第6話【結節核(ノード)】
名古屋ダンジョン三層。通称「交差洞」。
ブリーフィングルームの照明は白く、卓上のマットに立体図が浮かんでいた。洞は十字に交差し、北東の袋小路に反響異常、南側分岐の先に救難ビーコン。任務は二つ。行方不明者二名の救出と、先行隊が目視した異文書の回収である。
「拍を合わせろ。ビープを基準にする。視線管理は常に仲間の背中だ」
田中二等陸曹が短くまとめ、鶯谷恭弥を含む男女六名の分隊に視線を走らせた。耳の内側で間隔一定のビープ音が試験的に鳴り、皆がうなずく。恐怖鈍化の中では自律の拍を失いがちだ。人工の拍を入れて戻す。三層からはモンスターの抵抗力が上がり、反響で距離感が狂う。視線遮断フードと赤色灯は救助用に二式ずつ。レベルカードやスキルオーブのドロップは“現象の一部”。回収は二次だ。
恭弥は軍刀の柄に軽く指を添えた。吸って四拍、吐いて四拍。ビープと呼吸を同期させる。同期した瞬間、あの世界の訓練場が短く蘇った。
ゲートを潜ると、三層の空気はひんやりしていた。湿度は高いが匂いは薄い。壁面の苔が細かな数字で淡く光る。1/10が人の足元の付近に浮き、分隊が進むほどに2/10、3/10と変わる。増える数字に、誰かの喉が鳴った。
「UIじゃない、癖だ。苔の発光層が人の歩幅で励起されるだけ」と田中が言う。見せ方の話だと言い切る口調に自分でも苦笑していた。癖で十分だ。数字は人の背骨を伸ばす。
床の石は角が丸く、迷い点がところどころに配置されている。わずかに色調が異なる円形の足場だ。そこに乗るとビープが半拍だけ強くなる。拍の回復ポイント。離れすぎると弱くなる。隊の距離を自然に保たせる仕掛けに、皆が気づかぬまま従っていく。
先頭の二人が角に手信号を出す。ゴブリン・アーチャーが二体、十メートル先で弦を引いた。反響で矢筋の方向がぼやける。恭弥は半歩だけ左に重心をずらし、先に矢の意志を読む。腕に乗った荷重の方向で、放たれる角度が見える。刃は低く、乾いた一閃で矢を割り、もう一閃で喉の皮膚を横切った。残りの一体の弦は割れて弾け、後方でブルースライムが壁から滑り落ちる音が続いた。
「射線、右高め」「了解、右壁に寄る」
弾は節約だ。二人が短く切って止める。ブルーの粘体は銃では分裂しやすい。恭弥が刃の腹で粘りを受け、迷い点まで押し込んで乾いた岩で粘着を剥がす。粘体は石に熱を奪われ、小さな震えを残して静かになった。
歩を進めるごとに苔の数字は4/10、5/10と上がっていく。仲間の肩越しに、恭弥は薄く笑った。この数字が体力+1などと直接言わないのは賢い。学びの進捗という嘘が、現実の呼吸を整える。
——同じころ、飛騨の尾根で、如月勇斗は地面に指を置いた。
v0.6 “Co-op Arc”
・協調補正:隊員同士の距離が四〜六メートルで被ダメージ係数↓10%、弾薬消費補正↓。
・拍回復点:迷い点上でビープ同期を検出し視界の安定を付与。
・帰還石(結晶碑):触れると安全半径内へ退避。緊急排出は致死閾値で強制発動。
・稀ドロップ:スキルオーブは装備中のみ効果。常備化は不可。
・日没縮退:夜は層が一段浅くなる。
誤差は**±0.3%**。痛みは残す。死は残さない。
勇斗は短く笑い、針の角度を微調整した。面白さは恐怖の外側に置く。楽に、しかし気持ちよく難しいに調律する。拍を失わなければ、人は前に進める。
三層奥の「交差洞」。四方へ道が分かれ、天井は高い。反響が拍を乱し、ビープの音が遠近で揺れる。音圧が強い。耳鳴りに似た薄い膜が張る。隊の足がわずかにばらけた。
