第5話 夏の日
いつもより少し早く夜明け前に起きた私は、薬草園の隅に試験的に植えてみたカルカスという、薬草ではなく食用になる植物の育成ノートを書いていた。
丸っこい葉が特徴のこの植物は、その実の皮を剥いて煮物にするととても美味しい。
通常は越冬の季節の前に森で採取して貯蔵するが、私が品種改良と栽培方法を工夫して、一年中収穫可能にしたところ、これが里で評判になったため、さらに味の改良をすべく、日々研究をしている。
「うん、よく育ってる。本格的に畑を作りたいんだけど、みんなやりたがらないからなぁ。長の許可は取ってあるから、そのうち本格的に里のみんなで一緒に作ろう」
私はノートを書きながら、小さく笑みを浮かべた。
そのまま夜明けまで時間をかけて観察して、私はいつも通り薬草の面倒をみてから、必要な量を収穫し、お母さんと朝ごはんを済ませてから店へと転移した。
窓を全て開けてから、私はシャッターを開け、普段通り薬草類を陳列棚に並べ、簡単な掃除をしてから休憩スペースに収まった。
ちょうど夜行の長距離乗合馬車が駐車場に入ってきて、お客さんが降りてそれぞれ腰を伸ばしたりトイレにいったりしている様子をみながら、私はハーブティを煎れて一口飲んだ。
駐車場の石畳が焼け焦げていて、昨日の大惨事を静かに物語っていたが、片付けは済んでいるようで、それ以外はいつもの光景だった。
「今日も暑くなりそうだから、冷たいハーブティでも売ろうかな。空いている容器はあるし、少しは売れるかもしれない」
思い立ったが吉日で、私はさっそく疲労回復効果があるオリジナルブレンドのハーブティーを煎れる事にした。
地下の倉庫に貯蔵してある乾燥させた薬草を複数種類ブレンドして、試しに百杯分は入る小さな樽にお茶を煎れ、氷の魔法で急速冷蔵して店頭に台を設置して置いてみた。
「一杯、銅貨十枚程度でいいか。初めてやってみるから、適正な価格が分からないんだよね」
まあ、売れるかどうかも分からない試みだ。
銅貨十枚なら、食堂で提供されているエールより少し安い程度。これを目安にした。
「ちゃんと、新商品も考えないとね」
私は笑って、休憩スペースに戻った。
そんな私の動きを見ていたようで、先ほどの長距離乗合馬車のお客さんが数名、さっそく来店してくれた。
「見たところ飲み物のようだが、長距離の移動で疲れている。一杯欲しい」
ヒゲが立派な男の人がやってきて、さっき置いたばかりの冷たいハーブティが入っている樽を軽く叩いた。
「はい、冷たいハーブティです。銅貨十枚です」
私は笑顔で答えた。
「へぇ、冷たい茶か。珍しいな。一杯貰おう」
そのお客さんの声に頷き、私はなにかあった場合に備えておいてあった、木製のジョッキに樽の蛇口を開いて、ハーブティを注いで渡した。
「うん、少し癖はあるが美味いな。銅貨十枚だったな」
私はお客さんから代金を受け取り、空になったジョッキを受け取った。
「ありがとうございました。機会があれば、またどうぞ」
お客さんが去って行く背中を見送り、私は売上金を休憩スペースの金庫に入れた。
その後、三人ほど冷たいハーブティのお客さんがきて、なんでもやってみるものだと思った。
「さっそく、四杯売れた。小銭みたいなものだけど、こういう積み重ねも重要だね」
私は笑った。
長距離乗合馬車が休憩中だった乗客を再び乗せて駐車場を出ていき、道の駅は静かになった。
少し経つと陽が完全に昇り、同時に気温も上がってきた。
「暑くなってきた。私の勘だと、今日は晴天だね」
私は呟いた。
もしかしたら、夕方くらいに通り雨くらいはあるかもしれないが、概ね天候は良好だろう。
「こういう日は、旅する人が増える傾向があるから、お客さんも増えるがかもしれない。期待しておくか」
私は小さく笑った。
徒歩だったり馬車だったりその手段は色々だが、旅をするなら好天の日がいいだろう。
