第7話 通常運転
エリクサーを作るための手順自体は、それほど難しいものではない。
全部で十二種類の薬を、少し加熱しながら混ぜるだけだ。
しかし、問題がこの混ぜ合わせる薬の調合だ。
誰でも出来そうな簡単なものから、経験と技が必要になるものまで。
全部揃えるだけで、年中やっている私でも、三時間は掛かってしまう。
私は晩ごはんを食べると、さっそく自宅の調剤室に籠もり、店に在庫しておく分のエリクサーを十個ほど作る作業をはじめた。
「よし、基本の薬は全部出来た。あとは、これを…」
私は大きなビーカを取り出し、それを炎の魔法が封じられたオーブが仕掛けられている、魔力コンロを取り出した。
これは人間の社会で存在を知った便利な魔法具で、火を使う通常のコンロより細かい温度設定が出来て使い勝手がいい。
魔力コンロにビーカを設置し、設定温度は八十九度。この温度じゃないとダメだ。
「さてと、まずはこれから…」
私は先に準備した薬を、様子を見ながらビーカに注いでいった。
薬草が持つ特有の臭いが調剤室内に充満し、窓は開けてあるがあまり効果はなく、慣れているとはいえ、目がシパシパするような刺激はなかなか大変だった。
「これだからエリクサーは大変なんだよね。完成すると無味無臭なんだけど」
そう。エリクサーは本来無味無臭だ。
それではかえって飲みにくいので、仕上げ段階で若干の甘みと香り付けをする。
「さて、急がないと本当に寝る時間がなくなっちゃうな。でも、このバランスが…」
時間数秒スポイト一滴分のミスで、エリクサーの調合は失敗してしまう。
ここは慌てず騒がず的確に。かつ、手早く効率的に。
これこそが腕の見せ所なので、私はまるでなにかの機械のような動きで調剤室内を動き回り、三時間ほどでエリクサー十本分の精製作業を終えた。
「さて、終わった。片付けて寝よう。今からなら、睡眠時間はバッチリだね」
私は一人笑った。
眠って起きれば、まずは薬草の手入れだ。
売り物にする分を収穫しながら、薬草農園の様子を見てまわり、各薬草たちの生育状況を確認しながら、私は早朝の作業を終えた。
朝食もそこそこに店に転移し、さっそく今日の仕事を始めた。
「今日も暑くなりそうだな。冷たいハーブティを用意しよう」
売れると分かった以上は売る。
私は地下室の収納棚に、里から持ってきた乾燥させた薬草が入った麻袋を数種押し込み、ハーブティのレシピを考えた。
疲労回復効果やリラックス効果を中心に考え、消化器系の健康を保つ効果を加味し、六種類ほどの薬草をブレンドした。
「あとは、これを淹れて魔法で冷やして…」
私は手早くハーブティの準備を終え、薬草を商品棚に並べてからシャッターを開け、今日の営業を開始した。
ハーブティの用意をした分、いつもより開店時間が遅くなったので、道の駅の駐車場にはまばらに馬車が駐められ、街道の往来も少し激しくなっていた。
「さて、今日はどうかな」
一人呟き笑みを浮かべると、さっそくお客さん五人組がやってきて、傷の薬草を大量に買っていってくれた。
「まあ、売れて嬉しいんだけど、あんなに買い込んでどうするんだろう。同業者かな」
見るからに旅人ではあったし、同業で買い込んでくれるにしては、薬草の量が少ないので単に用心深いだけだとは思うが、だったらポーションの方が持ち歩きに便利ではある。
無論、おすすめはしたが、薬草であるという事に拘りがあったようで、一抱えもあるような薬草の山を空間ポケットに押し込む様子を見て、私はこっそり思わず笑ってしまった。
「まあ、色々なお客さんがいるもんだね。さて、いきなり景気よく売れちゃったから、補充しておかないと」
私は商品棚に薬草を補充した。
ここは街道沿いなので、よく出る薬草といえば傷と毒消しだ。
それは分かっているので、私は毎日かなりの量を空間ポケットに入れて、ここに持ち込んでいる。
「これでよし。それにしても、今日は平和な朝だねぇ」
私は呟きながら、店の奥にある休憩スペースに座ってハーブティを飲んだ。
街道のこのエリアは森林地帯にあり、往来する旅人にとっては魔物や獰猛で危険な野生動物と接触する機会も多いので、時として大怪我をする事がある。
これまで、何度となく緊急の対応をする事があったが、今日の滑り出しは平和だった。
「あっ、次のお客さんかな。こっちに近寄ってきた」
こうして、いつも通りの一日が始まった。
時刻はそろそろ昼時という頃。
道の駅はピークの時を迎え、食堂の出入り口には長蛇の列が出来上がり、他の店舗も混雑していた。
これは私の店も同様で、旅人や冒険者たちを相手に、ポーションや薬草類を次々に販売していた。
「ありがとうございました。またよろしくお願いします」
お客さんラッシュの一山を越えて、私は小さく息を吐いた。
私が里から持ってくる薬草類は、大体この時間帯までが売り上げのピークだ。
今日の売れ行きは好調で、私は十分満足していた。
