第10話【会見】
午後一時、霞が関の記者会見室。背面パネルには新しいロゴが並ぶ。迷宮法人・クラン「セブンス・ノード株式会社」。中央に立つのはNo.7=適合者、黒いスーツに薄いネクタイ。胸のピンは帰還石を抽象化した円で、光は控えめだ。
「後進育成と、資源管理の透明化。それから、節税です」
笑いが一拍遅れて広がる。言葉はまっすぐで、言いにくいことほど先に置く。
「個人で背負えない責任が増えました。法人にして、監査を受け、安全レールを固定します。拍の取り方を、仕組みで教えます」
スライドが切り替わる。三段ピラミッド。
基礎:拍訓練(四拍呼吸+ビープ同期)/視線管理/迷い点の扱い
実務:封縁補助/救出支援/資源採取の手順書
上位:特殊挙動の解析/ノード割りの標準化/事故時の退避設計
「協調補正の窓を身体で覚えるまで、弾丸も刃も持たせません。楽しい安全は、楽しいより安全が先です」
記者から手が上がる。
「“節税”とは」
「健全な節税です。オーブ評価損や結晶在庫の会計処理をガラス張りにします。寄付と研究投資で、税負担は社会に回す。数字で残します」
「スキルオーブの商業利用は」
「装備中のみ有効という癖が壁です。ただし、時間単位の貸与は可能です。適合・適正審査を通った上で、医療・災害・工業の現場へ。偽造防止に皮膚温・拍同期・装備ログを束ねた**“装備証明”**を実装します。闇市場には厳しく」
最後に、No.7は一度だけ胸に手を当てた。
「No.7という称号は置いていきます。拍で呼んでください。速すぎると、迷いが出ますから」
会見は三十分で終わった。短さは、疲れた人に効く。
新橋のガラス張りのフロア。装備検証室では、反響聴取や毒霧緩和のオーブが並ぶ。部屋は薄暗く、壁面の苔が淡い数字を灯す。1/10。装備者の拍が安定すると2/10になる。
担当者が説明する。
「医療搬送で使うのはこの痛覚偏向。装備者が担架を持つと、持続時間内だけ患者の“痛い”が薄れます。装備ログは公社ノードに自動記録。偽造は温度と拍で弾きます」
別室では工業のデモ。耐照者向けの放射線無効は希少すぎて貸出対象外だが、反射眩光や静電抑制は現場で需要がある。時間貸しで請求書が発行され、減価償却のシミュレーションが壁のスクリーンに踊る。
廊下の端には、黒枠の掲示が一枚。
「独行貸与はしません。協調補正の窓内でのみ、効果が安定します」
儲け話は速い。速さは、事故の速さに似る。だから壁は多い。
秋口、街のマスクが増えた。新型コロナの再流行。変異株の波が世界を回り、MRHと二重に負荷をかけた。観光型の予約は半分に絞られ、訓練型は完全予約制へ。救急の陰圧室は満床、療養ホテルは再稼働。
セブンス・ノードは探索を減速し、炊き出しと搬送支援に回す。痛覚偏向は救急で、反響鈍麻はICUの看取りで使われた。拍は、心拍の意味にも近づく。
社内チャットに、No.7から短いメッセージ。
「走らない。戻るを怖れない。踊らない夜を増やしてくれ」
OSINTは、感染曲線と観光型のクローズ時間を重ねた図を出した。
・閉場を一時間早めた地区で夜間移動が減少。
・迷い点に「とりあえず戻る」の文字が追加。
結論:誰かがまたブレーキを入れている。
良い拍だけが増えるわけではない。探索者犯罪は月次統計でじわり上昇。オーブ強奪、代行詐欺、社名詐称。クラン抗争はまだ小競り合いだが、装備証明の“穴”を突く者はいる。
警察庁の会見で、担当官が言う。
「装備証明のログ改ざんを伴う事件を確認。装備中のみの性質から恒常効果は発現しませんが、時間貸しのなりすましが発生。認証の拍に癖を混ぜ、本人性を強化します」