「迷い点へ乗れ。四拍で合わせる」
田中の声で、全員が円の足場に一度戻った。ビープが一瞬だけ強くなり、視界の揺れが沈む。南側から洞犬が三。右の壁影からアーチャー二。左の溝にブルースライムが一。反射板は使えない。光は苔で散りやすい。恭弥は動線を二歩で作る。
最初の犬は踏み込みの癖が直線で、前脚の指で地面を掴む。指が地面を掴む瞬間に刃を入れる。胸の前を横切る最短軌道。二体目は回り込みに来たが、迷い点から出た仲間の射線が早い。乾いた短連射が肩を砕く。三体目は躊躇い、暗がりに引いた。引く瞬間、恭弥は一歩だけ深追いする。深追いはしないのが鉄則だが、一歩だけは違う。打突。刃の尖端が肩甲の隙間を貫き、犬は音なく崩れた。
右の弓に体を向けると、矢の弧が変わっていた。さきほどの矢筋を学習したように、二段の肩越しを狙ってくる。恭弥は上体をわずかに遅らせ、一拍遅れで線を横切る。刃が弦を切り、弓の木が鳴いた。横合いから飛んだ二本目を、後方の隊員が石柱に弾かせて落とす。ビープが合奏になり、呼吸が揃う。協調補正は数字にならない。だが、当たらないことと減らないことが、既に答えだった。
左の溝のスライムは膨らみ、飛沫を撒く準備をする。恭弥は刃の腹で圧をかけ、溝の縁の冷えた石へ押し付ける。仲間が高浸透の布を広げて被せた。水分が吸われ、粘体が薄くなったところに、恭弥の刃が腹を裂くように通る。粘体は震えて縮み、小さな結晶片を一つ残した。
「拾うのは帰り。今は触るな」
ビープが四拍で回り、苔の数字が6/10になった。
南の分岐の先で、人の声がした。女性のものだ。浅い呼吸に微かな笑いが混じる。恐怖鈍化の笑いだ。分隊は二手に分かれ、田中がフードを持って先行する。恭弥は背後から護る。角を曲がると、女性が壁にもたれ、足を投げ出していた。視線は奥へ向き、頬の筋肉が緩んでいる。
「大丈夫。いま被せるから、前だけ見て」
田中がフードを被せると、女性の眼が短く揺れて、焦点が戻った。赤色灯のやわらかい光が呼吸を整える。拍が戻る。肩の筋肉が正しい位置に戻る。担架で持ち上げ、迷い点まで下がる。この動線が見えるように、苔が微かに明るくなる。救助に最適な戻り道を示す癖。気づけば利用する。気づかなくても利用できる。
もう一人の行方不明者は、北側の袋小路だった。足首を挫き、レベルカードを握っていた。透明な板に、名・年齢・レベル1。汗でカードの面が曇り、指の温度で薄く光る。男は幸福そうで、泣いていた。涙と幸福が同居する様子に、隊員の顔が一瞬こわばる。
「カードは俺が預かる。帰ってから返す」
田中が静かに言い、男は素直にうなずいた。フードを被せると、男の口から笑いが抜け、息が震えた。震えは生きている証拠だ。
交差洞の中心に、薄い膜が張っていた。円形で、表面が水面のように揺れる。表の模様が微細に数字を散らし、眺め続けると拍が遅れる。ここがノードだ。周囲から集めた「拍」の乱れを回収し、出現を制御する結節点。倒すのではなく、割る。
「隊形、そのまま。反響を切る角度で入る」
田中の声で、二人が左、二人が右、恭弥が正面。膜の前に帰還石(結晶碑)が一つ立ち、手を当てると淡い線が戻り道に伸びる。退避の導線だ。退路の確認は一拍。
恭弥は刃を下段に構え、半歩遅れの呼吸で膜に近づいた。膜がわずかに凹み、反射の角度を変える。ここで早く斬れば、刃は弾かれる。彼は一拍待つ。膜の意志が刃を見失った瞬間、水平一閃。膜の表面が薄い水音を立て、内圧の空気が逃げる。逃げる音が反響に混ざり、ビープが正常に聞こえる。左右からの銃の短連射が膜の端を縫う。恭弥が斜め後方から二撃目。膜の核膜が割れた。
