人でなし夫婦道中記 番外編
右中桂示
月下の人は変われども
秋の月は静けさを優しく照らし、
八幡宮近くの、木々に埋もれるようにして建つ住居。古くも風情のあるその場所で、一組の夫婦が月見の風情を堪能していた。
信太郎と永が夫婦になって半年程。仲睦まじい二人が縁側から揃って空を眺める。
名月の明るさは、居心地の良い沈黙を破らせた。
「美しい月ですね」
「ああ、全くだ。穏やかな心持ちになれる」
「日頃お疲れなのですから、こんな時ぐらいはのんびりしましょう」
「お互い様だ。いつも助かっている」
信太郎は妖怪への対処を生業としている。円満に解決できる場合もあれば荒事に発展する場合も。危険なこの生業を続けられるのは永の支えあればこそだ。
仕事柄、夜に突然呼び出される事も多いがこの日はないようだ。このまま平穏である事を月に祈る。
「……何処か水辺に行こうか。水面に映る月は美しいはずだ」
「美しく見える場所は人が多いでしょう。あなたと二人、静かに月見ができればそれが最上です」
「……そうか。それもそうだな。ならば、このまま」
「はい」
夫婦は縁側に座ったまま、言葉なく、じっと空を眺める。
月と、互いの存在、余計な物のない世界を味わっていた。
と、急に風が強く吹いた。冷える。そっと温もりを求めて二人は体を寄せ合った。
流れた雲が月を隠す。暗さが増す。顔に影のかかった永が、声を落として呟く。
「あら、月が……」
「これもまた風流だろう」
「ええ、あなたが隣に居ればどんな月も、どんな雲も。いえ、例え月がなくとも」
「それでは流石に月見とは言えぬだろう」
「ええ。あなたと共に居られれば、それで良いのです」
「……おれも同じかもしれぬ」
膝の上で手を重ねる。握る。秋の涼しい空気も寄せ付けない熱が生まれる。
微笑み合って、愛しさに浸った。
信太郎がまだ何も知らなかった頃。
ただ純粋に幸せの中に浸っていた頃。
己の欲から目を背けていた頃の話である。
秋の月は眩いばかりに輝く。月見日和の空の下、そこに静けさはない。賑やかな声が虫の音をかき消さんばかりに響く。
八幡宮近くの、木々に埋もれるようにして建つ住居。古くも風情のあるその場所で、一つの家族が過ごしていた。
「ねえねー。あのむしほしい」
「母ちゃんおだんごなくなっちゃったー」
「おっ父! しょうぶだ!」
信太郎と永、ヒルデに三つ子。各地を巡り、かつて暮らしたこの家に戻ってきた、平穏な一家
ヒルデと共に虫を追いかける集作。月見団子を次々と頬張る正吉。薄をぶんぶん振り回す俊介。それぞれ月も無視して遊んでいる。
はしゃぐ子供達にとっては、月の美しさなど二の次だった。
「もう、捕まえたりしちゃダメなの」
「えーほしいのに」
「仕方ないのう。待っておれ」
「まって。いっしょにいくー」
「それは振り回すものではないのだが……まあ、稽古をしたいなら相手してやろう」
「よーし、やるぞー!」
集作を止めようとするヒルデ。台所へ向かう永を追いかける正吉。信太郎も薄を手に俊介と剣術の真似事。
子供達の遊び相手が最優先だ。
名月の下に楽しげなはしゃぎ声が響いていた。
「偉かったの。ヒルデ」
「ね、がんばったでしょ」
「おれ達に任せて好きな事をしていても良かったのだが」
「ヒルデはお姉ちゃんだからね」
三つ子が遊び疲れたので布団に寝かせた後、ヒルデは永に甘えて膝に乗ってきた。
胸を張って話すのを二人で褒め、月見団子を頬張る幸せそうな顔を見守る。
そうしてしばらくお喋りしていたヒルデも、いつの間にか船を漕いでいた。そのまま永にしがみついて寝てしまう。
この日はじめて名月をじっくり眺め、信太郎は感嘆した。
「ゆっくり月を見ていられぬな」
「確かにのう。以前の月見とは大違いじゃ。残念かの?」
「いいや、どちらも等しく素晴らしい夜だ。残念な訳がない」
「ふむ。今の方が幸せとは言わぬのじゃな」
「比べられるものか」
「ほ。比べてもわしは拗ねたりせんぞ?」
「分かっている。今の答えは父として失格かもしれぬ」
「人でなしが今更じゃろう」
「確かに、な」
寝入ったヒルデの背を優しく撫でながら微笑む永は、月に劣らない美しさ。
すぅすぅと寝息を立てる子供達の寝顔は、月に負けない輝かしさ。
以前と場所は同じでも、形の違う家族。まるで別物の月見。
かつては想像もしなかった景色だ。
全てを知り、旅路の果てに掴んだ幸せが溢れんばかり。決して離さないと月に誓う。
風が吹こうと温かさは胸に残り続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます