まけまけ街道

一休トキオ

「辰、聞いてるの?」

「辰、聞いてるの?」

 話をつい聞き流してしまうのは僕のよくない癖だ。母は、ときどき聞いているかの確認をする。僕が聞いていなかったときだけきまって確認をしてくる。それにしても久々に実家に帰ると、家族も親戚もよく話すものだと感心する。

「来年は就活でしょ。構えておくのよ。のうのうと暮らしてたら出遅れちゃうんだから。」

 出遅れたって別にいいのに。田舎の知り合いの一部は、すでに結婚していたり子どもを設けていたりする。成人式の再会では高卒の同級生がやけに大人びて見えた。先生には、相変わらずとっちゃん坊やだと笑われた。チャラつくのも苦手だし、生まれ持っての童顔のせいだ。

「ほんで、東京で彼女はできたんか?」

 酔っ払った吉彦おじさんが聞いてくる。僕がノンケでも、余計なお世話だろうに。彼氏ならいたことはあるが、そのうち結婚はまだだとか孫を見たいだとか言われ始めるんだろう。

「おじさんみたいにモテんけんね。」

 童貞であるが、処女(というと語弊があるが)ではない。性体験の数でいえば人並みよりも多いかもしれない。僕がケツ穴にちんぽを突っ込まれて雌化していることをもちろんおじさんは知るよしもない。

「勝おじさん、辰をからかわんといてよ。」

 美っちゃんには子どもが二人いるが二人とも女の子だ。先に生まれた甥っ子の僕を未だに気にかけてくれている。

「辰はどんな会社に就くんぇ?」

 将来のやりたいことが早くに決まっている同級生たちが羨ましかった。そのうちに決まるかと思っていたらこの歳で、潰しが利くと言われて進学先にも経済学部を選んだものの、案の定、学ぶ内容に興味が持てずに関係のない他学部の授業の単位ばかり取得してしまっている。

「普通にサラリーマンになれたらどこでもええかなって。」

「おまえ、普通って言うても色々あるやんか。お勤めしとっても皆同じような仕事しとるんちゃうで。」

「まだ辰は決まってないんよね。就職なんてご縁やからね。仕事は何をしたって仕事よ。内容が苦でないんやったらご縁に任せて選んでもええんやない?」

「環境の良え悪いは入ってみんと分からんけんな。」

「でも今はインターネットで探すんやから、仕事の系統だけでも先に決めとかんと探すにも探せないよ。」

 親戚たちが僕を蚊帳の外にああだこうだと言っている。僕は慣れない昼からの宴会に、むしろ眠くなってきていた。三分の一ほどになった握り寿司と桶を眺めている。ガリの残りの一固まりに箸を伸ばすタイミングを伺っていたら、美っちゃんがさっと取ってしまった。

 広間の襖の向こうから子どもたちの賑やかな声が聞こえてくる。僕がしていた昔のテレビゲームも、子どもたちには新鮮なようだった。久しぶりに会った成吾兄さんは逞しさにますます磨きがかかったように見えた。

「辰弦くん、お水飲んでおき。」

 奈津穂姉さんが気を利かせてチェイサーを持ってきてくれた。

「千葉さんとこの陽希、結婚するんやってな。」

 陽希くん、父が所属していた青年会議所にいた人の息子だ。青年会議所の行事に連れていかれていた頃、何度か会うことがあった。陽希くんとはお互いに引っ込み思案なところが似ていて、集まりに陽希くんがいたら横にいることが多かった。陽希くんは携帯機のゲームをしていることもあれば、本を読んでいることもあった。特に構われず、でもそばにいても平気だったことが僕にとってはあのコミュニティのオアシスのようだった。

「それがえらい歳上の嫁はんらしいわ。」

 きっと、そこまでの歳の差でもないのだろう。SNSやマッチングアプリで他人と知り合うのが当たり前の現代は、歳の差のある他人との接点も自ずと多くなる。

――おす

 卓ちゃんからメッセージ。空間に開いた風穴に吸い込まれるように、「ちわ」とスタンプで返事をした。

――映画行かん?

――――いいけど今実家

――いつ帰るん?

――――火曜の予定

――金曜は?