「ノード、沈黙。発生率が下がる」
田中が短く言った。苔の発光数字が7/10になり、帰還石の線が太くなった。協調補正の空気が分隊の肩を軽くする。装備重量が軽くなったわけではない。歩調が合った結果、疲労の主観が下がっただけだ。
足元に透明な球が一つ残った。スキルオーブ。内部に細い線の模様が見え、「反響聴取微強化」という文字に似た癖が脳裏に浮かぶ。田中がケースに入れ、恭弥に渡す。
「装備中のみだ。帰路で使え」
恭弥は頷き、オーブを懐のポケットに忍ばせる。装備した瞬間、洞の息が一段際立つ。遠くの滴の位置、仲間の荷重移動。感覚が過敏になりすぎないところで、効果が止まる。止まる位置が、設計者の筆圧だと恭弥は直感した。
北の裂け目の先に木製の箱があった。先行隊が見たという異文書の収納だ。箱の表面は乾き、釘ではなく木栓で閉じられている。手袋越しに開けると、古い紙が数枚、押し花のように重なっていた。読める言語ではないが、曲線の連なりに見覚えがあった。地図にも歌にもなるような線だ。
「撮る。持ち帰りは上の決裁待ち」
写真を撮り、封を戻す。帰還石に手を当て、淡い線に沿って戻る。迷い点は拍を支え、ビープは疲労を管理する。二人の救助者はフード越しに眠り、隊の中心で揺れを吸っていた。恭弥は最後尾で刃の角度を保ち、時々だけ反響聴取で背後を確認した。ノードが割れてから、洞の呼吸が静かだった。
ゲートから外に出ると、夕方の光が目を刺した。呼吸が急に軽くなり、耳の奥の膜が剥がれる。担架が救急へ渡り、異文書の写真データが指揮所へ上がる。回収した結晶片は公社箱へ、オーブはケースへ。レベルカードは本人に返され、カードの面にはレベル1のままの文字が残る。上げることは、いつでもできる。上げないことは、難しい。
——その夜、尾根の風は乾いていた。
勇斗はパッチノートを頭の中で更新する。
v0.6.1 “Knit”
・協調補正の距離窓を3.5〜6.5mに拡張。
・拍回復点の配置を交差洞に一つ追加。
・反響聴取オーブの過感増幅を5%抑制。
・帰還石の線を太く(救助時のみ)。
・学習挙動:アーチャーの二段射は二巡でリセット。
「気持ちよく難しい」を保ちつつ、死なせない。
それでも、危うい。危うさは面白さの、ほとんど裏面だ。
彼は笑いを喉の奥で潰し、自壊の紐に指を滑らせた。
世界は今日も、少しだけ遊びに近づいた。
翌朝、OSINTチャンネルが短いスレッドを上げた。
交差洞の拍の乱れはノード破壊で解消。
迷い点の位置は昨夜から1.2mずれた(誤差±0.3m)。
二段射は学習後、二巡で初期化。
結論:誰かが“面白くするために”針を打っている。
でも、助かった二人のためには、しばらく黙っている。
恭弥はロッカーでオーブをケースに戻し、耳からビープを外した。
拍のない静けさが一瞬、こわかった。すぐに自分の呼吸が戻る。
四拍で吸い、四拍で吐く。
その間に、苔の数字が8/10に上がっていく幻が見えた。
幻で構わない。歩く速さが整えば、それでいい。
外に出ると、朝の空気が青かった。
ダンジョンの入口には新しい帰還石が立ち、触れた市民の顔が少しだけ勇気に近づいていた。
怖くはない。だが、楽でもない。
その中間に、面白さがいる。
面白さを設計する誰かと、現場で確かめる誰か。
その二つの拍が、今日も遠くで合う。
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