60秒でゾワッとする科学
象乃鼻
第1話 駅前の蛾はスマホの私
夜の駅前は、湿った空気に包まれていた。
アスファルトは夕立の名残でまだ黒く濡れ、コンビニの自動ドアから漂う油と甘い菓子の匂いが混ざり合っている。
外灯の下では、蛾が群れを成して飛んでいた。
光に吸い寄せられ、ぎこちなく弧を描きながら、ガラスにぶつかっては舞い戻る。
そのたびに、乾いた羽音が小さく弾け、私の半袖に粉が落ちた。
ふと、子どもの頃の夜を思い出す。
縁側に寝転んで、母と並んで星を見上げた夏。
蚊取り線香の煙が細い渦を描き、遠くではカエルの合唱が響いていた。
「ほら、見える? あれが月よ」
母は指先で夜空をなぞり、横顔に白い光を受けていた。
「蛾はね、光に惹かれてるんじゃないの。ほんとは月を目印に飛んでるのよ」
柔らかい声に、私は「へえ」と返すしかなかった。
その時は意味も分からず、ただ母の手の温もりを頼りに瞬きを繰り返していた。
だが今、彼らを導くのは人工の光だ。
コンビニの眩しい白は、蛾の羅針盤を狂わせる。
月の代わりに灯りを追い、同じ場所をぐるぐると彷徨い続ける。
その様子を眺めていたら、背筋に冷たいものが走った。
スマホを取り出し、光る画面に目を落とす自分も、
もしかしたらあの蛾と同じなのではないか。
本当の空を見失い、作られた灯りに惑わされながら──。
ひときわ大きな羽音。
一匹が外灯に激しくぶつかり、地面に落ちた。
小石に跳ねたその翅は、雨粒のように震えている。
私は目を逸らし、暗い空を仰いだ。
街の光にかき消され、月はどこにも見えなかった。
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