第5話勇者の歩み

 100年の災厄は復活したが、その日の王都はひどく静まり返っていた。

 市場の喧騒も、工房の槌音も、どこか遠ざかったように感じられる。人々は皆、同じ方向へと視線を向けていた。──王城の奥にそびえる聖堂。その中心に祀られた聖剣が、突如として淡く光を放ったからだ。その日はエリアスは災厄から逃れるために兄弟と共に王都に避難してきた日であった。


 長き沈黙を守っていた象徴。戦乱を終結させた鋼の刃が、再び脈打つように輝き始めた瞬間、人々は息を呑んだ。


「剣が……応えている……!」

「まさか……勇者が選ばれる時が来たのか!?」


 囁きは波紋のように広がり、街はざわめきに包まれた。



 エリアスは広場に立っていた。

 人々の声に押されるように顔を上げたとき、視線はまっすぐ聖堂の高窓へと吸い寄せられた。胸の奥で、なにかが熱を帯びて脈打つ。理由は分からない。だが足は勝手に動き出していた。


 ざわめく群衆を縫い、石畳を駆け、聖堂の門へ。

 兵士が制止しようとしたが、その刹那、剣の光は一層強くなり、彼を呼び寄せるように煌めいた。兵士は言葉を失い、道を開けた。


 重厚な扉を押し開くと、冷たい空気が流れ込んでくる。

 聖堂は静謐で、外の騒ぎが嘘のように消えていた。祭壇の中央──そこに突き立つ聖剣は、燭台の炎よりも鮮烈な光を放ち、空気を震わせていた。


 エリアスは一歩、また一歩と進んだ。


(俺を……呼んでいるのか)


 恐怖が喉を締めつける。自分などが、勇者と呼ばれるに値するのか。復興のために汗を流しただけの人間だ。剣を振るい、国を救った英雄たちに比べれば、何の力もない。


 だが足は止まらなかった。

 その瞬間、剣が語りかけてきた。


「──来たか」


 声は響き渡る鐘の音のように、彼の心を震わせた。


「幾度も巡った戦いの記憶を、汝は受け継ぐことを望むか。剣を執り、己を捧げる覚悟はあるか」


 エリアスは立ち尽くした。

 脳裏には、過去の勇者たちが歩んだ道がよぎる。五年に及ぶ戦火。仲間の死。重き孤独。そして勝利の果てに待つのは、ただ剣を収める瞬間だけ。


 それはあまりにも過酷で、哀しみに満ちていた。


(俺は……同じ道を歩むのか?)


 胸が震える。逃げ出したい衝動がこみ上げる。だが、同時に見えたのは復興に励む人々の顔だった。瓦礫を片づけ、畑を耕し、必死に未来を築こうとする姿。その笑顔と涙。


 エリアスは拳を握りしめた。


「俺は……守りたい。戦火を越えて、ようやく取り戻したこの世界を。ここで出会った人たちを。たとえ同じ道を歩むことになっても──」


 言葉が終わると同時に、祭壇の石が大きく裂けた。

 眩い光が溢れ出し、聖剣はその束縛を断ち切るように浮かび上がった。


 エリアスは震える手で柄に触れた。

 刃は熱くも冷たくもなく、ただ確かに鼓動を刻んでいるようだった。


 次の瞬間、眩い閃光が聖堂を満たし、外にいた人々の目にも届いた。



 聖堂の扉が開いた。

 白い光を背に、一本の剣を掲げた青年の姿が現れる。


「勇者だ!」

「新たな勇者が誕生した!」


 群衆は歓声を上げ、涙を流し、互いに抱き合った。

 その中心で、エリアスはただ静かに剣を見つめていた。


 刃の奥から、かすかな声が響く。

「よく応えた。これより汝は勇者なり。だが忘れるな──剣は道を示すのみ。歩むのはお前自身だ」


 エリアスは深くうなずいた。

 恐怖も迷いも消えたわけではない。だが、背負うべきものを理解した。


 彼は人々の前に歩み出た。

 その歩みはまだぎこちなく、確かな道筋は見えない。だが、その一歩こそが新たな時代の始まりだった。



 その日の夜、夜空にはかつて見たことのない星々が瞬いていた。

 剣の輝きと呼応するように、世界は静かに息を吹き返していく。


 エリアスは聖剣を携え、暗い未来に立ち向かう覚悟を胸に刻んだ。

 それは、終わりではなく始まり。

 ──勇者としての歩みが、今、ここに始まったのだった。

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聖剣は見ていた──勇者たちの物語の先 月島あかり @tukisima_A

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