第17話 安田暴走!

​ 彼の名は安田。横浜中華街の、どこか異国情緒漂う狭い路地裏で、彼はいつもと同じようにぼんやりと空を見上げていた。派遣社員として、彼はこの街の小さな雑貨屋で働いていた。しかし、彼の心はいつも、この場所にいることへの違和感と、得体の知れない疎外感で満たされていた。

​ 周囲には、中国人観光客や、この街で暮らす人々が行き交う。賑やかな中国語が、まるで彼の存在をかき消すかのように、絶え間なく耳に響いてくる。安田は、いつしか、この街の活気や匂い、そして言葉が、自分とは全く異なる世界のものであるように感じるようになっていた。

​ 彼の心の中で、疎外感は徐々に憎悪へと姿を変えていった。なぜ、自分だけが、この場所で、ひっそりと生きていかなければならないのか。なぜ、自分だけが、この喧騒から取り残されているのか。彼は、この街の全てが、自分を嘲笑しているように思えてならなかった。

​ ある夜、安田は、いつものように仕事終わりに中華街を歩いていた。ふと、彼の目に留まったのは、一本の刃物だった。それは、中華包丁。重く、鋭いその刃は、まるで彼の心の奥底に眠っていた衝動を具現化したかのようだった。彼は、その刃物を手に取ると、まるで何かに導かれるかのように、人気のない路地へと足を踏み入れた。

​ そこには、彼と同じように、仕事帰りの中国人たちが楽しそうに談笑している姿があった。安田は、彼らの笑い声が、自分への侮辱のように感じられた。彼の心の中で、何かが完全に弾け飛んだ。

​ 彼は、その手に握られた中華包丁を振り上げた。夜の闇に、鈍い光が閃く。そして、中華街の狭い路地裏に、悲鳴と血が飛び散った。安田の目には、何の感情も映っていなかった。ただ、彼の心の中には、長年溜め込んでいた怒りと憎悪が、ようやく解放されたかのような、奇妙な高揚感が広がっていた。

​ 安田は、血の付いた中華包丁を握りしめたまま、月明かりの下に立ち尽くしていた。横浜中華街の活気は、一瞬にして静寂に包まれた。

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