。

しかし、心の片隅には先日の候補者の名前がちらつく。

「瀬名隼人……」

手は止めず、ペン先を紙に走らせるが、ラインを引く手がわずかにぎこちない。


「西野、少し話があるわ。」

美葉さんの低い声が背後から響いた。義隆は深呼吸をして顔を上げる。

「はい。」


美葉さんは資料を机の上に置き、静かにうなずく。

「来年度のコレクションの専属モデル、瀬名隼人に決定よ。」


一瞬、空気が止まったかのように感じた。

義隆の胸の奥で、何かがざわつく。手元の布も、スケッチも、いつものように滑らかに動かない。


「……承知しました。」

ぎこちない声を絞り出す。だが表情には動揺を隠す。プロとして、感情を表に出すわけにはいかなかった。

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