格好悪くても、情熱だった | エッセイ

シロハル(Mitsuru・Hikari)

オーディション

 東京にいた頃、音楽で生きていくと決めていたのに、オーディションというものをろくに受けなかった。業界に媚びるのはアーティストではない、そんな風潮や自分のポリシーもあった。だが本当はそれ以上に、一歩ずつ地道に取り組むことに抵抗があったのかもしれない。「今はまだ……」や「もっと近道があるはずだ」といった言い訳が足踏みをさせていた気がする。

 それでも数少ない経験の中で、今も記憶に残るオーディションがある。二十四歳の頃、有名アーティストが多く所属する某大手事務所での最終選考だ。


 オーディション会場は、事務所の会議室のような場所だった。その部屋には、私を含む六人の応募者が緊張した面持ちで座っていた。これからステージで歌うかのように華やかな衣装を着た人もいれば、スウェット姿のずいぶんとラフな格好をした人もいる。だが、ここに座る全員が同じ目的を持ってここに集っているのだ。

 そして目の前には、長い机が並べられ、社長を含む審査員がこちらをじっと見つめている。私たちの一挙手一投足を見られているような張りつめた空気の中、私たち応募者には、自己PRとアカペラでの歌唱が課されていた。一人ひとり順番に、審査員と応募者の前でそれを披露する。私は四番目だった。

 緊張に襲われそうになる度、目を閉じてこっそり深呼吸をした。ここに来る前、何を話すか、歌は何をうたうかを決めていた。大丈夫、練習どおりにやるだけだ。いつもはギターを弾きながら歌っているため、アカペラは自信なかったが、この日のために何度も練習を重ねてきた。曲は、オリジナルソングである。ここにいる皆に見せつけてやるのだ。


 オーディションでは、R&B、J-POP、ロック等、様々なジャンルの曲が歌われた。どうやら、オリジナルは私だけのようだ。最終選考オーディションということもあり、皆、歌唱力は抜群だった。だが、これは想定していたことだ。だからこそ、私は何か違うことをして目立たなければならないと思っていた。


 私の前である三番目の男性は、自己PRをしていたときから、あまりの緊張からか呼吸が荒くなっていた。彼のアカペラの歌は、私の知らないロックバンドの曲だった。出だしから声が震え、ブレスも上手くできてきない。段々と呼吸が苦しくなり、途中から歌えなくなってしまった。オーディションどころではなく、社長や審査員たちに心配される始末だ。残念だが、彼は間違いなく落選だろう。

 男性は、私の隣に着席した後も、ぜえぜえと荒い呼吸をしたままで、皆が心配した視線を向けていた。これから私の番が始まる。が、なんだか、とてもやりづらい雰囲気になった。

 隣の男性に注意が向けられる中、名前を呼ばれて私は立ち上がる。これから、審査員の前で自己PRをしなければならない。

 既に用意していた台詞を口にする。


「自己PRなど、ありません。歌を聴けば、すべてわかります」


 そう言って羽織っていたジャケットを脱ぎ捨てた。これも決めていたことである。

 振り返ると、よくこんな演出を考えて実践したものだ。若気の至りだ。今の私なら、絶対にやらない。自分を俯瞰できていなかった。もし私が審査員だったら、こんなに自分を特別だと思っていそうな応募者を採用したいとは思わない。

 他の応募者たちが心地良い曲をカバーする中、私は自分のオリジナルソングである、戦争をテーマにした歌をうたい始めた。

 アカペラで少しピッチは不安定になる。だが、声はちゃんと出ている。曲の世界観に入り込み、最後に転調してクライマックスを迎える。ここは一番の見せ場だ。一気に熱量を上げた。

 その瞬間だった。


「……はあ、はあ、はあ、はあ……」


 先程の男性の過呼吸が激しくなったのだ。とても静観できる状態ではなくなった。

 この時点で、私の歌に集中して聴ける人はいなくなった。頭が真っ白になった。歌の世界から、突然に現実に戻ったような感覚になり、急に調子が出なくなった。音程がうまく取れない。何度も練習した歌が無力に感じられ、魂が揺らぐ恐怖に陥った。

 過呼吸の男性のもとに、審査員が駆けつけた。他の審査員たちも、ちらちらと彼を気にして視線を送りながらも、私の歌を聴いているといったふうに大げさに頷いていた。


 ……終わった。


 薄情な私は、彼を心配する気持ちよりも激しい悔しさがこみ上げていた。何年も歌に込めた夢が、他人に奪われた気がして、やり場のない怒りが湧いた。よりによって私の出番で。なぜ彼が主役になっているのか……。

 そんな状況下でも、歌い終わった私に、社長は丁寧なコメントをくれた。


「好き嫌いが別れそうな歌だね。大衆ウケはしないかもしれない。メッセージ性が強いからさ。ちょっと現代的ではないよね。でも、コアなファンは付いてくるだろうね。まあ、俺は好きだね。うん、よかったよ」


 よかった。社長はちゃんと聴いてくれていたのだ。心の底から安堵した。また、社長のコメントは、核心を突いていると思った。私の歌は大衆ウケをしない。それは自覚していることだった。むしろ、大衆ウケな歌に対して逆らっているふしがあった。だから、私にとっては、嬉しい褒め言葉なのである。


 審査結果は後日に各々へ連絡が来るとのことで、応募者たちは解散となった。

 私としては、男性の過呼吸に邪魔され、消化不良のような後味の悪いオーディションになってしまった。彼に罪はないのだけれど。男性は、上半身をだらりと前に倒してあからさまに落ち込んでいる様子だった。彼の震える肩を見て、怒りが少しだけ同情に変わった。その瞬間、自分の中のわだかまりが少しだけ解けたような気がした。


 私と過呼吸を起こした男性以外の応募者たちは、帰り際にお互いの健闘を称え合い、褒めるばかりの歌の感想を言い合いながら、食事に向かっていった。

 群れるなんて、アーティストじゃない。私は尖った気持ちで鼻を鳴らして、足早に帰路に着いた。


 一週間後、事務所のオーディション担当のスタッフから電話がかかってきた。今回は「合格者なし」だそうだ。当然だろうな、と思った。オーディションを受けたときから何も期待していなかった。また、失礼なことだが、私以外の応募者も落ちたことに安堵した。

 やはり、私にはこういうのは向いていない。そう思うことで、アーティストとしての素質を疑うことをしないように努めた。何も反省せず、現実から目を逸らして、自分の信じる音楽街道を闊歩し続けていた。


 思い出すと、もっと素直に自己表現すればよかったものの、ずいぶんと奇抜な行動に出たと思う。だが、あのときの「私はアーティストである」という矜持がそうさせたのだ。あるいは、情熱と言い換えてもいいかもしれない。きっと未熟で痛々しくすらあったが、それが答えだったのだ。


 四十代を目前にして、何かに情熱を持てずに過ごしている人の多さに驚くことがある。たとえ、格好悪くても、情けなくても、夢中になれる瞬間があること。それこそが、人間の持つ美しい輝きではないだろうか。私はそんな姿に出会う度に、愛しく感じる。だからこそ、あのときの私を笑うことはできない。


 今の私は胸の奥に、あの不器用な情熱や、自分らしさを貫く覚悟を持って生きているだろうか。ときどき、自分に問いかけている。


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格好悪くても、情熱だった | エッセイ シロハル(Mitsuru・Hikari) @shiroharu0726

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