異世界は図書館と共に

@h123456

第一話 静寂の図書館にて



 いつもの図書館、いつもの席。

 壁際に並んだ一人がけの学習机に腰を下ろす。机の奥には小さな蛍光灯が作り付けられており、スイッチを押せば目の前だけが白く照らされる。二口のコンセントも備え付けられていて、ノートパソコンの電源を差し込むと、そこは自分専用の小さな書斎に変わる。


 窓際の席なので快適だ。顔を上げれば、外の樹木が風に揺れ、光に透けてきらめく。さらに横のガラス扉からはテラスに出られ、四人がけの丸テーブルがいくつも並んでいる。晴れた日には学生や親子がそこで読書や軽食を楽しみ、そうした穏やかな気配が、この図書館の居心地の良さをつくっていた。


 今日も私は、いつもの手順で資料を広げた。史料のコピー、地図帳、ノートパソコン。戦国の合戦は華やかに語られるが、実際は兵糧と補給と地形――それが私の考えだ。合戦を動かすのは美談ではなく、鍋の中身である。


 ……どれほど時間が過ぎただろう。

 いつしかまぶたが重くなり、私は舟を漕ぎ始めていた。


 はっと目を覚ます。

 静かだ。あまりに静かすぎる。

 紙の擦れる音も、椅子の軋みも、空調の唸りもない。音が「ない」のではない。音が吸い取られているように感じられた。


 見回すと、先ほどまでいた学生も職員もいない。貸出カウンターも無人。横の扉越しに見えるテラスもがらんとしていた。

 胸の奥がざわつく。窓に近づいた私は、息を呑んだ。


 街並みが消えていた。

 街灯も舗道も、車も建物もない。

 代わりに、闇の中に赤い揺らめきが点々と広がっていた。松明の炎だ。その周りに黒い影が群れ、焚き火の前に座り込んでいる。


 私は机の上のペットボトルをつかみ、震える喉を潤した。音は依然として届かない。太鼓もほら貝も、ここには入ってこない。ガラスは冷たくなく、匂いも風も遮られている。図書館の内部だけが現代の静寂を保っていた。


 双眼鏡をカバンから取り出す。

 レンズを覗くと、兵の姿が見えた。粗末な小袖、擦り切れた胴、錆びた鎖。草鞋の鼻緒は伸び、誰もが疲弊している。焚き火の縁で膝を抱え、槍を杖代わりに舟を漕ぐ。兵の本音はただ一つ――無事に帰りたい。


 視野の端で、大きな布がはためく。松明の光に照らされ、黒とも赤ともつかぬ地色が浮かんでは沈む。もう一方には、白く大きな布が闇の中に不自然に浮き上がっていた。

 だが、どちらも文字までは読めない。


 私はノートに「旗?」と走り書きする。

 やがて東の空が白み始め、霧が退く。

 赤地に金文字――風林火山。

 白地に太い一字――毘。


 教科書や屏風で何度も見た旗が、いま目の前に翻っていた。

 私は窓に手をつき、胸の鼓動を数えながら呟いた。


 「……ここは……川中島……?」

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