華麗なる囚われの皇后
櫂悠里
背負った宿命
「……オリヴィア。本当にすまない。」
まるで命乞いをするかのように私の目の前で跪いているこの男は、私の最愛の夫だ。
もし初対面の者がこの姿を目にしたら、きっと彼のことを、我が帝国でも有数の上級貴族の息子———つまり、あのアルデンヌ公爵家の嫡男だとは、誰も信じないだろう。
「仕方のないことです。あなたは何も悪くありません。」
どうしようもなく頼りない姿をした彼を前に、今はとにかく励ますことしかできない。
「将来の公爵夫人たるもの、あなたに嫁ぐと決めたときから、すでに覚悟は決まっておりました。」
私の膝下に縋り付いていた彼が、ゆっくりと顔を上げる。
まるで子供のように涙を浮かべたその目と、ようやく視線が一致した。
"なんて綺麗なんだろう"
よりによってこの状況でも、彼の持つ淡いグレーの瞳にうっとりとしてしまう。
うっかり近づきすぎると、まるで自らが吸い込まれてしまいそうなその透き通った瞳———私は密かに、それが好きだった。
「大丈夫です。きっと、すべて上手くいきますから。」
現在進行形で窮地に立たされている私が、こんなにも冷静でいられるのは、これが突然起きた出来事ではないからだ。
むしろ、この厳しい状況に対応するため、私はアルデンヌ家の嫡男と結婚させられたのだ。
かつて父が言っていた"万が一"とは、このことだったのだと、妙に納得してしまう。
すでに決まっていた運命を前に、今さらじたばたしても仕方がない。
「しかし……こんなにも美しい君を、あの恐ろしい皇帝に売却するなんてことを想像したら……本当に気が狂ってしまいそうだ。」
"売却?"
その言葉が少し引っかかったが、きっと私以上に、彼も動揺しているのだろう。
なぜなら、私たちの結婚は、本人たちの意思などまったく関係なく、ヴァロワ帝国の皇帝である私の父と、アルデンヌ公爵家の当主である彼の父が結託して勝手に決めたことだからだ。
要するに、彼もこの最悪のシナリオに巻き込まれた、可哀想な登場人物の一人に過ぎない。
その上、我が帝国随一の貴族といっても過言ではないアルデンヌ公爵家の、たった一人の愛息子である彼は、両親から目いっぱい甘やかされて育ってきた。
それゆえに、素直でとても優しい人なのだ。
たとえ公爵家の嫡男であっても、四女とはいえ王族出身の私とは明確な身分差があるにもかかわらず、たった1ヶ月という短い期間で、別れを惜しむほどの関係性を築いてくれた。
その事実こそ、まさに彼の人となりを説明するには、一番説得力があるだろう。
正直者ゆえに少しばかり非礼なところはあるものの、幼い頃から王族教育に忙しく、孤独だった私に、家族の暖かさを教えてくれたのは紛れもなく彼だった。
短い結婚生活だったけれど、私にとって彼はすでに唯一無二の存在になっている。
そのような素晴らしい人間性を持った彼が、この状況で少々荒い言葉を使ったとしても、それはもう仕方のないことだろう。
自身の立場を十分に理解しているこの私ですら、初々しい穏やかな生活が、こんなにも早く終わるとは想像もしていなかった。
なにせ、初夜もまだ済ませていないのだから。
なおさら、彼が必要以上に動揺するのは当然のことだと理解した。
今この瞬間にも、悲劇の道を歩まされている新婚夫婦にとって、あとわずかしか残されていない時間よりも貴重なものが、この世にどれほど存在するだろうか。
かろうじて存在する尊い"今"を削ってまで、自身の取るに足らぬ不安に思考を割くことが、どれほど馬鹿馬鹿しいことか。
直ちにそう考え直し、まだ手を伸ばせば届く距離にある夫の、少々荒い言葉遣いなど、すぐに頭から消し去った。
「私は、四女とはいえヴァロワ帝国の娘です。いくらメロヴィング帝国の不死身の怪物と名高い彼でも、この私に非道なことはできないはず……きっと、そうよ。」
"不死身の怪物"
口に出すと、恐ろしさが一層増す。
しかし、見るからに私より怯えている彼に、これ以上恐怖心を煽りたくはなかった。
「すべて、私にお任せくださいな。」
その一心で、日常と変わらない余裕を含んだ笑顔を彼に見せた。
たとえ身を切り裂かれようとも、決して心を乱してはいけない。
惨憺たる屈辱を受けても、騒いではいけない。
それが、幼少期から徹底的に教え込まれた、王族であるヴァロワ家の教育だ。
そこで培った教養を今ここで発揮しなければ、これまで孤独に耐え忍んで学んだ努力に、なんの意味もなくなってしまうだろう。
だって私は、この愛おしい男を一刻も早く安心させ、守ってあげたいのだから。
「だから、いつか……いつかきっと、迎えに来てくださいね。」
「……オヴィ……君を愛している……ずっと。ずっとだ……」
私が願う"いつか"の未来は、一生来ることはないし、彼の言う"ずっと"も永遠という意味ではない。
雰囲気に飲まれた男女が発する単なる非現実的なその場しのぎの言葉でしかないということは、たとえ世間知らずの子供にでもわかることだろう。
だからせめて、この瞬間を私だけは永遠に覚えておきたいと強く思い、静かに目を閉じた。
初めて"オヴィ"と愛称で呼んでくれた、その優しい声を、私は決して忘れはしない。
これから始まる悲劇の人生の宝物にするんだ。
辛いときは、必ず彼の"声"を思い出す。
たとえこの先、恐ろしい試練が訪れようとも、私はすでに、自分を救う術を彼から与えてもらったのだ。
それだけで、充分だと思おう。
「私も……愛しています。トム……」
愛称で呼ばれたことが、彼もよほど嬉しかったのか、その美しい瞳から涙が溢れる。
永遠の別れを目前に控えた私は、いつの間にか彼のもとにしゃがみ込んでいた。
同じ目線になった彼が、私を強く抱きしめる。
愛する夫の男らしい一面を初めて見て、この失恋も案外悪くないかもしれないと思った。
なぜなら、きっとあなたの心に、強烈な痕を残せるだろうから。
———私はもうすぐ、"不死身の怪物"の生贄になるのだ。
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