1分で読める創作小説2025
@music-lover
第1話
彼女の為に、三ヶ月分のアルバイト代を注ぎ込んだ。六万円近くする高級レストランのディナー。彼女はスマホを弄りながら、わずか三十分で「ごちそうさま」と言い、帰り際に一言、「ありがとう」とだけ告げた。その言葉のためだけに、僕は汗水垂らして働いたのだ。それでも、その時の僕は、彼女の「ありがとう」に、ほんの少しの希望すら感じてしまっていた。
その帰り道、ふと駅前のタピオカ店に寄った。自分用のドリンクを買い、ついでに母の分も、一番安い300円のプレーンミルクティーを買った。特に深い考えもなく。
家に帰った時、そのミルクティーを母に手渡した。母の顔は、瞬間的に輝いた。 「まあ、ありがとう!息子が買ってくれたのね!」 彼女は、まるで世界で一番の贈り物でも貰ったかのように、そのカップを両手で包み込むように抱え、写真を撮った。その夜、僕のLINEが鳴った。母からのメッセージだった。彼女が家族のグループトークに、そのミルクティーの写真と共に、こう投稿していた。 《就職して忙しい中、わざわざ買ってきてくれました。優しい子に育って、幸せです♡》 その後ろには、ハートマークがいくつも続いていた。
そのメッセージを見て、胸が締め付けられた。僕のSNSの投稿のほとんどは、彼女への想いや、彼女と食事に行った写真で占められていた。しかし、母はその一切を見ることはできない。僕の華やかな仮面の裏側を知る由もなく、息子の「幸せ」を心から喜ぶメッセージだけが、無邪気に並んでいた。
ある日、彼女と東京ディズニーシーにデートに行った。 途中、母からLINEが届いた。 《旅行はどう?天気悪くない?寒くない?お金、足りてる?》 ちょうどその時、傍らにいた彼女が、小雨が降り出す空を見上げて言った。 「傘、傾いてるよ。私の服、濡れちゃうじゃん。」 僕は慌てて母への返信を打ち切った。 《大丈夫だよ。今、忙しいから》 そうだけ送り、スマホをポケットに押し込んだ。母の心配は、彼女の一言の前には、霞んでしまった。
彼女からの返信を待ちわびる時間は、いつも長く感じた。既読がついても返事がすぐに来ないと、あれこれと考え込んでしまった。母はどうしていただろう。僕が既読すらつけずに放置したメッセージを、きちんと読んでいただろうか。そして、そんなことにもめげず、夕方には仕事から帰り、一人で夕食の支度をし、一人で食卓を囲み、一人で片付けをしていたのだ。
ふと、今すぐ母に「愛してる」と伝えたい衝動に駆られた。感謝と後悔が、突然胸の中に溢れ出した。 スマホのLINEアプリを開き、母とのトーク画面を立ち上げる。
そして、私は凍りついた。
画面上に広がるのは、僕の「生活費、送ってくれませんか」というメッセージと、それに対する母の「すぐ送るね」「振り込んだよ」「足りない時はいつでも言って」の文字の、果てしない往復だった。 「愛してる」の一言を打ち込もうとした指先は、震え、その場から動かなくなってしまった。
画面が、少し滲んで見えた。
(完)
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