キャベツの値段
村野一太
第1話
二人のおばさんがイスに腰を掛け、美術館にそぐわない音量で、今年のキャベツの値段について議論していた。おせんべいとお茶が彼女ら間においてありそうだったが、それらはなかった。僕は、そのイスをあきらめて、他のイスを探し求めた。
腕時計を見ると、入場してからまだ30分しかたっていなかった。しかし、僕はすでに重い疲労を感じていた。壁に掛かっている絵をなるべく見ないようにして、先ほどのキャベツの話に意識を集中しながら、イスを探した。
僕はハンバーガーショップでの、絵描きの友人とのやり取りを思い出した。
「あのね、あんま意味なんて考えない方がいいよ。テキトーに観ればいいの」
「でもさ、せっかく観るんだからさ。描いた人もそれなりに頑張ったんだろうし。それに、どこか認められたから美術館に展示されてるんでしょ」
友人はそんなことを言う僕を鼻で笑った。僕はなんだか見下されたような気がして、頭にきた。
「『テキトー』だから、君の絵は売れないんじゃないの」
「まあまあ、そう怒るなって。いいかい、君が美術館でやっていることはね、つまり、全くお腹が空いていないのにこのハンバーガーショップに来て、ハンバーガーを買い、それをバラバラに分解して、そのおいしさの秘密に迫ろうとする、そんなことだよ」
「……」
「いくら眉間にしわを寄せて、腕組みをして、ピクルスをかじってフムフムなんてうなずいてみたところで、君にその秘密はわからないよ。だってお腹が空いていないんだもん」
友人はそう言ってピクルスをまずそうな顔をしてかじった。
「ほら、向こうの席で、ケチャップを口の周りにつけて、今年のキャベツの値段について議論してるババアがいるだろ」
僕は友人の指す方向を向いた。確かに、おばさんが二人向かい合ってハンバーガーを食べながら、おしゃべりをしていた。しかし、ケチャップのような口紅はついていたが、口の周りにケチャップはついていなかったし、何についておしゃべりしているか、遠くて聞こえなかった。
「あれなんだよ。あれが自然であり、誠実であり、真実であるのだよ。大衆的で美しい」
友人はピクルスをもとの位置に戻すと、ハンバーガーにかぶりついた。
僕はコーラを一口啜った。おばさんたちの方をもう一度覗いてみた。たしかに、口の周りにケチャップがついているようにも見えた。表情から、今年のキャベツの値段について議論しているようにも見えてきた。ただ、それは友人の解釈を聞いてしまったからではないだろうか。結局、各々の解釈次第でどうとでもとれるのではないだろうか。その疑問を友人にぶつけてみると、
「百パーセント、賛成だね、君の意見に」
と友人は言い、手を挙げてウェイトレスを呼んだ。
「コーヒー二つください。あと灰皿も」
「申し訳ございません。ご注文の方はあちらで承っております。あと、店内禁煙になっております」
とAI風に言うウェイトレスが去るのを友人はニヤニヤしながら眺めていた。
「あの子、かわいいな」
と友人は言った。僕はそうは思わなかった。
「ああ、そうだったな、『解釈』の話してたんだっけな。だからさ、結局主観なんだよ。君が良い、ってモノは良いに決まってるんだよ、君にとって。それ以上でもないし、それ以下でもない」
僕はなんだかタバコが吸いたくなってきた。
「おい、あの子、こっち見て笑ったぞ」
僕も振り返って見たが、そのウェイトレスはAI風にこちらの方を監視しているようにしか見えなかった。ただ、二人の男に同時に見つめられて、一瞬だが頬を赤く染めたように、僕には見えた。そして、コーヒーを二つ買いに、僕は席を立った。
「あれはなあに?みかん畑かしらね」
結局、空いているイスを探したが、すべて埋まっていて、もとのおばさん二人組のところに戻って来てしまった。おばさんたちは、ようやく目の前に絵があることに気が付いたようだった。
あれはオリーブ畑だろ、僕は思った。
「なんだか、のどかねぇ」
と口の周りにケチャップをつけたおばさんがせんべいをかじりながら言った。
僕にはその絵からのどかさなど全く感じられなかった。オリーブを収穫している人がいるが、本当はこんな仕事やりたくないのではないか、僕はそう思った。せんべい食べながら「のどか」なんて言われるとは、この収穫している人たちは想像すらしていなかったことだろう。本当のオリーブ畑で、せんべい食べながらそんなこと言ったら、たぶんオリーブをぶつけられるんじゃないか、僕はそんなことを想像するとなんだか楽しくなってきた。
その時だ。
手前でオリーブを収穫している女性が、あのAI風ウェイトレスに見えてきた。
そして、後方で黙々とオリーブを収穫している男性が、僕の絵描きの友人に見えてきた。
ふふふ。
この二人、昨晩喧嘩したな。
僕はそんなことを考えながら絵の中に入り込むのを感じた。
キャベツの値段 村野一太 @muranoichita
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