「デザイナー」
デザイン室は今日も慌ただしい。
机の上にはスケッチや布サンプルが散らばり、ミシンの音がリズムのように響いている。
「西野、それ。色味がちょっと重たい。」
美葉さんが俺のスケッチを覗き込み、眉をひそめた。
「秋のコレクションだからって、暗くしすぎないで。抜け感を意識しなさい。」
「……はい。」
思わず姿勢を正す。美葉さんの指摘は厳しいが、的確だ。
「ほんとに分かってる?」
「分かってます。」
「口だけは達者ね。」
毒舌を残して去っていく背中を、林が目で追いながら吹き出した。
「ははっ。今日も健在だな、美葉さん。」
「笑いごとじゃない。」
俺は机に視線を戻す。鉛筆を走らせても、線が思うように定まらない。
「でもまあ、あれだろ。次号からはお前が表紙の衣装任されるんだから、そりゃ厳しくもなるさ。」
林はタブレットを操作しながら、軽い調子で言う。
「雑誌の看板を引き継ぐなんて、普通なら十年はかかる仕事だぞ?」
「……プレッシャーで胃がやられそうだ。」
「そういう顔してる。ほら、もう青白い。」
林がわざと深刻そうに俺の顔を覗き込み、また笑う。
その笑いに、少しだけ肩の力が抜けた。
「でさ、まだモデル誰になるか決まってないんだよな?」
「詳しくは聞いてない。」
「気になるよなあ。俺、最近舞斗推してんだよ。勢いあるし、若手の中じゃトップクラスだろ。」
「……舞斗か。」
名前を繰り返すと、林は満足げにうなずいた。
「まあ、どんな奴が来ても西野の服着るんだし。俺は安心してキャッチコピー考えるわ。」
「お前は気楽でいいな。」
「だろ? 役得だよ。」
軽口を叩きながらも、林のペン先は止まらない。
タブレットの画面には、新しい宣伝用のキャッチコピーが次々と描かれていた。
仕事を終えた夜、美葉さんがパソコンを閉じて、勢いよく立ち上がった。
「はい!今日はここまで!行くわよ、飲み!」
「え、えぇ?今からですか?」
林が時計を見て眉をひそめる。
「当たり前でしょ。今日だってみんな頑張ったじゃない。ちょっとは気晴らししないと!」
「いや、俺明日も作業あるんすけど……」
「明日も明後日もあるわよ!だから飲むの!」
有無を言わせない笑顔で、林の肩をばんっと叩いた。
気づけば義隆も「どうせ断れないな」と思いながら、自然と二人の後ろを歩いていた。
居酒屋のざわめきの中、三人のジョッキが軽くぶつかり合った。
テーブルの上には焼き鳥の串がいくつも転がり、揚げ物の油の匂いが漂う。
「いやぁ~、でもやっぱり秋コレの特集、広報泣かせですよ」
林が愚痴をこぼしながらジョッキをあおる。
「毎回デザイン部が締め切りギリギリに修正してくるから……」
「何よ、それ。いいもの作るための調整でしょ?」
美葉さんが即座に切り返す。
「はいはい……わかってますって。もう慣れてますよ」
林は肩をすくめて笑った。
義隆は隣で黙って聞いていたが、美葉さんが急に振り返る。
「……あんたもよ。最近、夜中まで残ってるけど、無茶してない?」
義隆は一瞬言葉を探し、曖昧に笑った。
「……まあ、なんとか」
「なんとか、じゃないのよ。作品は命だけど、あんたの身体も命なの」
その言い方は厳しいのに、不思議と温かみがあった。
林がちゃっかり口を挟む。
「ほらほら、こう見えて美葉さん、部下想いなんすよ」
「うるさい!」
美葉さんが箸を振り上げ、林が大げさに身を引いた。
義隆はそのやり取りを黙って聞きながら、串の先を皿に置いた。ふと壁に貼られた大きなポスターが目に入った。爽やかな笑顔の男性がビールジョッキを掲げている。
「あ!この俳優、俺めっちゃ好きなんすよ!
えーと、確か名前は、、瀬名隼人!」
林がポスターを指差して声を弾ませる。
「は?俳優?何言ってんの。モデルでしょ、この人」
美葉さんがすかさず反論した。
「いやいや!俺ドラマで見ましたもん。あの恋愛ドラマで、めっちゃ泣かせる役やってましたよ!」
「そんなの、モデルが片手間で出ただけよ。元々はランウェイ出身だし、有名ブランドの広告もやってるんだから!」
「俳優ですって!」
「モデルに決まってるでしょ!」
二人の声が妙に大きくなって、隣のテーブルのサラリーマンが振り返るほどだ。
ポスターの笑顔がやけに鮮やかに見えた。
義隆はグラスを口元に運びながら、視線を逸らす。心臓が妙にざわつく。
林がふいに、にやっと笑って振り返った。
「なぁ義隆。デザイナー目線で言ってくれよ。この人、モデル?俳優?」
「そうよ」
美葉さんも肘をつき、じっと義隆を見る。
「あなたならどう思うの?」
二人の視線に挟まれ、義隆は一瞬、息を詰めた。
答えを探すように氷を回し、少し間を置いてから口を開く。
「……どっちでもいいんじゃないですか。要は、見せたい服が似合うかどうか、それだけでしょ。」
努めて軽く笑いながら返すと、美葉さんが「ふーん」と意味深に目を細め、林は「なんだよそれ~」と苦笑した。
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