「それにしても、今日はやけに傷の薬草が出るね。なにか、あったのかな」
お客さんから話しは聞いていないので状況が分からないが、この道の駅周辺でなにかが起きている可能性がある。
「次のお客さんに聞いてみようかな。はい、いらっしゃいませ」
店内に入ってきた老夫婦に、私は笑みを向けた。
「ここが噂に聞くエルフの薬草店で間違いないかね?」
旦那さんがニコニコと問いかけてきた。
「はい、エルフの店などここくらいのものでしょう。どうされました」
私は笑みを浮かべた。
「いや、最近どうにも腰が痛くてね。なにか、いい薬でもあればとトレパ村から乗合馬車でやってきたのだよ」
旦那さんが笑った。
「はい、診てみましょう。そこのベッドに横になって下さい」
私は旦那さんをベッドに導いた。
「よっこらせっと。どうだね?」
私は横になった旦那さんの腰に手をかざし、小さく呪文を唱えた。
「そうですね…。特に大事な様子はありません。痛み止めを調合しましょう」
私は笑みを浮かべた。
要するに、加齢による不調なのだが、病気でも怪我でもないので特に問題はない。
私は商品棚から薬草を数種類チョイスして、機械で汁を搾った。
それをポーションに加工して、紙袋に入れてベッドに座っていた旦那さんに手渡した。
「とりあえず、十本作りました。強めの痛み止めなので、どうしても痛みに耐えられない時に服用して下さい。銀貨五十枚になります」
私は笑みを浮かべた。
「分かった、ありがとう。これが代金だ」
旦那さんは笑みを浮かべ、財布から銀貨を五十枚取り出して、私に手渡した。
「お気を付けてお帰り下さい。またお願いします」
私は笑顔で老夫婦を送り出し、立ったついでに商品棚の薬草を整理して、ふと思い出した。
「そういえば、街道でなにか起きていないか聞くの忘れたよ。まあ、あののんびりした様子だと、特に問題なさそうだけど」
私は小さく笑った。
「さて、今のうちに昼ごはんを食べちゃおうかな。今がチャンスだ」
私は休憩スペースに陣取り、家を出る時に渡されたお母さんのお弁当を広げた。
普段なら空いてくるはずの時刻になっても、道の駅は混雑したままだった。
街道から続々と流れてくる馬車で、駐車場はずっと満車の状態が続いていて、歩く人たちが敷地から溢れそうになっていた。
「盗賊団と魔物の戦闘か。珍しいといえば珍しいか」
ハーブティ目当てで次々とやってくるお客さんの愚痴を聞きながら、私は苦笑した。
そう、平和だと思っていたら、この先王都方面の平原でたまたま盗賊団と魔物の群れがぶつかって争いが始まってしまったらしい。
パトロールの働きで街道が通行止めになってしまったようで、一番現場に近いこの道の駅に、馬車や旅人が滞留してしまったようなのだ。
お陰で暇つぶしのお客さんが大勢やってくるのはいい事なのだが、喜んでしまってはダメだろう。
「やれやれ、巻き込まれちゃった人はついてなかったね」
事態の収拾に手助けしたいとは思わないが、こんな状況でこそなにか出来るかもしれない。
色々考えてみたが、結局薬草店の店主に出来る事といえば、冷たいハーブティを提供する事くらいなものだ。
「これじゃ、薬草が売れないんだよね。早く片が付かないかな」
私は思わずぼやいてしまった。
まあ、こればかりはどうにもならないのだが、パトロール隊の活躍に期待するしかない。
魔物と盗賊団という、パトロールにとってはどちらも駆除対象同士の争いに、一体どちらの味方をすればいいのか、さぞ悩んでいる事だろう。
「まあ、どうにもならないね。念のため、傷と毒の回復ポーションでも作っておこうかな。怪我人も出ているだろうし、必要になるかもしれない」
異常な混雑が始まった頃から、ものの二時間程度でハーブティの材料がなくなってしまったので、今ある樽が最後だ。
これも一時間もつかどうかだと思うので、私は売れそうにない残りの薬草を使って、ポーションを作る事にした。
「えっと、まずは傷からいくか」
特に考えたわけではないが、私はまず一番需要がありそうな傷のポーションから作る事にした。
機械で薬草を絞って汁を取り、いくつか薬を混ぜて呪文を唱える。
この繰り返しで、通常の傷ポーションの他により上位のハイポーションまで作り、店内の棚に置いた。
ある程度作業したどころで、今度は解毒ポーションに切り替えて作業をして、やはり棚に置いた。
この頃になると、ハーブティも売り切れになり、いよいよやる事がなくなってしまった。
時刻はそろそろ夕方に差し掛かってきたという頃で、この調子だと街道の通行止めが解除されるのは、早くても陽が落ちてからだろう。
「さて、掃除でもしようかな。今日は、早めに店を閉めた方がいいかもね」
私は苦笑して、ゆっくりと店内清掃をはじめた。
「それにしても、凄い人の数だね。いつもは何気ない感じだったけど、こんなに通行量があったとは」
