君との夏にさよならを

丸井メガネ

君との夏にさよならを

「暑い……」

 田舎の夏は、とても暑い。肌は刺される様な日差しにさらされ、湧き出た汗が気持ちの悪い感触となって肌を伝う。せっかくのお盆休みだというのに、これでは楽しむことができない。

「例年通りだと思うよ。ていうか、熱いならその服脱いじゃえばいいじゃん」

 僕の先を歩く珠代は、白いワンピースを揺らして笑う。日差しに隠れた彼女の表情はよく見えなかったが、にっこりと開いた口元から、相変わらず眩しい笑顔だったと思う。

「家の決まりなんだよ」

「ふーん、変なの」

 ホントに、変な決まりだと自分でも思う。力が宿ったものだからと、いつも同じ装束を着なきゃいけないなんて。去年までの僕なら、そう言っていただろう。

「そうだ! ねえ忠、涼しい場所いこう!」

 珠代はぐったりとしていた僕の腕を引っ張り、軽快に走り出す。僕は冷たいその手に引っ張られるがまま、彼女の後をついていく。

 ついた先は、町はずれの駅前にある小さな駄菓子屋だった。

「ここ、覚えてる? よく二人でお菓子買いに来たよね」

「うん。珠代、よく僕にお菓子買ってくれって泣きついてたからね」

「それは~……そんなこともあったね」

 バツが悪そうに微笑む珠代を横目に、僕は見慣れた店内を一瞥する。

 品物の配置から、古い土と木の蒸した匂い。何から何まで懐かしい。東京に行ってからはここのこともすっかり忘れていたが、久しぶりに来ると気分が上がる。

「見てみて! ラムネあるよ!」

 店の前にある商品を見ていた珠代は、クーラーボックスに氷と入っていたラムネを手に取る。クーラーボックスの隣には、一本百円と書かれた張り紙と、古びた貯金箱が置いてある。

「おー、まだやってたんだ百円ラムネ」

「ねー。おばちゃん、いないのかな?」

 店内に人がいる気配はない。百円玉を二枚、しっかりと払ってから僕たちは駄菓子屋を後にする。久しぶりに飲むラムネは、子供の頃と全く変わらぬ味だったが、少しばかり小さいように感じられた。

 珠代は数口飲むと、美味しそうに息を吐く。

「ん~美味し! 久しぶりに飲むけど、やっぱり夏はこれだよね~」

「確かに、最後に飲めてよかったかな」

「最後? 忠たら変なの、来年も来ればいいじゃない」

「はは……来年、か」

 確かに、来年も僕はここに来ることができるだろう。

でも、君はそうじゃない。

僕は君と、来年も一緒に飲みたかったんだ。


 涼しい駅の構内に移動した僕たちは、日陰のベンチに腰掛けて列車を待つ。田舎特有の無人駅には、他に列車を待つ客もおらず、かすかなセミの声が響くばかりだった。

「あーあ。もうすぐ忠ともお別れかー」

 暑さにやられて俯いている僕とは対照的に、珠代は足をぶらぶらさせて暑さを和らげていた。揺れるワンピースから見える足は、日焼け一つない綺麗な白色だ。

「む、何? 私の足ばっかり見て、なんかあった?」

「いや、別に」

 綺麗だよ、と言えればどれだけよかったか。しかし、僕が君に想いを伝えるにはもう手遅れだった。今更伝えたところで、僕は自分の心を、彼女の心を締め付けるだけだと知っていた。

「なーんだ。可愛い幼馴染を見納めしてるかと思ったけど、残念」

 そんな僕の気も知らないで、珠代は可愛らしく笑って肩を寄せてくる。僕は肩が触れ合わないよう、慎重に珠代から距離をとる。

「……ねぇ、何で逃げるの?」

 珠代は僕が肩をよけていることに気づいて頬を膨らませる。逃げたいわけじゃない。寧ろ、抱きしめたいほどだ。だけど、そうすれば僕は珠代との別れを思いとどまってしまうだろう。

 それは僕の望むところではない。だから僕は、距離をとる。

 それでも珠代は、ぐいぐいと詰め寄ってくる。

「もしかして、ラムネのお金返してないこと怒ってるの? それなら来年には返すから……」

「珠代」

 とうとう痺れを切らした僕は、悲しそうに喋る彼女を遮って口を開く。

 僕が顔を上げると、驚いた様子の彼女がそこにいた。見たことのないキョトンとした顔で、変わらぬ可愛さを持つ顔で、彼女は僕をジッと見つめていた。

「もう、いいだろ。そろそろ、迎えの電車が来る頃だからね」

 締め付けられる想いで、僕は平然を装って珠代に告げる。線路の遠くからは、列車が走ってくるのが見えていた。

「そうだけど……話をそらさないでよ! 私は真剣に――」

「もう、気づいてるんだろ」

 その一言に、珠代は氷のようにかたまってしまう。僕はそんな彼女の顔を見つめて、彼女が見つめていなかった真実を告げた。

「珠代が、死んでることに」

 暫くの間、珠代も僕も、まるで時が停まったかのように沈黙した。列車が鈍いブレーキ音とともにホームに停車し、ドアがゆっくりと開いた後で、珠代はようやく口を開く。

「やっぱり、気づいてたんだ」

 彼女の白い頬を伝って、細い雫が流れ落ちる。僕はその雫が落ちきる前に指で拭い、ようやく彼女を抱きしめる。

「そっか……忠、霊媒師だったね。私の事見えるし、触れたんだもんね」

 珠代は冷たい手を背中に回し、僕のことを抱きしめる。

「わざわざ忙しいお盆に会いに来たんだ。大切じゃないわけないだろ」

「うん……ごめんね。ありがと忠」

 彼女は一層強く僕を抱きしめると、手を離し立ち上がる。スッキリしたと大きな伸びをした後で、、彼女は列車に乗るため歩き出す。

 彼女と一緒に所々錆びがついた古い列車の前まで歩くと、不意に珠代が足を止めて振り返った。

「ねぇ、忠」

「なんだい?」

 彼女は悪戯な笑みを浮かべると、不意に僕に抱き着いてきた。僕が状況を理解する前に、唇に温かく柔らかい感触が伝わる。

 数秒が永遠に思えた。彼女は満足したのかゆっくりと唇を離すと、至近距離で僕を見つめて問いかける。

「私の事、好き?」

 突然の不意打ちに、僕は一瞬言葉に詰まる。頬が熱くなり、自然に口元がにやけてしまうのがわかる。

「……ああ、好きだよ」

 恥ずかしさをかき消して、僕は真っ直ぐ目を見て答える。珠代はその答えを聞くと嬉しそうに笑い、列車に乗る。

 それと同時に列車のドアが閉まり、古い車体が、窓から見つめる珠代の身体がゆっくりと動き出す。映画ではこういう時、走って追いかけたりしているのだろうが、僕は追いかけることなくその様を眺めていた。

 心残りはないと言えば噓になるが、それでいい。僕も彼女も、お互いに笑ってサヨナラできたならそれでいい。

 列車が水平線に消えたときには、僕は既に夕日の差し込む駅のホームに立っていた。人もまばらながらに立っており、現実世界に戻ってきたこととを実感させられる。

「さて、帰りますか」

 凝り固まっていた身体を伸ばすと、僕はホームに入ってきた列車に乗り込んだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君との夏にさよならを 丸井メガネ @megamaruk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