実際、まだ明るくなったばかりなのに、丸めたテントを背嚢の上に乗せた、重装備の旅人たちが、街道をポツリポツリと行き来しはじめていた。
「うん、いい傾向だね」
私は休憩スペースから立ち上がり、時々店内の簡単な掃除などしながら、いつも通りの時間を過ごしていた。
客足はまずまずで、疲労回復や傷の薬草などがよく売れ、商売はそれなりに繁盛していた。
「今日は疲労回復関連が多いな。冷たいハーブティもよく売れるし」
私は額の汗を、首にかけた手ぬぐいで拭いた。
そう、思いつきではじめた冷たいハーブティが、値段設定が良かったのか思いのほかよく売れて、暇を見て樽に追加しているが、もはや小銭かせぎという金額を超えた売り上げになっていた。
「よし、明日もこんな感じなら、乾燥させた薬草を補充しておこう。予定外だったから、乾燥させた薬草の在庫が尽きそうだよ」
私は笑った。
時刻は昼を迎え、道の駅は混雑する時間になった。
駐車場に出入りする馬車や旅人たちも増え、暑さ対策のためか、私の冷たいハーブティの売れ行きも好調だった。
ついでに怪我や毒に対する薬草も売れ行きを伸ばし、昼のピークを迎える頃には、山と積んでおいた薬草の一部に欠品が出るような状況になった。
「また、偏って売れたな。いつもよく出る傷や毒消しの薬草はまだあるけど、滅多に出ないオリジナルの薬草は欠品だよ」
私は嬉しい悲鳴を上げた。
これも、たまたま団体で移動してきた薬草学会のお客さんがきたからで、育ってしまったので、売れ残り承知で持ってきているような、人間の間では知られていない薬草が大量に売れてしまったのだ。
「これは嬉しい誤算だったな。高値でも売れるから、今日は黒字だ」
私は素直に喜んだ。
実は、この近隣の村や町では、人間の社会では珍しいエルフが、変わった薬草を扱っている事が知られているようで、わざわざこの店にくるような珍しいお客さんが、日に日に増えていっている。
「そろそろ、ここに持ち込む量を増やしてもいい頃かな。といっても、さほどの量はないんだけど」
高値で売れる薬草は、その分収穫量も少ない。
在庫を増やすといってもたかが知れているが、せっかく売れる機会がきても在庫がなければ売れないので、これからは徐々に里から持ってくる量を増やそうかと、少し前から考えはじめていた。
「さて、ピークも過ぎたしお昼にしよう」
客足が止まった隙を突いて、私はお母さんが作ってくれたお弁当を手早く食べた。
食後の冷たいハーブティを飲んでいると、単なる旅人ではなく装備からして冒険者と分かる三人組のお客さんがやってきた。
「失礼する。ここは、薬草店のようだが、買い取りはやっているか?」
三人組のうち、若い男の人が声をかけてきた。
「買い取りですか。どのような薬草をお持ちでしょうか?」
私は笑顔を浮かべた。
この森で人間が立ち入りできる範囲となると、採取出来る薬草は限られているが、とりあえず、販売だけではなく買い取りもやっている。
お客さんが持ち込んできた薬草は、この辺りで取れる一般的な毒草だった。
「これは、毒になる薬草です。買い取りは出来ませんが、強力な毒消し薬に加工は出来ます。この周辺によく出現する毒蛇の毒にも効きますし、材料持ち込みという事でお安く作業させて頂きますが、いかがでしょうか?」
私は笑みを浮かべた。
このまま買い取っても、毒消しのポーションとして加工しないと売り物にならない。
こういう場合、加工賃だけ取って出来た薬はそのまま返す。
そうする事で、自分たちで使ってもよし、他人にいくらか高値で転売してもよし、という、お互いにそう悪くない形に出来るはずだ。
「なるほど、そういう事か。分かった、いくらだ?」
若い男の人が問いかけてきた。