私は暴動でも起きないか心配なくらい人が集まった、道の駅の様子を見つめた。
ここはこの国の主要十街道の一つで、普段から活気があるとは思っていたが、こうしてみると、なかなかのものである。
「すまん、いいかな?」
不意に声をかけられ、私は反射的に店の出入り口を見た。
すると、パトロール隊の制服を着た、立派なヒゲを蓄えた男の人が立っていた。
「いらっしゃいませ、どうされました?」
私は手に持っていたホウキとちり取りを床に置いた。
「もう噂程度に話しを聞いているかもしれないが、この先の平原でトラブルがおきてね。多数の死傷者が出てしまった。事態は概ね沈静化し、間もなく街道の通行規制を解除する予定だが、その前に怪我人をここへ搬送して治療する必要が生じた。詰め所に備蓄してある薬の在庫が心許なくてな。ここがエルフが営む薬の店である事は知ってる。言い値で購入するので、在庫を全て購入したいのだが、大丈夫かな?」
男の人が小さく頭を下げた。
「はい、もちろん協力は惜しみません。傷のポーション百と解毒ポーション百であれば、すぐにご用立てできますが、大丈夫でしょうか?」
私は笑みを浮かべた。
「うむ、助かる。全て購入しよう。部下に引き取りにこさせる。代金はその際に受け取ってくれ」
男の人がニコッと笑みを浮かべ、店から出ていった。
「よしよし、ポーションを大量生産しておいてよかった。ハイポーションは残して、残りは全部納品だね」
私は小さく笑った。
実は、ハイポーションはまだ人間社会では知られていない。
正確にいうなら、通常のポーションよりも遙かに効果がある『ハイポーション』はあるが、それは人間の薬師が開発したもので、私が作るエルフ製のそれよりはかなり効き目が低い。
そんなわけで、エルフのハイポーションは人間には秘密で、緊急用に先ほど二十本作ったハイポーションは表には出せないのだ。
「さてと、出荷の準備をしよう。えっと、木箱がいいかな…」
滅多に使わないが、私は大量出荷用の小さな木箱を店の奥から引っ張り出し、中に緩衝材に包んだポーションを詰める作業を始めた。
二十分ほどで作業を終えた頃、パトロールの制服を着た若い人が二人やってきて、ポーションを受け取り、金貨千枚も置いていった。
「ちょっと待ってよ。金貨千枚って…。まあ、これ国のお金だし、気にしないっていえば気にしないけど、儲けすぎだな」
私は金貨を小型金庫に入れながら苦笑した。
それだけの効果はある自信はあるが、どこからこんな資金を引き出したのか気になった。
まあ、気になったが追求はしない事として、私はなに事もなかったかのように、店の掃除を続けた。
店の片付けを終え、里に帰ろうと思う頃になって、やっと街道の通行止めが解除されたようで、駐車場でパトロール隊員の誘導が始まり、馬車や徒歩の人たちが道の駅から吐き出されはじめた。
「終わったか。よかった」
私は笑った。
「もう夜になるけど、今日はクレッシェンドさんはこないか。まあ、これだけ大騒ぎになっていたらね」
私は苦笑した。
急速に人や馬車が少なくなっていく道の駅の様子を見てからシャッターを下ろし、閉店後の整理をはじめた。
今日もまた思いのほか稼いでしまったので、最低限のお金を残して長に納めようとお金を分けて革袋に入れ、私は里へ転移した。
長の家に直行してお金を納め、私はそのまま帰宅した。
「あら、今日は少し早いですね。暇だったのですか?」
お母さんが問いかけてきた。
「いや、忙しかったけど変な混み方をしてね。それより、早くご飯!」
私は笑った。
「はいはい。では、食事にしましょう」
お母さんが笑った。
特別な一日というわけでもなく、今日もよくある一日という感じだったが、これといって不満はない。平和が一番だ。
お母さんと会話しながらの夕食を終え、私は夜にしか収穫出来ない薬草を採るべく、家の裏にある薬草園に向かった。
白燐草という、淡い光を放つ小さな花を咲かせるこの薬草は、花をすり潰して薬を作ると胃腸障害に効く薬になる。
まあ、こんな薬効なら他にも安価でお手頃な薬草はいくらでもあるのだが、この花が見たくて、私は趣味で植えている。
薬草園でその花を眺め、少しだけ収穫すると、私は家の調剤室に向かい、さっそく薬を作って家の常備薬を入れてある引き出しにしまった。出荷用に栽培しているわけではないので、これでいい。
「さて、明日も早いし今日はもう寝ようかな。それにしても、変な混み方をして疲れたよ」
自分の部屋のベッドに寝転がり、私は笑った。
まだまだ暑いが、そろそろ夏のピークも過ぎる頃である。
秋になればまた別の薬草が収穫の時期になるため、今から楽しみである。
こうして、私はまた普段通りの一日を終え、ゆっくりと眠りについたのだった。
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