――二限のあとなら

 気が付かなかったが、矢的さんからも一時間ほど前にメールが来ていたらしい。来週の土日のどちらかと誘われていたので、土曜を希望する。矢的さんからは三ヶ月に一度くらいのペースで声をかけてもらっている。週末の昼過ぎに矢的さんの家で会って、矢的さんの気が済むまで、掘られる。多少粗雑だがセックスを終えれば律儀にご馳走してくれる。矢的さんはお酒が好きなので、日曜より土曜のほうが都合が良いだろう。

「私、この人嫌いやわぁ。」

 テレビに映ったタレントについて美っちゃんが言う。見覚えはあるけれど、テレビを日頃見ていないこともあって詳しくは知らない。

「ほんで愛人キャラってなにがよ。」

 僕も愛人と似たようなことをしている気がした。車の停まった気配がして、子どもたちがどかどか入ってくる。

「こんにちはあ。」

 浪川さんたちだ。父が生きていた頃は浪元さんが時々遊びに来た。浪川さんの馴れ馴れしいところが、僕は少し苦手だ。浪元さんと娘さんと、子どもが二人。子供が増えて部屋の温度がぐっと高まる。

「浪川さん久しぶりやなあ。」

「どうもどうも。出来上がっとるとこすいません。」

「お兄ちゃん知らん間に大人っぽうなったねえ。」

 浪川さんの娘さんに言われる。皆の視線が急に僕のほうを向くのでどぎまぎした。

「浪川さん、ドライでいい?」

「なんでも!すいません!」

「華ちゃんは運転あるよねえ?」

 浪川さんにビールが運ばれてくる。

「すいません、手酌で。」

 泡がグラスから溢れる。

「いかん、まけた。」

「あとで冷やしたからぬるかったかな。ごめんね。」

 華さんが咄嗟にあおむしの絵のハンドタオルで拭く。

「ほれ、ティッシュ。」

「ありがとうございます。すいません。」

「ポケモン好き?」

 清瑠ちゃんが聞く。

「好きだよ。」

「何好き?」

「サンドパン。」

「え?」

「見て!ポケカ!」

 港が口をはさんで、巾着袋の中からカードの束を取り出して見せる。

「そんなん持ってきても意味ないやろ。お前以外ここで誰がそれしてるねん。」

「港と辰弦くん、なんか歳の離れた兄弟みたいやねえ。顔がどことなく似てるわ。」

「成吾も昔は色白かったしなあ。」

「そうよそう。小さい頃の成吾と辰、写真見てみ。そっくりやもの。」

 今の成吾兄さんが僕に似ていたなんて想像がつかない。

「ほんまに女っ気なかったのに急にええ嫁さん連れてきてなぁ。」

「疲れただろ。」

 勝矢兄さんが息抜きに広間を出た僕に話しかける。

「何飲んでるん?」

「ミロ。懐かしいよな?牛乳まだあるみたいやし飲んでみ。」

 客人用のソーサー付のカップしか見当たらずに、手近にあった適当な湯呑みでミロを作る。レンジでぐるぐると回るそれを見ながら、やっぱり明日帰ろうと決心した。

 離れた東京へ戻ると、この家には二人と飼い猫のトニーだけが残るのだ。トニーはいつだって適度に甘えて、適度に素っ気ない。

「まだ時間あるでしょ。お墓参り行こう。」

 祖母の速度に合わせて墓地までゆっくり歩いた。徒歩で向かえるその距離は幼い頃より短く感じる。まばらに咲いた向日葵は、僕にも識別がたやすい花だ。

「隣のお墓のも払ってあげて。」

 お隣のお墓に乗った落ち葉も払う。しばらく誰も訪れていないように見える。

「お父さん、明。辰弦来たよ。」

 祖母が話しかける。祖父も父も早くに亡くなった。その人生で僕や親戚を残しているけれど、僕は何も残すことなく、これからも生きていくのだろうか。

「毎日暑いねぇ。」

 母が汲んできた水を墓にかけている。

「はいっ、拝もう。」

 拝みながら何を考えればいいのか迷いながら拝み終えたら、二人はすでに顔を上げていた。

「たつやん!」

 墓地を出たあたりで後ろから不意に話しかけられた。久しぶりに会う岡ちんは金髪になっていた。岡ちんは小学生のときに引っ越してきて、中学まで一緒だった。遊ぶグループこそ違うけれど、ちょっとした幼なじみというか、会えば一言二言交わすような関係だ。

「まだ東京におるんだろ?いつ帰るん?」

「今日これから。」

「そうなんや。じゃあ元気でな。」

「うん、岡ちんも。」

 岡ちんとはもう共通の話題もなければ共通の友達もいない。会う約束を、社交辞令ですらすることもないけれど、岡ちんはいい奴だし元気そうで良かったと思う。

「髪は明るうなっとるけどあの子も変わらんねぇ。」

 あの子もということは、僕も変わらないということか。離れて暮らす僕に、変わりないか母はいつも聞く。僕は僕なりに上京前から変わっているのに、そういう意味じゃないと分かってはいるけれど、変わりないことを確認されるたびに僕はもやっとしてしまう。

「弟のほうは家にまだいるのかな。全然見かけないけど。」

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