「この薬草の量だとポーションが十本作れます。全ての加工賃として、銀貨三百枚頂きます。お作りする薬は、一本あたり金貨二枚の価値があるものになりますので、損はさせません」
銀貨百枚で金貨一枚になる。
つまり、金貨三枚の投資で金貨二十枚の強力な特製毒消しポーションが手に入る事になるので、お客さんに損をさせるような事はいっていない。
まあ、自分たちで使うにせよ、他人に売るにせよ、上手く得できるかは別の話だが、そこまでのお世話はしない。
「なるほど、分かった。作業をお願いする。これが代金だ」
男の人が財布から銀貨を三百枚出した。
「ありがとうございます。では、さっそくはじめます」
私は受け取った薬草を機械にかけ、絞り汁を抽出しはじめた。
それを木製の桶のような容器に落とし、呪文を唱えた。
桶の中の毒液が光って、淡いピンク色に染まり、これを丁寧に小さなガラス瓶に移せば、作業は完了だ。
それを紙袋にいれ、私は男の人に渡した。
「作業完了です。よい旅を」
私は三人を笑顔で送り出し、機械を丁寧に清掃した。
機械は三台あり、用途を分けているとはいえ、毒汁を絞り出した機械をそのままにしておく事は出来ない。
こうして、またお客さんを一組送り出し、私は満足して笑みを浮かべた。
「さて、今日もあと少しで終わりだね。もうひと頑張りしよう」
私は笑みを浮かべた。
時刻は夕方になろうかとしていた。
里から持ってきていた薬草はほとんど完売という状況になり、私はボチボチ帰り支度をはじめる事にした。
陳列棚やポーションの保管棚を掃除し、床を掃き掃除していると、ふらりとクレッシェンドさんがやってきた。
「こんにちは。大盛況のようだったな。遠くから見ていたよ」
クレッシェンドさんが笑った。
「こんにちは。お陰様で売れました。今日も薬草の話をしましょうか?」
私は笑った。
「ああ、そのためにきたのだが、邪魔ではないか?」
「いえ、ちょうど帰り支度をしていたところです。邪魔にはなりませんよ」
私は笑った。
「うん、良かった。この前の不老不死の薬の件だが、友人がやっと諦めてくれたよ。その代わり、あの時の薬草について詳しく聞かれてな。私もよく分からないので、詳しく説明して欲しいのだが、構わないか?」
クレッシェンドさんが、笑みを浮かべた。
「はい、構いませんよ。あれは、美肌効果が期待出来る薬草なんです。私たちエルフは、あの薬草で作った石けんしか使いません。熱に強い薬草なので、煎じて飲んでも大丈夫ですよ」
私は笑った。
「なるほどな。エルフの美肌を保つ秘密のようだ。あれで化粧品を作れば、王都の貴族連中辺りがこぞって買いそうだ」
クレッシェンドさんが笑った。
「人間の事情はよく分かりませんが、女の子同士、お肌の具合は気になりますよね。応用としては、このオオヨロギ草の抽出液と合わせて加熱すると、今度は内臓の健康を保つポーションに加工出来ます」
私は残っていた薬草を一束手に取って笑った。
「なるほど、そういう薬にもなるのか。なかなか商売が上手いな。では、その薬草をもらおう」
「はい、金貨一枚です」
私は薬草を紙袋に入れて、クレッシェンドさんが差し出した金貨一枚と交換した。
「うん、知れば知るほど面白いな。時にオオダケカ草という、希少品種は知っているか?」
クレッシェンドさんの問いかけに、私は頷いた。
「はい、知っていますよ。こういった、森林地帯の奥によく群生しています。私自身も栽培していますが、育ちが遅いのでまだここに出せるほどの量が収穫できません。ハイエリクサーの原料ですね」
私は笑みを浮かべた。
なんにでも効く万能薬、エリクサーをさらに高度に精製する事で出来るのが、薬というものの最上級であるハイエリクサーだ。
その精製の際、最も重要な触媒になるオコタルサという薬を作るために必要になるのが、このオオダケカ草である。
「なるほど、詳しいな。魔法薬学を嗜んでいる者として、一度この目で見てみたいのだが、この森には存在するのか?」
