第3話 記憶よりも早く
その夜。
新聞の片隅に、誰も気に留めない小さな記事が載った。
『川崎市内で“消える鏡”の目撃情報。
駅前の路地に一夜だけ現れ、翌朝には跡形もなく消失』
さらに匿名掲示板には、不気味な書き込みが並んでいた。
『昨日の夜、駅前で古びた祠を見た。
中を覗いたら、首を吊った自分が映っていた』
『笑ってたんだよ……「もうすぐ一緒だね」って』
黒崎は記事を閉じ、グラスの酒を喉に流し込んだ。
「鏡は街路に溶け込み、また現れる。
……次に扉を開くのは、我々自身かもしれん」
美咲は目を伏せた。
夜ごと悪夢にうなされるのだ。鏡の中に横たわる自分の死体、
その隣で妹が微笑みながら手を伸ばしてくる夢――。
「……私、あの子に呼ばれたら、抗える自信がないです」
「俺だって同じだ」
黒崎は珍しく弱音を吐いた。
「酒で誤魔化してるだけだ。……歌声も、まだ耳に残ってる」
二人は沈黙し、夜の重さに押しつぶされるように時間を過ごした。
数日後。
依頼人の女性が、再び事務所を訪れた。
やつれ果てた顔はさらに痩せ、眼の下には深い隈。
指先は爪を噛み壊した跡で血がにじんでいた。
彼女は落ち着きなく目を泳がせ、
壁に掛けられた鏡を凝視しては怯え、また笑う。
「……夢に、あの子が出てくるんです」
声はかすれ、乾いた唇が震えていた。
「鏡の向こうで笑って……『お姉ちゃん、迎えに来て』って……ずっと……」
黒崎は低く押し殺した声で言った。
「絶対に、鏡を覗いてはいけません。覗いた瞬間、境界は崩れる。あなたも連れて行かれる」
「でも……もう、境界なんてないんです」
彼女はかすかな笑みを浮かべた。
「だって、向こうから来てるんですもの。夜ごと、私の部屋に」
美咲は堪らず、彼女の肩に手を添えた。
「どうか……どうか無理をしないでください」
女性は小さくうなずいた。しかしその瞳には、
諦めと陶酔がないまぜになった狂気の光が宿っていた。
――翌週。
ニュース速報が流れた。
『都内のマンションから女性が転落死。
部屋には粉々に砕けた姿見と、妹宛ての手紙が残されていた。
手紙には “もうすぐ一緒に帰るね” とだけ記されていた』
現場検証に立ち会った警官の証言も報じられる。
『割れた鏡の破片には、被害者以外の少女の姿が写り込んでいたとの目撃も……現在、確認中』
黒崎は記事を無言で閉じ、グラスを空にした。
美咲は青ざめた顔で、小さく呟いた。
「……あの人まで……」
「怪異は、記録されるより早く人を呑み込む」
黒崎の声は低く濁っていた。
「だが……本当に彼女が死んだかどうかは、誰にも分からん」
窓の外。街灯に照らされた水たまりに、女の影が揺れていた。
それは――依頼人によく似ていた。
黒崎は「極秘ファイル」をまとめ、
誰の目にも触れぬよう封印指定として東京CJ調査室へ送付した。
だがその夜、事務所の鏡には、まだ見ぬ次の『訪問者』が揺らめいていた――。
次回 第4話「その後…」
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