名古屋の三層では、鶯谷がトラブルに遭う。独行の男が帰還石に触れず深部へ降りようとし、迷い点で膝をついた。
「戻る」
恭弥が一語だけ置く。
「間に合ううちに」
男はうなずいた。拍が一つ戻り、星形が微かに明るくなる。協調補正は数字にならないが、こういう時にだけ、はっきり効く。
冬の始まり、北海道A-73の封鎖型で異常が見つかった。深層の泥火が続き、ガスの組成が普通ではない。結節核の下、広い空洞に黒い湖。採取した液体は軽い。分析者が眉を上げる。
「パラフィン系が多い。硫黄は低い。においが薄い」
迷宮油。仮称はすぐに**「MDI原油」**になった。MDI公社は記者会見を開き、環境省と並んで立つ。
「採掘はしません。封鎖型です。事故の気配が濃い。自壊閾値が近い」
経産は横で言葉を選ぶ。
「国家備蓄の多角化は必要です。研究は進めます。採掘技術は公社と大学と民間で共同検討」
外資のエネルギー企業が提案書を持ってきて、在日米軍のISRがフレアを衛星で捉える。為替が跳ね、MDI-100がまた一段上がる。
OSINTは夜に画像を上げた。
・A-73封鎖域外でフレアの光跡。衛星で熱源確認。
・迷宮油の「再生」仮説が出回るが未検証。
・帰還石導線が太字に。近寄るなの意図。
結論:踊るな。
セブンス・ノードの会議。No.7は短く言う。
「面白さと熱は違う。採れると採っていいも違う。うちの名で、採掘はしない」
国会はまた揉める。迷宮油の基準価格、外資の参加枠、公社と法人の線引き。理論迷宮学の東ヶ丘教授が参考人で呼ばれる。
「迷宮は拍で反応し、協調を好む。採掘は拍を乱します。±0.3%の“揺らぎ”は事故の境目です」
議場は静かに揺れ、拍手は起きない。拍は、誰もが飲み込む。
商店街の中華屋。如月勇斗は鍋を振り、テレビの特番を背で聞く。セブンス・ノードの採用CM、MDI原油の解説、コロナとMRHの同時流行のグラフ。
「兄ちゃん、油田すげえな」
常連が笑い、ビールが進む。
「封鎖のほうがすごい」
勇斗はチャーハンを皿に滑らせる。焦げないように、拍を守る。ただそれだけ。
閉店後、路地に出て夜風を吸う。胸の中で、パッチノートが少し更新される。
v0.92 “Resource/Restraint”
・封鎖型資源ノード:自壊閾値を−0.1%、日没縮退を強化。
・観光型:迷い点の「とりあえず戻る」を常設。
・装備証明:拍偏差の閾値を厳格化。なりすましを抑止。
・独行:深部アクセスの抵抗を+5%。
・報酬:短期の跳ねを抑え、遅く。
※痛みは残す。死は避ける。
声にはしない。針は静かに刺す。踊らない夜が、今は必要だ。
朝、セブンス・ノードの掲示板に新人向けの一枚が貼られた。
一拍遅れでいい/走らない/戻る
迷宮油は見ない。封鎖に従う。
オーブは時間で借り、拍で返す。
相談はいつでも。
鶯谷は三層の入口で新人を待ち、迷い点に立たせる。呼吸を四拍で揃え、帰還石に触れる練習をさせる。
桜ノ宮は広報文の句点を一つ動かし、相談ダイヤルの位置を五ミリ上げる。五ミリは、疲れた目で見える差だ。
テレビのニュースは、株価とMDI-100と感染者数を並べ、最後に短いテロップを流した。
見ない・近づかない・引き返す
迷ったら戻る。苦しいときは話す。
油は地下で静かに冷え、都市はマスクを付け、迷宮は拍で息をする。
法人はスタートし、犯罪は増え、疫病は巡り、ブレーキは入る。
世界は今日も少しだけ面白く、少しだけ危うい。
その真ん中で、針は目立たないまま働き続ける。
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