クレッシェンドさんが問いかけてきた。
「はい、群生地を知っていますよ。ただ、私の里から森の中を歩きで一週間ほどかかる上に、この時期は生えていません。冬の雪の中で育つので、雪中草ともいわれています」
私は笑みを浮かべた。
私も薬を扱う者として、毎日のようにハイエリクサーを精製できたらいいのにとは思うが、その希少性はエルフの間でも群を抜いて高い。
過去に何回か精製に成功しているが、難易度が極めて高いので、一種の憧れでもあった。
「そうか、ここの森にもあるのだな。それが分かっただけでも、大発見なのだ。無論、他言はしないので安心してくれ」
クレッシェンドさんが楽しそうに笑った。
「私の薬草園で栽培していますので、収穫できたらお持ちしますよ」
私は笑った。
「なに、本当か。それはありがたい。機会がきたら、教えて欲しい」
クレッシェンドさんが頷いた。
「はい、お約束します。楽しみにしていて下さい」
私がいった事は嘘ではない。
この超希少品種をなんとか栽培出来ないかと試行錯誤した結果、どうにか成功して今は成長を待っている段階だ。
これが知れると騒ぎになってしまうので、お母さんや里のみんなにすら話していない事である。
「うん、楽しみに待っている。それにしても、喉が渇いた。その冷たいハーブティとやらが欲しい。冷たいお茶自体が珍しいからな」
クレッシェンドさんが笑った。
二人で冷たいハーブティを飲みながら薬草の話をして、周囲が暗くなりはじめた頃になって、そろそろ家に帰る時間となった。
クレッシェンドさんは道の駅の簡易宿泊所に戻り、私は店を綺麗に掃除してシャッターを下ろした。
「今日はかなり売れたからね。このまま売上金をここに置いておくのは心配だから、さっそく長に収めちゃおう。えっと、釣り銭を残して…」
私は金庫のお金を整理して、最低限の額だけ地下の金庫にしまい、残りを革袋に詰め込んだ。
「よし、窓も全部閉じたし鍵もかけた。里に戻ろう」
私は里に転移した。
持ち帰ったお金を長に渡し、私は自宅に帰った。
お母さんがいつも通り晩ごはんを用意して、私の帰宅を待ってくれていた。
「最近、帰りが遅めね。まあ、いいでしょう。早く食べてしまいなさい」
お母さんが笑った。
「うん、今日はかなり稼いだから、長にお金を渡してきたんだよ。冷たいハーブティを思い付いちゃって、売ってみたら大好評でさ。売れるなら、ちゃんとレシピを考えないと」
私は笑みを浮かべた。
「あら、冷たいハーブティなんて美味しいの?」
お母さんが不思議そうな声を上げた。
「うん、これが意外と美味しいんだよ。試しに作ってあげる」
私はご飯を食べ終えると、台所でハーブティを煎れ、それを木のカップに煎れて急速冷蔵した。
「ほら、飲んでみて」
「分かりました。うん、確かに美味しい」
お母さんが笑った。
「でしょ。これは疲労回復が狙いだけど、怪我をした時の痛み止め効果とか、軽い毒消し効果を持たせたりなんていいかもね」
私は笑った。
「あなたはお店の話になると、本当によく笑うわね。嫌でなければ、それでいいです」
お母さんが笑みを浮かべた。
「それじゃ、シャワーを浴びてくるよ。汗かいちゃってベタベタだから」
私は笑みを浮かべた。
「はい、いってらっしゃい。私は先に休みます」
お母さんが笑った。
人間の社会ではまだまだこれからといったところだろうが、私たちエルフにとってはもう十分に眠る時間である。
これが無いとなにかと不便なので、私の家には人間のお店で買った壁掛け時計があり、時刻は二十時半といったところだ。
「お母さん、おやすみ」
私はお母さんに挨拶をしてから、シャワーに向かったのだった。
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