局部の片隅で

てると

局部の片隅で

 局部銀河群の片隅の、その大地の一隅のなかの地域で、今夜も膨大な感情が投げ交わされている。

 そこにはほとんどなんの合理性もなく、また善悪の根拠もない。ただ、僕たちを圧倒する、しかも欲望と誤解からの自己否定と、電流のようなエロスとアガペーが、一切の意味と理由を欠いてやりとりされているのである。


 かつて、本も読まず、ただ笑いながら自分のための生を続けていたとき、僕は確かに笑っていた。しかも、そこには隣人たちへの思慮という善悪もなく、義務による罰もなかった。そこではたとえ、物知り顔の人たちに皮肉の籠った軽蔑をされても、自己の体験の強さによって、ただ一切は一切であることがそのまま自己、すなわち無我と浸透していることが、無上の情緒だったのである。


 しかし、経験は進む。時間の数直線上を移動するのではなく、経験が進み続け、西の青紫と東に迫る闇夜のスペクトラムも、やがて暑い雨雲に覆われて、ともかくどこかに仮の宿りを探さなければならなくなる。雨の夜に着る物もなく彷徨うと、風邪をひいてしまうからである。

 仮の宿りを見つけてこれ幸いと住み着けば、先人も言うようにそこが終の住処のように感じられてくる。もちろん、やがてどこかへ行く、必ず行くときは行く、ということは、こんな人間ならとうに誰よりも知っているのだが、それでも、恋々としてしまうことが、人情、と呼ばれる。人情、非人情、という対比もあるが、非人情に住み心地の良さを感じる人も、いつまでも人心地がつかないことには耐えられない。そこに詩が生まれ、画が生まれる、と言えばいかにも解脱していて煩悩を忘れさせてくれるが、欲望と不安に駆り立てられる人情は、絶対者を求める、恋人を求める。そうすれば、やはり人は人情の世界で、あの電流に絡めとられていくのである。


 ところが、その恋人が非人情の浸透を、利害に無関心に享受していることを知ったとき、人情と自己保存の世界に入り込んでしまっていた自分を発見し、ふと銀河に旅立ちたくなるのである。


 そうしているとき、ふと本が読みたくなる。賢者の言葉は、既に僕たちの経験を踏まえているからである。時代が変わっても、経験はそう変わっていないのだ。


「人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることが出来るのである。」


 生涯のほとんどを戦場で過ごした哲人皇帝は、日記にこんなことを記していた。

 僕はとても共感する。しかし、というところで……。


「情緒的な理由を持って田舎に移住する輩は少なくない。

(と言っても何を目的として移住するのかは人それぞれだが、今回は例外は除外としよう。)

しかし、それはなんかなぁ違うなぁ~と思ってしまう。」


 十年前の楽しい夏場に、こんなことを書き残していたのは誰だ?僕だった。

 確かにその頃の僕は田舎を愛していたのだが、当時の朝ドラや深夜アニメを観て、その幻想にも似た情緒に反対したかったのである。

 要するに僕は、その数年後に、里山を作ってそれを芸術とします、というようなコンセプトの施設に、その<自然主義>に反対したのと同様の美学から、なにか、自然、と言いつつ作為的に自然を求めていくような人間の行動にいやな不自然を感じていたのである。それよりも、大乗仏教の説くような、出世間、というものがあるとすれば、本来山であっても都市であっても変わらない、という言葉に惹かれていた。僕は、ずっと、隠遁、というものに憧れていたのだが、他の人と僕とを比較した場合、経験の全般からして、僕にはあまりにも「妥協」ということが欠落しているのである、いつも、ラディカルに考えてしまうのである。そうすると、極限まで山奥の、ほとんど誰にも見つからないような山村での孤独か、さもなくば住環境などどうだっていい、ということになってしまうのである。見てきたかぎり、多くの上手な人、というのは、選択肢のあるなかからであれば、その場のありあわせのなかから良いものを選ぶのである。


 僕は、通い詰めた哲学の師匠にあれだけ、「救いはないよ!」、「蓮の上で寝ててくださいって話ですよ」、などとはっきり示されていたのにも関わらず、ずっと、ブッダ、つまり、完成された人、をモデルケースとして考えてしまっていたのである。そうすると必然的に、大事を思い立った人は、全てを擲ってでも……、という発想になる。友人からは、「神になろうとしてはいけない」、などと言われていたが、実際に僕が違和感を持っていた通り、神を目指していたのでもなんでもなく、彼岸に至りたかったのである。元々、幼い頃から死というものが絶対的な恐怖の対象であるような子供だった。それで、最初に触れた哲学系の本も、養老孟司の『死の壁』というものだった。そうかと思えば、丸一年何の憂鬱も不安もないひたすらに情緒に浸る季節を過ごし、その後しだいに私小説の世界に向かい、やがてひどい神経症にもなった。その頃は、完全に先の一年間の情緒に絡め取られていたので、その場その場での上手な対処、ということが考えることもできなくなっていたのである。だから、ひたすら自己忘却と根本的な解決を求めていた。その頃から、二年ばかり前までは、今度はラディカルな解決策として、自ら死ぬ、ということを考えるようになり、実際に首を絞めたり薬の大量服用も敢行した。しかし結果からわかるとおり、どうも初めからさらさら死ぬ気はなく、かといって人に見せびらかしたいわけでもなく、ただ踏ん切りのつかない人間が気休めをした、という程度にしかならなかった。


 かつて一世を風靡したショーペンハウアーの哲学は、芸術を救済と見做した。しかし、芸術はあくまでも表象による一瞬の気休めのようなもので、さらなる救済のためには禁欲によって意志を滅却しなければならないとした。しかし現実には、人は進み続ける経験と、自分が何もしなくても勝手に進んでいく流れのなかで、ともかく回転し続けなければならない。そのとき、祈りはいっときの平安をもたらし、芸術はさまざまな刺激をもたらす。もちろん、薬がそのたびに営みの支えとなるだろう。


 もう僕は、あらゆる人間に完成の理想を投影しなくなった。ということは、完成の理想から自分が裁かれることもなくなっていくだろう。苦悩と共に歩み、そのつどの対処をしながら、日々、自分のための仕事をして、やりたいことをやって、愛する人を愛して、夜毎に捨て去ること、その繰り返しのなかから、たまに素敵な出会いがあって、優れた作品もできるものだと思うようになった。その優れた作品も、鑑賞者にとっては毎回ひとときの愉しみであり、制作者にとっても、後生大事にいつまでも保たれ続ける悦びにはならないことを、もう知ってしまった。


 人間は、薄情だ。薄情でない者がいるとすれば、れいの神様のような鞭をもった熱情である。だから僕はずっと、田中角栄を愛してきた。角栄は、薄情でも熱情でもなく、彼の愛はお金をばら撒くことだったからである。現代人の薄情は、熱情の人から離れてほどほどの孤独を生きながら、コンテンツの豊かさに依存しているのだろうと思う。日々作品に触れることができて、日々自分の制作に没頭できて、あとは安心できる環境で、仕事を続けながら、健康と生活が維持できれば、それでよいのだろう。


 そう思いつつ、引っ越し先にしたい地域の物件を調べてみた。あった。家賃四万円台で、駅までも二十分足らず、スーパーや産地直送の店も近い。働くところも、ありそうだ。そんなに気負いして働く必要も、意義もない。

 なるようにしかならないが、うまくいくようにはなっている。だから、今はただ愛していたいのだ。

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